一演目の上演時間は約40分となかなかの長丁場。長浜では歌舞伎を狂言と呼び、伝統的に子供たちにも歌舞伎文化が根付いている。

特集 滋賀県長浜市 長浜曳山祭

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世代が助け合い守る子供歌舞伎の文化

 曳山は1基を除く12基が前部に歌舞伎の舞台を備え、幕で仕切られた後部が楽屋、そして2階の亭[ちん]でシャギリが奏でられる。祭りは4月9日から17日で登場する4基の「出番山組」の曳山が3年ごとに交代する。「巡行は優雅にゆったりと曳くのが長浜流」。そう話す岩崎隆一さんは来春の曳山祭を統括する總當番[そうとうばん]の委員長だ。

 岩崎さんは言う。「長浜の町中に生まれた男の子にとって、祭りは責務です。私など年中お祭りのことばかり考えてます」。実際、祭りの2カ月後の7月にはもう各町の山組で総会が開かれ、翌春の祭りの準備が始まる。「出番山組」でなくても役割があり、一年中、祭りのことが頭から離れない。

 祭りはたいてい中老、若衆と呼ばれる組織が一体で行う。町内の各家も場所を提供し、町内全体で祭りを支え盛り上げる。伝統的な自治の仕組みが、祭りを通して人と人、地域と人を繋ぐ。そして周到に準備されるのが「子供歌舞伎」だ。長浜では子供狂言と呼ばれ、狂言を演じる子供たちが主役。大人たちは子供たちを助ける裏方だ。

 ご自身、4回も子供歌舞伎で役者を務めた岩崎さんは「緊張するけど気分のいいものです。町内のヒーローです」。

曳山に4畳半ほどの舞台が設けられ、子供歌舞伎が行われるようになったのは『長浜古記』によると、250年以上前。1742(寛保2)年の台本や、現存最古の曳山から察して18世紀半ばには子供歌舞伎が演じられていたようだ。

あどけなさが残る子供役者だが、演技は大人顔負け。見栄を切るたびにかけ声と歓声がわき起こる。

總當番委員長の岩崎さん。「町も人も変わっていく中で、曳山祭を守り続けることは意義のあることです」と話す。

子供歌舞伎が演じられる舞台の2階部分が「亭」。曳山の絢爛な意匠と飾りに驚かされる。

 その時代、京や大坂で流行していた歌舞伎を曳山に取り入れたと言われる。「そういう大胆で奇抜なことを面白がったのが長浜の旦那衆だったんじゃないでしょうか。新[あたら]しもんが好きな土地ですから」と岩崎さん。演題は大歌舞伎のものを改め、動きも曳山の小さな舞台に合わせているが、演目は年ごとに縁起を担いで新しい「外題[げだい]」が創作される。

 役者は原則、町内の子供たちから5〜6人を選び、配役を決め、衣装を整え、3月半ばから祭り前日まで厳しい稽古が行われる。台詞を習い、振り付け師から歩き方や歌舞伎の所作を学ぶ。この間、若衆が付きっきりで親以上に世話をする。子供たちはそこで礼儀作法や社会のルールを身に付けていくのだという。

子供たちは役が決まると、振り付け師の指導で厳しい稽古が続く。

 曳山祭、子供歌舞伎を通じて、一つの町が世代を越えて交わり助け合う。長浜曳山祭囃子(シャギリ)保存会の会長で、祭りの生き字引のような辻喜八郎さんは「子供たちを育てるということ。長浜の歴史、伝統を学ぶところに祭りのもう一つの意義があります」。そして「曳山祭は大人も子供も一緒になって助け合うのが長浜の文化です」。

長浜曳山祭囃子保存会会長の辻さん。シャギリは祭りの進行役でもある。

長浜曳山祭囃子保存会では、伝統を途絶えさせないようにと、各山組において毎週練習を続け、受け継ぐ人材を育成している。

 太鼓、すり鉦[がね]、篠笛で奏でるシャギリは曳山の巡行を司る重要な役割を担っている。長浜のシャギリの音色の特長は狭い道をそぞろ曳くのに合わせてゆっくり、ゆったり。曲は20曲以上もあり、道行きによって曲も変わる。シャギリがなくては曳山祭は成立しない。ところが、一部の山組を除いてこのシャギリ方が絶えかけた。

 この事態を危ぶみ、保存会はシャギリを五線譜に採譜し絶えかけた伝統の音を復活させた。メンバーには子供歌舞伎に参加できない女の子たちも多く、シャギリ方として祭りに参加できることに誇りを持っているそうだ。「音は練習し続けないとダメ。にわか仕込みはものにならない。曳山祭を継承していくためにも小さな頃から養成しなければ」と辻さん。

 子供たちはやがて若衆になり中老になる。400年以上にわたって伝統はこうして次の世代へと引き継がれてきた。淡々とした湖北の町の風景は、曳山のように艶やかであり、そしてまたシャギリの音色のように穏やかで美しかった。

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