針江大川の河口付近は自然環境が管理され、生態系のバランスがとれているという。ここには野鳥や虫、川にはニゴロブナをはじめ、琵琶湖固有の多くの魚たちが生息する。

特集 琵琶湖とその水辺景観〈滋賀県高島市・近江八幡市・米原市〉 山紫水明の湖国、近江

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湖西の生水の郷、川端のある水辺景観

針江地区の川端は家々によって大きさや作りが異なる。共通しているのは、壺池があり、端池には大きなコイや魚が泳いでいること。そして生水を利用する地区の約束事を守ることだ。

 湖西線の車窓に、満々と水を湛[たた]えた琵琶湖が横たわる。対岸の湖東の山々はまるで薄墨で描いたようだ。水蒸気で霞んだ、淡々[あわあわ]とした繊細な風景、これぞ山紫水明というのだろう。あたかも至近にあるかのように車窓に映っていた比良の山々が途切れると、琵琶湖にせり出した平野が現れた。最初に向かったのは、湖西の滋賀県高島市新旭町針江。

 のどかな田園地帯が広がる。針江地区は背後地の朽木[くつき]の山や丹波山地を水源とする安曇川[あどがわ]がつくり出した巨大な扇状地の北部にある。安曇川の支流や伏流水が流れ込み川となった針江大川が中央を流れ、そして方々に水が湧き出している。多様な生き物が生かされていることから、この地区ではその湧き水を生水[しょうず]と呼ぶ。

針江地区の川端の構造。野菜や食後の食器を洗う壺池、壺池から流れ出た残飯を食べるコイが泳ぐ端池に分かれている。針江地区では、地下約10〜20mまでパイプを打ち込めば、ほぼどこでも生水が湧き出すという。

 生水は新旭町の各地区に見られるが、特に針江地区のほとんどの家では200年以上前の、伝統的な「川端」の生水を今も生活水に利用している。生水はむろん「平成の名水百選」に選ばれ、針江の川端の景観は隣の霜降地区とともに国の重要文化的景観に選定されている。

 針江は今や全国的にも有名だ。約170戸、約600人の誰もが「生水の郷」を誇らしく語る。200年の歳月を経て地表に湧き出す生水の1日の湧水量は、タンクローリー車200台分(約4,000kℓ)、水温は年間を通じて約13度。夏は冷たく冬は温かく感じる。ひと味違う旨味のある軟水だ。

 針江地区の川端には、屋内の内川端と屋外の外川端があり、壺池[つぼいけ]、端池[はたいけ]と役割分担がある。野菜を洗って冷やしたり食後の食器を洗ったりする壺池。端池は鯉池ともいい、大きなコイが何尾も泳いでいて、洗い物に付いた米粒や総菜の食べ残しを掃除し、家庭から水路に流れ出る水をきれいにしてくれるのだ。

 そんな川端や水路は人間を含めた多様な命を育む場所でもある。そして水は最終的に琵琶湖に戻る。「水を汚せば琵琶湖の生態系のバランスがおかしくなる。きれいな水を琵琶湖にお返しせなあきません。川端は実に合理的に考えられたエコシステムです」と針江の人たちは口々に語る。自然の循環を風景として教えてくれる川端は、暮らし方の遺産でもある。

琵琶湖の郷土食「鮒寿し」。一般的には1年乳酸発酵させるが、海津の鮒寿しの老舗「魚治」では2年漬ける。創業230年のこだわりと手間をかける。

海津は古来から交通の要地。湖岸線に沿って築かれた防波堤の石組み。江戸時代には加賀藩の飛び地として港を構え、琵琶湖の湖上交通を通じて京や大坂に物資を流通させていた。

「イメージと先入観だけで鮒寿しが苦手な人が多いですね。和食が世界遺産に登録されて発酵食の鮒寿しが注目され、外国のお客さんが増えています」と、7代当主の左嵜さん。本来、鮒寿しは湖国の伝統的な郷土食で、漬け方は同じでも家庭ごとの味があるという。

本もろこの旨煮。琵琶湖固有種を活かした魚治の逸品。

 針江大川は驚くほど透明で、流れは速く、夏でも刺すほど水は冷たい。流域にはコイやニゴロブナ、タナゴ、カワエビ、ヨシノボリ、アユなど命が豊かだ。河口付近の葭原[よしはら]はその生命を育てる揺りかごとして、大切に保護されている。評判の豆腐屋さんで生水でつくった豆腐をそのままほうばった。素朴な甘みと旨味が口中に広がった。

 湖岸をさらに北へと辿る。竹生[ちくぶ]島を間近に望む海津[かいづ]、西浜、知内[ちない]の水辺も貴重な文化的景観だ。古来、日本海と畿内を結ぶ陸運、水運の拠点として栄えた地域だ。その歴史と賑わいの面影として、琵琶湖の大波から町を守るために築かれた1km以上もの石組み、旧街道沿いの江戸時代末期の漁業組合の旧倉庫や家並みが挙げられる。

 エリ漁やヤナ漁、カラスの羽で稚アユを捕るオイサデ漁などの琵琶湖の伝統漁法も景観要素で、これらの漁は海津周辺でよく見られる風景だ。そして海津では、創業が江戸時代の1784(天明4)年という「鮒寿しの魚治[うおじ]」に立ち寄った。鮒寿しは寿司のルーツの「熟[な]れ鮓[ずし]」だ。

 琵琶湖固有のニゴロブナを春先に塩漬けにし、7月の土用の頃にご飯と合わせて仕込み、1年から2年、乳酸発酵させてつくる。7代目治右衛門の左嵜謙祐[さざきけんすけ]さん(41)は「かたくなに、230年前と変わらないこだわりと製法でつくり続けています」と話し、こう言い添えた。「鮒寿しは琵琶湖の宝です」。

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