近江八幡側から望む沖島。淡水湖で人が住んでいる日本唯一の島で世界でも珍しい。島は、真横から見ると観音様の寝姿に似ている。

特集 琵琶湖とその水辺景観〈滋賀県高島市・近江八幡市・米原市〉 山紫水明の湖国、近江

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湖東に浮かぶ漁師の島と、祈りの泉水

沖島漁港。湖魚の種類や季節ごとに漁法が営まれ、ほとんどは夫婦で漁を行っている。対岸の近江八幡側の堀切新港との往来には通船と呼ばれる定期船か、自家用の漁船を利用する。

島は平地がほとんどなく、島内は狭い道しかない。交通手段はもっぱら三輪車だ。

島を案内してくれた西居さん。今も現役の漁師で、漁に出るのが一番の楽しみだそうだ。沖島の歴史や生活を語る伝承塾の講師でもある。ちなみに「島では琵琶湖を、みな海と呼んでます」とのこと。

 湖東から琵琶湖を挟んで眺める湖西は、比叡山とそれに連なる比良山系の急峻な山々が琵琶湖のすぐ背後に屹立[きつりつ]している。湖東側には多くの河川が流れ込み、広々とした平野が大きく開け、空まで広く感じる。そのほぼ中ほどにある近江八幡市を訪ねた。目指したのはよく知られる水郷ではなく、沖合1.5kmに浮かぶ沖島[おきしま]だ。

 正しくは近江八幡市沖島町。淡水湖で人が住む日本で唯一の島へは、定期船で約15分。湖面に横たわる島は観音様の寝姿に似て、古くから湖上航海の安全を祈る神の島と崇められ、『万葉集』にも詠まれている。

 西居正吉さん(83)が港で出迎えてくれた。西居さんは沖島に生まれ育った生粋の漁師だ。そして開口一番、「850年前に源氏の落人7人が住んだのがこの島の始まりです」。島は周囲12km。全島が石英班岩[せきえいはんがん]の山で、漁港近くの海岸線に僅かにある平地に家々は密集している。藤原不比等[ふじわらのふひと]が建立したと伝わる奥津嶋神社とお寺が2つ、小学校もある。ただし、車はない。

 「昭和30年代には800人以上もいて賑やかだった」と西居さんは言う。現在は戸数120戸、人口は約300人。漁師は約100人。「昔は島に生まれた男はみな漁師と決まっていた。親父も爺さんも、その先のご先祖もみんな漁師や」。島の暮らしを支えているのは昔も今も漁業だ。沖島漁協は琵琶湖で一番の漁獲高を誇る。

 琵琶湖には50種以上の固有種が生息する。それを5t未満の船で、底引き、刺し網、定置網、沖引網など多彩な漁法で漁をする。漁場は琵琶湖一円。エビやアユ、ビワマス、ニゴロブナ、イサザ、モロコ、ゴリ、シジミなどを捕る暮らしは基本的には昔と変わらない。800年以上、そうして琵琶湖の恵みをずっと暮らしの糧としてきた。連綿と継がれる島の暮らしそのものが貴重な遺産といってもよい。「こんなエエとこない。旅行いっても、いつも、はよ帰りたい」と、西居さんは話してくれた。

沖島漁協では、沖島のお母さんたちが作る沖島の名産を販売している。観光客にも人気の鮒寿しをはじめ、海老豆やモロコの南蛮漬け、イサザの佃煮など、どれも琵琶湖の珍味だ。

琵琶湖の伝統漁法「エリ漁」。定置網の一種で、前進しかできない魚の習性を利用して、仕掛けの先の網に取り込む漁法だ。

 沖島を後に、東海道本線で米原市を目指した。そこに、日本遺産の「水と祈り」に登録されている醒ケ井宿[さめがいしゅく]がある。江戸時代、中山道の物流の拠点として賑わった町並みは国の登録有形文化財で、地蔵川という梅花藻[ばいかも]が繁茂する美しい川が流れる町として人気が高い。

伊吹山の水の神に奉納される米原市朝日地区の「朝日豊年太鼓踊」。1300年の歴史がある国の無形民俗文化財。

米原市の醒ケ井は、古い宿場町の佇まいの中を地蔵川という清流が流れる。水が清らかでなければ育成しないといわれる梅花藻が揺れる美しい川だ。

 この醒ケ井の由来が、古代から神が宿り、修験道の聖地でもあった伊吹山のヤマトタケル伝説に因んでいる。『日本書紀』では日本武尊[やまとたけるのみこと]は、伊吹山の神である伊吹大明神の大蛇と戦って傷を負う。その傷を癒したのが地蔵川の源泉とされる「居醒[いさめ]の清水[しみず]」だと伝わり、古くから神の泉水とされているのだ。

 堂々たる山容の伊吹山は、古来、水の神が棲まうとされ、山麓周辺の人々の尊崇と祈りを集めてきた。伊吹山に降る雨や雪は伏流水となり、やがて山麓の集落を潤す。伊吹山の西麓、米原市朝日に1300年来伝わる「朝日豊年太鼓踊[あさひほうねんたいこおどり]」もまた伊吹山への感謝と水への祈りだ。

 もとは雨乞い踊りだが、今では伊吹山の水神への感謝として行われている。鉦[しょう]、太鼓に合わせて踊る太鼓踊は国の無形民俗文化財で、これまで途切れずに受け継がれている。伊吹山の西麓地域では他の村々でも山に向かって、雨乞い御礼と水への祈りを太鼓踊に託して奉納している。

 琵琶湖を巡り、それぞれの水辺景観の中に見つけたのは琵琶湖と共生する先人たちの暮らしの知恵と工夫の歴史であった。それが、ここそこの風景の奥に潜んでいる。比良の山々の向こうに陽が隠れる頃、湖面を輝かせた琵琶湖はまさに祈りの風景そのものに思えた。

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