沿線点描 加古川線 加古川駅 〜 谷川駅(兵庫県)

播磨の大河を遡って、のどかな田園風景の中をくぐり抜け丹波の里へ。

加古川線は兵庫県加古川駅から谷川駅まで約48.5km。
瀬戸内海に注ぐ加古川の水運に代わる路線として、1924(大正13)年に全線開通した。1995(平成7)年の阪神・淡路大震災の際には山陽本線・東海道本線(JR神戸線)が遮断され、迂回路線としても活躍した路線だ。加古川駅から播州平野を縦断し、“日本のへそ”を経て丹波をめざす。

社町駅には、地球儀を模した待合室「交流ふれあい館」が併設する。

播州平野を北上して、“そろばんのまち”へ

 兵庫県下最大の一級河川 加古川は朝来[あさご]市と丹波市の市境にある粟鹿山[あわがやま](962m)を源に発し、播磨灘に注ぐ大河だ。全長約96kmに及ぶその流域は、かつて年貢米や木材、塩などが高瀬舟の水運によって運ばれ大いに賑わった。

 加古川市には近年、全国に発信するソウルフードがある。洋皿に盛られたご飯の上に、デミグラスソースのかかったビーフカツが乗る「かつめし」だ。その歴史は昭和20年代頃、駅前通りの食堂が「気軽に箸で食べる洋食」として考案したことに始まる。今も市内にはかつめしの店が100を数え、「かつめしまっぷ」もあるほどだ。ご飯を覆い隠すほど大きなカツにはたっぷりとソースが絡み、口の中でほどよく肉が溶け、うまさが広がる。そんな加古川名物を堪能し、起点の加古川駅に向かった。

 5番線を離れた列車は北に向かい、一つ隣の日岡駅、神野[かんの]駅を過ぎると厄神[やくじん]駅へ。「宗佐[そうさ]の厄神さん」で地域に親しまれる宗佐厄神八幡神社の玄関口だ。列車はやがて加古川に架かる鉄橋に差しかかり、市場[いちば]駅を過ぎるとまもなく小野町駅だ。

加古川市の名物料理「かつめし」。スーパーでは専用のタレが販売され、学校給食のメニューにもなっている。

厄除けの大神として崇拝されている宗佐厄神八幡神社。九州の宇佐八幡宮に向かう和気清麻呂が道鏡の家来に襲われた時に、一頭の大猪が清麻呂を救ったという伝承が残る。

小野市を代表する伝統産業の播州そろばん。60年以上の大ベテランで伝統工芸士の宮本さんは、「そろばんは玉の“動き”が重要です。堅い木でないとそれが難しい。だから、素材にこだわるんです」と話す。

加古川の川底に奇岩、巨岩が起伏した名勝 闘竜灘。激流が龍の躍動に似ていることに因む。毎年5月1日に、日本で一番早く鮎漁が解禁されることでも知られる。

 小野市は古くから、金物や播州そろばんの産地で知られる。駅の北方に位置する小野市役所には巨大なそろばんのモニュメントが町のシンボルとして展示されている。近辺の小野市伝統産業会館には「そろばん博物館」が設置され、“そろばんのまち”としての変遷を現在に伝えている。その歴史は400年に及び、国の伝統的工芸品にも指定されている。「私が職人になった1956(昭和31)年には職人が200人はいて、町には関連の店が500軒はあったね」と話すのは、伝統工芸士の宮本一廣さん。近年は電卓やパソコンの普及により生産は落ち込んではいるものの、播州そろばんは今でも国内生産量の7割を占めている。

 列車は加古川に沿って再び北上する。次の粟生[あお]駅、河合西駅を過ぎ、地球儀を模した駅舎が見えると社町[やしろちょう]駅だ。さらに列車は北をめざし、滝駅へ。駅からほど近くの加古川には、奇岩、巨岩の広がる岩礁地帯「闘竜灘[とうりゅうなだ]」があり、かつての高瀬舟の難所で知られる。水運の時代はここで一旦積み荷を降ろし、陸上げして運んだそうだ。

 加古川駅から約50分。北播磨の要衝、西脇市駅に到着だ。

400年の伝統を伝える「そろばん博物館」

小野市役所の東駐車場にある巨大そろばんのモニュメント。幅9m、高さ4m、重さは1.8t。

「そろばん博物館」には古い播州そろばんや、名人が使用していた道具などが展示されている。

 兵庫県小野市の伝統工芸品を紹介している小野市伝統産業会館では、地場産業の「播州そろばん」や播州鎌に代表される家庭用刃物などが展示販売されている。館内には「そろばん博物館」が設置され、歴代の匠の逸品や道具類などが400年の歴史を現在に伝えている。

 播州そろばんの起源は、安土桃山時代。豊臣秀吉の三木城攻略の際、追われた住民がそろばん製作の盛んな滋賀県の大津に逃れ、そこで製作技法を学び持ち帰ったことに始まるとされている。最盛期の昭和期には年間360万丁ものそろばんを生産し、隆盛を極めた。国の伝統的工芸品に指定されている。

播州織の西脇から、“化石の宝庫”の丹波へ

播州平野の田園風景を走る列車。(日本へそ公園駅〜黒田庄駅)

