黒谷の共同作業場で紙漉きをする佐々木さん。土地のお年寄りに教えられた紙漉きの技術もようやく身に付いてきた。「それでも紙漉きは難しい。簀桁の扱い方で紙の仕上がりは違います。まだまだです」と言う。

特集 京都府綾部市 黒谷和紙

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黒谷和紙に惹かれ、伝統を繋ぐ

黒谷川に沿って歩いていると、川の浅瀬で「かごもみ」をする一人のおばあさんがいた。楮を黒谷ではカゴと呼び、楮の黒皮を川の水に晒し、何度も何度も足で踏んで揉みほぐす作業だ。以前なら黒谷のどの家先の川でも見られた光景だが、今ではする人も少ない。水は凍てつくほど冷たい。

 この光景一つにして、紙作りの厳しさを理解するのには十分だ。長靴でも足は痺れる。黒谷和紙はこうした作業を含め、伝統を正直に守って作られる。原材料の楮を栽培し、刈り取って蒸して煮て川に晒し、1本1本の楮の皮を剥ぎ、小さな汚れやゴミを丁寧に取り除き、さらに叩いて繊維をほぐす。

 根気のいる丹念ないくつもの下作業を経てからようやく紙を漉く。漉舟[すきぶね]にほぐれた楮の繊維を水とトロロアオイを混ぜて攪拌[かくはん]し、簀桁[すげた]で紙を漉く。漉き方は、流[ながし]漉きといって簀桁を前後上下に動かして繊維を並べる。それから1枚1枚を板張りにして冬の晴れた天日に干す。これが黒谷に代々継がれる楮紙の古法の手仕事だ。

 その昔、紙漉きは黒谷では女性の仕事で、仕事歌を口ずさみながら紙を漉いた。「お前紙ならわしゃ紙すきじゃ とけてすかれる身じゃわいな」。こうして、いくつもの手仕事を重ねて生まれる黒谷の楮紙は素朴だが、人肌のような温かみと、優雅で美しい表情をしている。そして何より丈夫で強い。林さんによると「強靭さは他に類がありません」。

丈夫な楮紙は、厚めのものは番傘に、薄めのものは大福帳に使われた。呉服を保管する包装や札、襖や障子など幅広い用途で重宝された。桂離宮の襖紙や京都御所の修復にも黒谷和紙が使われたという。

黒谷川で出会った堀江のおばあちゃん。82歳でなおかくしゃくと冷たい川の水に入って「かごもみ」の作業をする。

剥いだ楮の外側の黒い皮と傷やゴミを丹念に取って、きれいな白皮の状態にする「かごそろえ」をする吉野さん。根気のいる細かい作業だ。

「かごむし」をする渋谷さん。長さを揃えた楮を釜で3時間ほど煮る作業だ。紙を漉くまでの下ごしらえの工程作業の大変さを実感できる。

 民芸運動の創始者である柳宗悦[やなぎむねよし](1889〜1961年)は「手漉きの和紙はいつだとて魅力に満ちる」(『和紙の美』)と書き、日本の文化の根底に和紙の美しさや貴さが潜んでいることを教え、そこに「日本の姿が見える。清くて温くて強くて、而も味ひに溢れる風情が見える」(『和紙の教へ』)と記している。

 もう1人、柳に共鳴し、全国の和紙産地を行脚した和紙研究者で随筆家の寿岳文章[じゅがくぶんしょう](1900〜1992年)は、『和紙について』に次のような一文を綴っている。「永い時間の試練を経てきたものは、どこかに必ず存在の理由をもっている」と。愚直なまでに正直に時間と手間を惜しまず、古法を守って紙を作る黒谷の和紙にそのまま当てはまりそうだ。

以前は産業用の実用的な紙が主流だったが、工芸美術の商品も開発する。最近は和紙の風合いを生かして便せんや封書、おしゃれな葉書などが人気だそうだ。写真は今年の夏向けの新商品。

 今、黒谷和紙の伝統を繋いでいる若者たちが黒谷和紙に惹かれたのも同じようなことではないだろうか。その何人かと出会った。山本朋伸さんは10年前に大阪から黒谷に移住してクラフト作家として紙を漉いている。「食うや食わず。好きでなければできません」。吉野綾野さんは美大を卒業後、「黒谷和紙を残したい」思いで名古屋から移り住んでもう15年になる。

 大阪では臨床検査技師をしていた渋谷尚子さんは黒谷和紙の職人になって8年。「前職では味わったことがない手仕事がとにかく楽しいです」。もう一人、黒谷の共同作業場で紙漉きを披露してくれた佐々木悦子さんは11年目の感想をこう語った。「紙を漉く時のチャポン、チャポンのリズムのようにゆっくりと人生を味わえます。定年もないし」。

 佐々木さんは時折、簀桁を動かす手を休めて外の景色を味わうように眺めた。聴こえるのは黒谷川のせせらぎの音と小鳥のさえずりだけだ。組合の紙職人は現在11人中8人が都会から来た人たちだ。そんな彼ら彼女らが黒谷和紙の伝統を担っている。最後に林さんがこうつぶやいた。

 「将来、村人のお孫さんたちが村に戻って紙漉きの里の伝統を継いでくれたらと思っています。そのために私たちで技を繋いでおきたい」。800年、紙を漉く人々の暮らしが育んだ谷間の景観は今も変わらず、平穏でたおやかである。

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