Essay 出会いの旅

Yoro Takeshi 養老 孟司
1936年、鎌倉市生まれ。解剖学者。でも大学引退後はやってないから、世界のお墓の研究中で、その結果は新潮社の季刊雑誌「考える人」に連載中。大の虫好き。標本集めのために、東南アジアに毎年数回旅行する。

いまはとくにゾウムシに凝っている。マンガも好きで、現在京都国際マンガミュージアム館長。ゲームも好きで、十年ほどゲーム大賞の審査委員長を務めた。著書「からだの見方」でサントリー学芸賞、「バカの壁」で毎日出版文化賞。虫以外の動物も大好き。自宅にはデブ猫の「まる」が健在。

旅は楽しい

 中国地方に頻繁に行くようになったのは、思えばここ10年くらいである。ちょうど10年前に島根県に中山間地域研究センターができた。中山間とはいわゆる過疎地域である。その開所式で記念講演をさせていただいたご縁で、以後毎年島根県に行く。むろんそれだけではない。広島にも毎年行く。広島にはスーパーサイエンスミュージアムがあって、子どもたちの理科教育をしている。そのお手伝いに行く。
 私は福岡や鹿児島に行く時ですら、よく新幹線を使う。飛行機は嫌いですか、と訊かれるが、そういうことではない。初めての機種の飛行機に乗る時は嬉しい。今年はリスボンに行くのにポルトガル航空を使ったら、フォッカー100という機種だった。フォッカーという名前は懐かしい。でもいまはもう会社がなくなった。私は子どものころに軍用機の歴史でフォッカーを覚えたのである。ハワイ航空はボーイング707を使っている。なにしろいまは787まで来ているんだから、これも嬉しかったなあ。実物にいまでも乗れるとは思っていなかった。若い人にはわからないと思うけど、私の世代はB29に散々な目に遭わされている。そのボーイングにいまでは年中乗っている。
 まあ飛行機はともかく、列車の旅はなんといっても風景である。「世界の車窓から」というテレビの長寿番組がある。リスボンではたまたまその取材班と同じホテルだった。こちらはまったく無関係の取材だったから、声はかけなかったけれど、この番組が長寿で人気があることからもわかると思う。列車から見る景色は、だれでも好きなはずである。私は大好き。
 松江に行くには、岡山から伯備線で特急「やくも」に乗る。地元の人は「揺れるでしょ」とまずかならずいう。そんなこと、平気。大学生時代から現役を引退するまでの40年間、生まれ育った鎌倉から東京まで、連日横須賀線で通った。毎日往復2時間は車内だから、景色を見るのも、車内で本を読むのも、いわばベテランである。
 伯備線から景色を見る。山ばっかりじゃないか。そうなんだけど、それがいい。木が生えていると、なんの木だろうと思う。どのくらい年数がたっていて、つまり年齢がどのくらいで、どんな虫がいるかしら。あと数十年たったら、どうなるんだろう。そんなことを考える。鳥取に近づいたら、伯耆大山が見える。ここは昆虫の宝庫。春なら桜がいくらでも見えるし、新緑が美しい。日本人は紅葉が好きらしいが、私は断固新緑派である。紅葉が美しいところは、新緑も当然美しい。新緑はこれから虫が出てきますよ、というサインだから、見ただけで嬉しくなる。まあ、一般性がないことはわかってますけどね。
 人の作ったものだって、車窓を通すと、捨てたものではない。昨年は松江から益田まで列車で行った。景色ばっかり見ていたら、じつにきれいな風景があった。ふつうの家だと思うのだけれど、花壇がよく手入れされて、百花繚乱、チロルを思い出した。列車から自分の家が見えることを想定しているのだろうか。このせちがらい世の中に、優雅な人がいるものだと思った。
 昨年と一昨年と、隠岐にも通った。今年もまた行こうかと思う。ここは列車では行けない。島だもの、当たり前か。四国と違って、将来にわたって橋もかからないであろう。昔風にいうなら、隠岐は出雲でも石見でもなく、独立した国である。島も複数あって、まだ全部は回り切れない。天然の杉がそのまま神社になっている。ある意味では日本のふるさとで、それが交通不便で昔のまま残っているのがありがたい。
 島根県は過疎だから、人が少ない。おかげで人以外のものに遭う確率が高い。一昨年はキツネの子どもたちに出会った。廃屋の庭で遊んでいた。タヌキは無神経で、鎌倉の自宅の庭で昼寝をしているが、キツネは神経質らしく、本土では見たことがない。キタキツネなら何度も見ているが。島根の山中を車で移動していたら、テンに遭ったこともある。黄色い毛皮が山中ではむやみに目立つ。それが印象的な、美しい生きものである。
 こうして思うと、島根に限らず、旅ばかりしている。家にいる時間のほうが少ないでしょ。知人にそういわれる。だってそれは日本人の男の伝統なのである。西行だって芭蕉だって、そうじゃないですか。都会の孤独死が問題にされるが、伝統的には男の最後には、戦場も孤独死も含まれている。深沢七郎が「楢山節考」を書いたのは、年老いてからではないと思う。若くたって、ああいう最期を想うことはできる。そういえば、鴨長明はどう死んだのだろうか。やっぱり孤独死か。私も喜寿を超えた。人生の最後にもう一つ、旅が残っている。それも楽しみといえば、楽しみか。そんな思いがないでもない。

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