 兵庫県のほぼ中央部に位置する西脇市は、東経135度と北緯35度が交差するいわば“日本のへそ“。播州織や播州毛鉤[けばり]などの伝統産業が盛んで、特に釣り針産業は全国の総生産量の90%を占める。また、現代美術家 横尾忠則の故郷でも知られ、町に点在するY字路は横尾作品の主要な題材になっている。代表作の絵画『Y字路』シリーズは、氏がかつて利用した通学路周辺がモチーフとなっていて、その原点である椿坂Y字路は漆黒の佇まいだ。周囲の家々とは一線を画した存在感で、初のY字路立体作品〈黒い光その1〉として2018(平成30)年に完成した。

 西脇市駅から再び列車に乗車する。加古川と杉原川の合流地点を車窓に、トラス橋梁を渡れば新西脇駅。その昔、この杉原川沿いに西脇市と多可町を結ぶ鍛冶屋線が運行していた。旧沿線上には当時の駅舎が記念館として復元され、往時を偲ばせている。列車は比延[ひえ]駅を通過すると、間もなく日本へそ公園駅に到着する。駅前すぐの円柱エントランスは西脇市岡之山美術館だ。広大な日本へそ公園内にある奇抜な外観の「にしわき経緯度地球科学館テラ・ドーム」や“日本のへそ”を示す経緯度交差点標柱など、ここが日本の中心地点だと再認識させられる。

西脇市出身の横尾忠則の代表作『Y字路』シリーズの原点となった椿坂Y字路(ホビイ模型店跡)を黒一色にした、氏の初のY字路立体作品『黒い光その1』。絵画『Y字路』は2000(平成12)年からスタートし、作品は150点を超える。

日本へそ公園駅前の西脇市岡之山美術館。1984(昭和59)年に建築家 磯崎新の設計により開館した。2013(平成25)年からは現代美術の展示拠点となっている。

にしわき経緯度地球科学館テラ・ドームには、地球や宇宙の姿を映す映像ホールや展示室、口径81cmの大型反射望遠鏡を備えた天文台がある。奇抜な外観は、「宇宙の混沌」を表している。

東経135度、北緯35度の交差点「日本のへそ」にある経緯度交差点標柱。旧陸軍測量部によって、1923(大正12)年に測量された。

鍛冶屋線市原駅記念館

1921(大正10)年建築の市原駅を復元した鍛冶屋線市原駅記念館。

1990(平成2)年に譲り受けた展示車両は傷みが激しく、2010(平成22)年に総勢130名の地域住民や市長によってペイントされた。車両の名前は「キハイチハラ」号(キハ30系)。

 鍛冶屋線の前身は1910(明治43)年に発足した播州鉄道で、主に農作物を輸送していた。1923(大正12)年に多可町の鍛冶屋駅まで全線開通すると、すぐに播丹鉄道が引き継いだ。1943(昭和18)年に国有化されると、国鉄は野村駅(現・西脇市駅)から鍛冶屋駅までを「鍛冶屋線」と命名した。

 鍛冶屋線は杉原川に沿って運行する総距離13.2km、全7駅の路線で、1990(平成2)年の廃線まで地域の足として活躍した。

 現在、旧市原駅駅舎は「市原駅記念館」として復元され、その周辺には地元の高校生や地域住民がペイントしたキハ30系2両が保存展示されている。

 列車は加古川に沿って北上する。車窓には、小高い山の稜線を背景に田園風景が続いている。黒田庄駅を過ぎ、本黒田駅へ。「黒田」の駅名が続くこの辺りは、あの天下人豊臣秀吉を支えた軍師 黒田官兵衛ゆかりの地だ。官兵衛の生誕地は推測の域を出ないが、駅の東方にある黒田庄町黒田の荘厳寺には本黒田家略系図が展示されている。

652(白雉3)年開基と伝わる真言宗の荘厳寺。秀吉の軍師 黒田官兵衛生誕地を主張する「荘厳寺本黒田家略系図」を所蔵・展示している

 列車は次の船町口駅を過ぎると篠山川に沿って、久下村[くげむら]駅を通過する。川を渡れば、もう終点の谷川駅だ。ここ丹波エリアは近年、太古の世界で話題を集めている。2006(平成18)年に篠山層群で恐竜の化石が発見され、本格的な調査が開始された。現在では日本最大の恐竜卵殻化石の宝庫として骨片などを含めると、約34,000点以上の化石が確認されている。

 播州平野を南北に走る約50kmは、加古川の歴史に触れつつ、“日本のへそ”を巡る旅であった。

丹波竜化石工房「ちーたんの館」

篠山層群から発見された丹波竜など恐竜の全身骨格を多数展示している。

 丹波竜の正式名称は「タンバティタニス・アミキティアエ」。発端は2006(平成18)年に、丹波篠山市と丹波市にまたがる篠山層群の篠山川河川敷で恐竜の肋骨化石を発見。さらに発掘調査を重ねた結果、それがティタノサウルス形類の化石と判明し、2014(平成26)年に国内5例目の新属新種の恐竜として学名が付与された。

 兵庫県丹波市山南町谷川にある丹波竜化石工房「ちーたんの館」は、恐竜の化石展示や発掘作業を推進する拠点施設だ。館内には丹波竜の全身骨格展示をはじめ、発掘調査の経緯を紹介、化石のクリーニングなども行っている。

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