鋭く海に落ち込む犬ヶ岬の沖で漁をする漁船。潮の流れは速く、大きなうねりで時折、船の姿が波間に消える。好漁場で春にはサワラのほか、驚くほど大きなタイが釣れるという。

特集 丹後半島 間人

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豊かな里海と寄り添い暮らす浦々の集落

 翌朝は、前日とはうって変わって見違えるような青い空と海だった。間人の町は港を見下ろす海岸段丘の上に、家々は日本海から吹きつける厳しい風に耐えるように肩を寄せ合って密集している。「間人千軒」の往時の賑わいは今は昔語りだが、道の両側にずらっと軒を連ねた家々の風情はなぜか心が安らぐ。曲がりくねった路地を抜けて坂道を港に向かって下りた。

 漁港で朝8時の競りをのぞくと、前日の時化のせいで水揚げは少なかったが、仲買人たちが忙しげに並べられたトロ箱の魚介を品定めし、カレイ、ハマチ、サワラ、サクラダイなどが手早く競り落とされていく。

 仲買人の男衆に混じって女性の姿もあった。「女の仲買人、間人では珍しないで。もう40年以上やってる。間人の女はみな元気で、働き者なんや」と威勢よく答えてくれた『下戸[おりと]』友子さんは、鮮魚店を息子に任せ、仕入れた魚を乳母車に積んで今も行商を続けている。峰山や遠く内陸の集落に行商に出かける人もいるそうだ。「みな、古い馴染みのお得意さんがいて、待っててくれるさかいな。そやから頑張ってる」。地形的に田畑の少ない間人では家族全員がよく働いた。こんな古い言い伝えがある。「間人から嫁はとっても、嫁にやるな」。

海岸に向かって寄り添うように建ち並ぶ竹野地区の家々。向こうに見えるのは犬ヶ岬で、変化に富んだ美しい奥丹後の漁村の風景が広がる。

 間人から東へ立岩を過ぎ、竹野川を渡った所に美しい砂浜海岸と小さな入り江の竹野漁港がある。そこで小型定置網漁をする西口敏明さんと正俊さん父子に出会った。「専業の漁師はもう数人。定置網は私らだけや」。操業は春から秋までで、漁は主にサクラダイやブリ、ハタハタ。「最近は漁業体験クルーズもやってます」と敏明さん。世界ジオパーク認定の奥丹後の海岸線を船で巡り、漁師体験もする。これも漁師の活路の一つだ。一方、若い正俊さんはこう話す。「兄は大阪に出てしまって、残った私が漁師を継ぐことになったんです。この海では立派なタイやブリが獲れるんです。ただ、今のままでは漁師の生活は苦しい。新しい漁業と漁師のあり方を考えないと」と話す。

奥丹後には入り江ごとに、こうした小さな港が点在する。

竹野の定置網漁師の西口さん親子。春から冬まで、立岩の沖合で小型定置網漁を行う。

 奥丹後の海岸線には切り立った断崖、穏やかな入り江、白砂の砂浜、それに特徴的な海岸段丘に丹精につくられた棚田が交互に現れ、変化に富んだ美しい風景を見せてくれる。そんな海岸の入り江には素朴な漁村の風景がある。『平[へい]』という地区では、潮の引いた磯場で青海苔を採る増田さんご夫婦に出会った。「冬場なら岩海苔で、今の季節は青海苔。昔はここらでは、磯の仕事は女の仕事でした」。ご主人は、若い時に京都伏見の酒蔵に出稼ぎに出て、一時は「ガチャマン」で成功したという話も聞かせてくれた。今は目の前の海を眺めて穏やかに暮らす日々だそうだ。小舟で沖に出て釣りをし、磯で海苔を摘み、そして夫婦で海岸を掃除する。「大好きな、この丹後のきれいな海をずっと残したいからね」と話す。

平の海岸で青海苔を摘む増田さんご夫婦。冬の岩海苔は昔から村の女性たちの仕事で、採った岩海苔を薄くのばして乾かして板海苔に加工する。板で海苔を干す風景は冬の風物詩で村の貴重な現金収入だ。豊かな海はさまざまな恵みをもたらしてくれる。

 間人の西には『小間[こま]』、『三津[みつ]』などの漁港があり、海岸線に点在するこうした小さな港のどの船も間人港に水揚げされて競りにかけられる。間人は奥丹後の漁業の中心なのだ。旅の終わりに、港を見下ろす町の背後の小高い山に上ると、港を足元に青々とした海原が遮るものもなく広がっていた。前夜の宿の女将さんの言葉が思い出された。「冬は本当に厳しいです。その分、間人の人は人に優しいんです」。昔と何も変わらない豊饒の海は、明るく穏やかな海だった。

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