金沢は第2次世界大戦の戦禍を免れた数少ない都市で、震災にも遭わず、藩政時代の城下町の様子がほとんどそのままに残っている。町割はほぼ昔のままで、武家の町、商人の町、寺の町、お茶屋街と、それぞれ特徴のある町並みを散策するのも楽しい。そうして気付くことは、金沢城の周辺には料亭が多いことだ。どこも歴史があり、格式のある店構えだ。
尾山神社近くにある金沢を代表する加賀料理の老舗「大友楼」。江戸時代には代々加賀藩の御膳方(料理方)を務めた。
「大友楼」の7代目当主、大友さん。「金沢にはもともと饗応(きょうおう)の文化があります。おもてなしをし、およばれする場所が料亭です。金沢人はプロの味を知っています。そうした方々に鍛えられて洗練していったのです」と話す。
金沢城のすぐ西側、尾山町にある「大友楼[おおともろう]」は金沢を代表する加賀料理の老舗だ。代々加賀藩の御膳方[ごぜんかた]を務めた家柄で、当主の大友佐俊[さとし]さんは7代目。大友さんは加賀藩の台所事情を描いた映画『武士の献立』で登場する饗応[きょうおう]料理の数々を監修した。その大友さんはこう話す。「藩政時代から受け継ぐ加賀の伝統文化を、料理を通じて体験していただいています。それは金沢のおもてなしの心と美意識です」。
苔が美しい庭続きの座敷に通され、用意していただいたのが加賀料理を代表する「治部煮[じぶに]」。大友楼では「治部」とするのが習わしで、鴨肉に小麦粉をまぶし、金沢独自のすだれ麸や加賀野菜と一緒に甘辛い汁で煮た料理だ。それを底の浅い専用の治部椀に盛り付けてわさびを天盛りにする。椀の中で鴨肉と小麦粉のあんが絡む具合を目で楽しむために深い椀を使わない。椀は使い継がれてきた山中塗。
濃いめのあんがとろりとした鴨肉に絡み、まったりと喉を通る。あんのせいで冷めにくく、身体がほっこりと温もる。冬の金沢では格別だ。シンプルな料理だが、蒔絵を施した漆椀に盛られるといかにも加賀料理らしい雅さを漂わせる。「食材をどう際立たせるか。シンプルであるほど盛り付けには感性に響く演出が必要なのです」。
金沢では「かぶら寿し」がないと正月が来ないとまで言われる。カブラの食感と香り、糀のほんのりとした甘みが絶妙に合わさる。九谷焼の皿に盛られて食卓に上る。(写真提供:四十萬谷本舗)
ふぐの子の糠漬け。ふぐの卵巣は2年間糠に漬けると毒素が抜けるそうだ。酒の肴、お茶漬けにも最適。ふぐ加工には資格免許が必要で、公的機関による検査を受け合格したもののみが販売される。
もう一品も加賀料理の定番で、正月やめでたい祝宴の席に欠かせない「鯛の唐[から]むし」。お頭付きの鯛を背開きにし、にんじんやごぼうなどの具を混ぜたおからを詰めて蒸し上げる手間をかけた料理。背開きにするのは武士社会では“腹を裂く”のを嫌ったためだ。婚礼の席では鯛の雄雌二尾を腹合わせに盛り付け、子孫繁栄を祈る。
九谷焼の豪華な大皿に盛り付けるのが決まりで、それは見た目にいかにも豪華でめでたくて迫力がある。大友楼では懐石コースを金沢らしい空間とおもてなしで、存分に客を楽しませる。「食事全体の雰囲気をプロデュースし演出するのが料亭料理です」と大友さん。金沢には伝統の料亭文化が息づいている。
かぶら寿しも加賀の郷土の味で、正月にはなくてはならない加賀の味だ。ブリとカブラを塩漬けにした後、糀[こうじ]でさらに漬け込んでゆっくり熟成させた“なれ寿司”の一種。昔はどこの家庭でも作っていた金沢の“おふくろの味”。鯖と大根の大根寿しは庶民の味。食卓の定番といえば糠[ぬか]漬けも加賀伝統の味だ。
油与商店の7代目、寺尾さん。昔ながらの伝統製法で糠漬け、粕漬けを作っている。「糠漬けは加賀の伝統食です。その製法はずっと守っていきたいです」と話す。
こんかいわし。「こんか」とは米糠(こめぬか)を小ぬかと言い、それが「こんか」となまった。加賀の伝統的な保存食。
金石港近くの「油与[あぶらよ]商店」は創業300年で、店主の寺尾高明さんは7代目。名物のふぐの子の糠漬けや、こんかいわし(糠漬けいわし)など、郷土の味を伝統製法で作り続けている。木の樽に木蓋をして河石を載せて漬ける。鯖、鰤、さんま、鰊[にしん]、かわはぎの糠漬けもある。ひと樽ごとに手で塩をふり、丹精込めて昔ながらの加賀の味を守り続けている。「手間と時間のかかる仕事です。金石ではもう私ども1軒だけです。新商品を開発して新しい市場にもチャレンジしています」と寺尾さん。
訪れた金沢はどの日も、空はどんよりと曇って、小雨がしぐれになり、やがて雪に変わった。と、思えば突然、雲間から陽光が差して青空がのぞいた。一日に何度も目まぐるしく空模様は変わり、そのたびに金沢の街の景色が変わる。雪の後に差し込む光はこの歴史ある城下町を一層鮮やかに映し出した。それは大友楼で供された、九谷焼の皿に盛られた加賀料理の一品の鮮やかさのような印象がした。