沿線点描【東海道本線(琵琶湖線)】京都駅〜米原駅(京都府・滋賀県)

比良の山並み、琵琶湖を車窓に風光明媚な近江路を走る。

東海道本線の京都駅から米原駅まで約68km、
この区間は“琵琶湖線”の愛称を持つ。
琵琶湖の東岸沿いに北上し、
湖畔の町々を訪ねた。

大津駅から琵琶湖はすぐ。滋賀県のシンボルで日本最大の淡水湖だ。

開業140年、4代目の京都駅から近江の街へ

開業20周年を迎える京都駅ビルのアトリウム。京都の玄関口として国内外の人で賑わう。

1880(明治13)年に竣工した旧逢坂山ずい道東口。日本人の技術者が主体となり設計、施工を行った日本初の山岳ずい道。経済産業省の近代化産業遺産にも認定されている。

 琵琶湖線の起点は京都駅。現在の駅舎は1877(明治10)年の開業から数えて4代目。平安遷都1200年の記念事業として建てられ、今年20周年になる駅ビルは千年の古都らしく「歴史への門」をイメージしているという。約4,000枚のガラスで覆われた巨大なアトリウムや長大な大階段など、駅自体が国内外から訪れる観光客の観光スポットになっている。

 京都駅の2番ホームから列車が静かにホームを離れる。鴨川を渡ってすぐに東山トンネルに入り、抜ければ山科[やましな]駅だ。ここで琵琶湖の西岸を走る湖西線と分かれ、琵琶湖線は新逢坂山トンネルに入る。列車から見えないが、大津〜京都駅間の旧線に「旧逢坂山ずい道」が残る。外国人技師に頼らず日本人の力だけで初めて掘削したトンネルであり、鉄道記念物に指定されている。

 トンネルを出ると滋賀県、すぐに大津駅だ。広々した琵琶湖のたおやかな風景は文化庁が「琵琶湖とその水辺景観ー祈りと暮らしの水遺産ー」として認定する日本遺産である。琵琶湖は駅から歩いても遠くない。湖畔には遊覧船の港があって比叡山や比良の山々を背景に琵琶湖が青々と広がる。大津駅の隣の膳所[ぜぜ]駅(旧馬場駅)は県下最古の駅で、開業は全国でも19番目に古い。その隣駅の石山駅は名刹・石山寺への最寄り駅で、この石山寺にて紫式部は、かの『源氏物語』を構想したといわれている。

大津駅は昨年10月にリニューアル。また、あわせて駅直結の商業施設「ビエラ大津」がオープンした。

 石山駅の傍を瀬田川が流れている。瀬田川は琵琶湖から流れ出る唯一の河川で、「瀬田の唐橋」は壬申[じんしん]の乱や源平合戦の舞台である。京と東国を結ぶ要地の瀬田川は度々歴史上の重要な役割を担ってきた。近江八景「瀬田の夕照」として知られる景勝地であるが、現在はカヌーやボート競技なども行われている。

日本三名橋の一つで近江八景「瀬田の夕照」で知られる瀬田の唐橋。現在の橋は1979(昭和54)年に架け替えられた。

 琵琶湖の南端の瀬田川を列車は渡り、琵琶湖の東岸を北上する。草津は、東海道五十三次52番目の宿場町として栄えた。車窓からは、湖東平野のシンボルで「近江富士」と呼ばれる三上山が見え、『万葉集』ゆかりの蒲生野を列車は走る。野洲駅を過ぎると、鉄道ファンにはたまらない風景が現れる。無数の線路に無数の鉄道車両。「網干総合車両所宮原支所野洲派出所」の広大な車両基地だ。篠原駅を経て間もなくすると、近江八幡駅に到着する。

東海道と中山道の分岐点だった草津。写真上は草津宿本陣で国の史跡に指定されている。写真右下は旅人の目安になった常夜燈。

「網干総合車両所宮原支所野洲派出所」。この車両基地で各路線の車両の検査・修繕を行う。

近江商人の故郷、水郷の町から宿場町へ

標高271.9mの八幡山山頂からは近江八幡の旧城下町や琵琶湖が見渡せる。

近江商人発祥の地、近江八幡。商家や土蔵群が建ち並ぶ風景は、江戸中期から明治時代に全国で活躍した近江商人を偲ばせる。八幡堀は琵琶湖へと繋がり、その昔は荷を積んだ舟が行き来した。今では観光舟として往来する。

