美観地区を貫流する倉敷川は開削された用水。物資を運んだ高瀬舟が盛んに往来した。川沿いに常夜灯や荷揚場が残り、往時の繁栄を今に伝える。

特集 一輪の綿花から始まる倉敷物語 〜和と洋が織りなす繊維のまち〜〈岡山県倉敷市〉 備中綿で繁栄した天領地

2ページ中2ページ目

美観地区に託された”まちづくり”の理想

大原美術館から今橋を渡ると、豪壮な大原家本邸(左)と有隣荘がある。大原家は綿の仲買商や米問屋などで財を成した豪商。美観地区の大原家の10棟と宅地が国の重要文化財。

青空に映えていっそう美しいなまこ塀の土蔵群。路地を歩くとタイムスリップしたような錯覚を覚える。

1930(昭和5)年に大原孫三郎氏によって創設された大原美術館。所蔵するコレクションは海外でも極めて評価が高い。

 倉敷に富を呼び、倉敷川畔に白壁土蔵と豪商屋敷を並ばせた伝統の繊維産業は、明治期の近代化を迎えてさらに隆盛する。日本政府は殖産興業を掲げ、外国産の綿糸に対抗するために民間紡績会社の育成を奨励した。そうして国内初の民間紡績所となる下村紡績が倉敷の児島に、玉島には玉島紡績が設けられた。時は1881(明治14)年。

 続いて1888(明治21)年に、かつての倉敷代官所跡にイギリス式の最新の機械と設備を備えた倉敷紡績所(現クラボウ)が創設される。この倉敷紡績はその後、国内屈指の紡績会社へと成長し、その社長であったのが大原孫三郎氏だ。大原家は江戸時代からの大地主で、綿や米問屋でも成功した豪商であり、また村長を務めた家柄だった。

 孫三郎氏は紡績事業で得た利益を惜しまずに理想のまちづくりに投資した。大原美術館を設立したのも決して趣味でなく、「誰にも本物の西洋美術に触れられる場所を」という親友であった画家、児島虎次郎の考えに共感し、教育に役立てたい思いからだった。西洋美術など鑑賞する余裕もなかった時代にである。

 こんな逸話もある。戦時中、倉敷が空襲を免れたのは人類共通の財産である世界的な美術品を爆撃で焼失させるなとの連合国総司令部の指示があったからとも言われる。ともあれ孫三郎氏は文化事業や教育、さらに社会事業や福祉事業、また電力会社の設立にも関わった。そして理想のまちづくりを追求した孫三郎氏の遺志は長男の總一郎氏に継がれる。

倉敷紡績の工場跡に造られた「倉敷アイビースクエア」。美しいレンガ造りの建物は現在、資料館、ホテルやレストラン、展示室などさまざまな施設を備え、人気の観光スポットになっている。

元工場は展示室として利用される。

原綿倉庫を資料館として利用する倉紡記念館。

 倉敷絹織[けんしょく](現クラレ)の社長であった總一郎氏は、鶴形山を中心とした一帯を、ドイツのロマンチック街道の中世の街、ローテンブルクのような歴史の面影を残した美しいまち並みにしようと構想した。そして提唱したのが「倉敷ローテンブルク構想」。この理想がなければ倉敷は一地方都市でしかなかったかもしれない。

 そして總一郎氏は、倉敷川畔に倉敷考古館や倉敷民藝館などを設ける。倉敷紡績所本社工場の赤レンガ造りの建物を活用して、蔦[つた](アイビー)の絡まる「倉敷アイビースクエア」をオープンさせるなど、古い建物や伝統を引き継ぎつつ時代に合わせて復活させた。こうした見識と理想は行政をはじめ倉敷の多くの人々に託されて、美観地区の景観は今日も大切に保全されている。

 まちづくりに賭けた先人の情熱を知って柳並木が続く倉敷川畔を散策すると、伝統を新陳代謝するこのまちの奥深い魅力が見えてくる。観光客があししげく足を向ける先に「倉敷デニムストリート」があった。児島ジーンズストリートにあるブランドの店がここ美観地区にも集まっている。

“世界の児島ジーンズ”を代表する1社の美東。「社員はほとんど地元出身者です。新しい工房やブランドを立ち上げる若い仲間もどんどん増え、伝統に縛られるのでなく、互いに協力して児島ジーンズを世界に発信していきたいです」と代表の新谷さんは話す。

 学生服で知られる児島は、国産ジーンズ発祥の地でもあり、高い品質と加工技術は世界のアパレルメーカーも注目している。ビッグジョンやベティスミスなどの老舗の多い児島では、会社設立15年の美東(有)は新しいファクトリーだが、生地の裁断、縫製、多彩な加工、洗いなどを自社で一貫して行い、優れた加工技術と風合の良さで国内外の有名ブランドからの注文で生産。自社ブランドもある。

 代表の新谷順一さんはこう話す。「もうナショナルブランドの時代ではなくブランドが個性を競う時代です。求められるのはなによりも高品質です。加工に40工程もの手間をかけて仕上げるものもあります。この手間と細部のこだわり、そして熟練の技術、それこそ児島ジーンズが世界に誇るものです」。児島ジーンズは、いまや国際的なブランドだ。

 倉敷川を高瀬舟を思わせる川舟がのどかに進む。その川面にゆらゆらと映る白壁の蔵や商家。古き良き時代の日本のまち並みとはまさにこういう風景をいうのだろう。

ページトップへ戻る
前のページを読む
  • 特集1ページ目
  • 特集2ページ目
ローカルナビゲーションをとばしてフッターへ