 近江八幡は湖畔の美しい町だ。豊臣秀吉の甥の秀次が開いた城下町で、近江商人発祥の町の一つ。「重要伝統的建造物群保存地区」には豪商屋敷や商家群、琵琶湖に通じる八幡堀に並ぶ白壁土蔵、水路には小舟が浮かぶ。映画やテレビの時代劇のロケ地でおなじみの風景だ。江戸時代を体感できる町の散策や琵琶湖の自然を味わう水郷めぐりなど、魅力は尽きない。

 さらに、この町を語る上で欠かせないのがウィリアム・メレル・ヴォーリズ。1905(明治38)年に英語教師として来日したヴォーリズはさまざまな社会貢献活動を行った。特に日本の近代建築に果たした功績は多大で、その建築は1,600を数えて全国に残る。ヴォーリズゆかりの異国情緒ある洋風建築が町のあちこちに残っていて、観光コースにもなっている。土蔵と洋館が織り成す町並みは、この町の個性になっている。

織田信長が1576(天正4)年に丹羽長秀に命じ、約3年の歳月をかけて築城された安土城。重厚な石垣や礎石が残り、国の特別史跡に指定されている。

彦根の城下町をイメージした夢京橋キャッスルロード。白壁と黒格子の町家が並ぶ。

 近江八幡駅から再び旅を続ける。隣の安土駅へ。織田信長が築城した安土城は5層7階で高さ33mといわれ、その威容が偲ばれる城跡が残っている。小高い山の頂上に向かって、おびただしい数の石畳が真っすぐに段を重ねる。下から仰ぐと、ど迫力だ。湖岸を北上する列車は琵琶湖に注ぐいくつもの川を渡る。愛知[えち]川、宇曽川、犬上川、そして芹[せり]川を渡ると彦根駅に到着だ。

 彦根は徳川譜代大名、井伊家14代の城下町。国宝の3層3階の彦根城天守は駅からも見える。彦根山の山上の白亜の天守は凛として城下町の品位を感じさせる。天守のある彦根山全体が堅牢な城郭である上、城下は三重の濠で守られ、芹川はさらに防護用の堀の役割を果たし、町全体が4つの郭で構成された総構え城郭都市だったようだ。

 彦根駅の次が今回の旅のゴールである米原駅。中山道[なかせんどう]と北国[ほっこく]街道が交わる米原の宿は、古くから交通の中継地で、現在では東海道本線と北陸本線の分岐点となっている。琵琶湖東岸の旅は見るべきところが多い旅だった。

国宝・彦根城築城400年祭のキャラクターとして誕生した「ひこにゃん」。

中山道の62番目の宿場、米原の番場宿。蓮華寺や脇本陣跡などの史跡が残る。

築城410年の国宝・彦根城

国の重要文化財に指定される彦根城二の丸佐和口多聞櫓(写真一番手前の建物)。1767(明和4年)に火災で焼け、現在の建物は明和6年から8年に再建された。

姫路城、松本城、犬山城、松江城とともに国宝に指定される彦根城。彦根山上にあった寺院に金の亀に乗った観音像が安置されていたことから別名「金亀城」とも呼ばれる。

 彦根駅からでも見える白亜の彦根城。現存する数少ない天守の一つだ。彦根藩初代藩主・井伊直政が築城を計画し、完成までに約20年。幕府の総力で造る「公儀普請」で行われた。長浜城や安土城からも櫓や石垣などの資材を集めて築かれたという。

天守からは彦根の城下や琵琶湖が見渡せる。

 関ヶ原合戦の後、西国の大名に睨みを利かせるために築かれた井伊家14代の居城で、今年で築城410年を迎える。天守の特長は通し柱を用いず各階ごとに積み上げた独特の構造。自然石で積まれた「牛蒡[ごぼう]積み」の石垣。3層3階の屋根には「切妻破風[きりづまはふ]」や「入母屋破風[いりもやはふ]」など18もの破風によって、ほかの天守にない美しさを誇る。そんな天守から城下を見渡せば、琵琶湖を一望し、比良山系や鈴鹿山系の山々を見渡せ、伊吹山も間近に見える。

彦根藩の政庁であった表御殿を復元した彦根城博物館には、井伊家伝来の美術工芸品や古文書など約4万5千点の一部が展示されている。学芸員の奥田さんは、「人気は“井伊の赤備え”の甲冑です」と話す。

 井伊家伝来の品を展示する「彦根城博物館」学芸員の奥田晶子さんは、「大河ドラマ『おんな城主 直虎』では井伊家が取り上げられていますが、当館でも直虎についての展示を考えています」と話す。館内には「井伊の赤備え」で知られる朱色の甲冑も展示され、彦根城を訪れた際には、この博物館をぜひ見学してみてはどうだろう。

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