沿線点描【東海道本線】大阪駅から神戸駅(大阪府・兵庫県)

新しい大阪の顔「駅ナカの都市」からエキゾチックシティ、神戸へ。

大阪“キタ”のビル群を背景に、新淀川を渡る。

日本の鉄道の大動脈、東海道本線。
今回は、“一つの街”となった大阪駅から、
大阪湾に沿って六甲の山並みを眺めつつ、
エキゾチックなみなと町、神戸駅へと向かった。

高い文化性が育んだ阪神間モダニズム

 大阪から神戸間に鉄道が開通して140年。1874(明治7)年のことだ。当時は途中に西宮駅と三ノ宮駅だけで、昼間のみに8往復、所要時間は1時間10分だったそうだが、現在では新快速でわずか25分、駅の数も16駅となっている。

 西日本最大のターミナルである大阪駅の駅周辺も、驚くほどの変わり様だ。「大阪ステーションシティ」がオープンしたのに続き、2013年には貨物ヤードだった駅の北側に高層ビルが建ち並ぶ「グランフロント大阪」が誕生。大阪駅を中心に“未来感覚”の都市に進化し続けている。

 大阪ステーションシティは「駅の中の都市」だ。北と南に隣接する高層ビルの間の駅舎を巨大なドームが覆う。駅でありながら都市のさまざまな機能を備えた広大な空間は、新感覚でオシャレで、なんといっても楽しい。このターミナル自体が大阪の観光名所でもある。5番ホームに神戸方面行きの新快速電車が入って来た。

 列車は新淀川の鉄橋を渡る。背後に遠ざかる高層ビル群の眺めが格別だ。ビール会社の跡地が再開発されて変貌著しい尼崎駅。ここはもう兵庫県。武庫川を渡って甲子園口駅を過ぎると、「六甲おろし」で知られる六甲の山並みが間近に見える。西宮を過ぎると芦屋だ。「阪神間」という表現はおおむね西宮から神戸までを指している。

 大阪と神戸の中間にあって便利であること、それに六甲の麓の閑静な住宅環境が魅力だ。開発当時には「阪神間モダニズム」と呼ばれ、洗練された独特の文化的な空気が漂う。とりわけ“甲南”といわれる地区には大正から昭和にかけて文化人が好んで住んだ。文豪・谷崎潤一郎の『細雪』に描かれているのも阪神間モダニズムの一端だ。

大阪の新しいランドマークとして誕生した、大阪駅を中心にした“一つの街”「大阪ステーションシティ」。中央に見える大型複合施設「グランフロント大阪」はオープンして1年を迎え、周辺はめざましい発展を遂げている。

巨大なドームに覆われた大阪駅のプラットホーム。

六甲山系から流れる全長約6キロメートルの芦屋川は、芦屋の町のシンボルとして親しまれている。

 画家や音楽家といった芸術家、文化人のほか、阪神間モダニズムの住人には大阪や神戸で財を成した企業家も大勢いた。芦屋川の下流の「深江文化村」には当時の“ハイカラ”な洋館の住居が僅かだがその佇まいを留めている。芦屋駅からは各駅停車に乗り換え、ゆっくりと阪神間の風景を楽しむことにした。六甲の山並みがより間近に迫り、大阪湾に向かってなだらかな傾斜地が続く。車窓を過ぎる高台の瀟洒な家々の佇まいも、この沿線ならではの風景の一コマだ。

大正から昭和にかけて海外の文化人が住んだ「深江文化村」。かつて13棟の洋館が建ち、阪神間モダニズムの象徴的な地域として知られていた。

神戸文学館は、1904(明治37)年に、関西学院のチャペルとして建てられた。館内には、神戸にゆかりのある作家たちの作品や愛用品が展示されている。

若者に人気のレトロモダンな街

 住吉から六甲道駅間には日本初の鉄道トンネルが掘削された。石屋川の下をかつて走っていた石屋川隧道がそれだが、今は高架に変わり、石碑を残すのみだ。そして六甲道駅では駅近くの「地蔵家」という小さな食パン専門の店に寄ってみた。評判の食パンは1日に500本をつくり、遠方からの客も多いそうだ。触るとふんわり、頬張ると口の中で甘さが広がった。隣の灘駅近くにある「神戸文学館」は関西学院創設の地で、1904(明治37)年築の関西学院の教会を移築し、明治から今日までの「みなと神戸」の変遷と魅力を神戸ゆかりの文人の作品を通して知ることができる。

1871(明治4)年に日本で最初の鉄道トンネルとして完成した旧石屋川隧道の記念碑。碑には、建設当時の様子が記されている。

保存料や卵を一切使わず、徹底した厳選素材にこだわった「地蔵家」の食パン。パンの耳まで柔らかいふわふわの食感が人気。

 神戸は幕末に開港し、日本の近代化とともに外国人居留地を中心に発展した町だ。居留地があったのは三ノ宮駅の次の元町駅の南側一帯で、神戸の発展を担った船会社や貿易会社の古い格式あるビルが数多く、往時のエキゾチックな雰囲気を残している。観光の人気スポットであるチャイナタウン、南京町は居留地の西側にある。

 南京町は居留地の外国人の市場として華僑がつくった町で、中華料理店など100店舗以上の店が密集している。もっとも南京町という地名はなく、あくまで通称だそうだ。この南京町を南に通り抜けると、レトロなビルが点在する海岸通り。栄町はレトロモダンな神戸の流行発信の拠点の一つとして若い人の人気スポットになっている。

 服飾と雑貨の店を営む豊田香純さんは「栄町は古いものの良さと新しい感覚がほどよく調和したところ。このビルで築約70年」と話す。レトロな雰囲気と若者の感性がほどよく融合して、居心地のいい空間をつくりだしている。気のせいか、通りを行き交う人の雰囲気が大阪とはどこか異なるように感じる。

横浜、長崎と並ぶ日本三大中華街の一つである南京町。神戸の観光スポットとして、東西約270m、南北約110mの範囲には100を超える店舗が軒を連ねている。

栄町で服飾雑貨店「スペイスモス」を営む神戸出身の豊田香純さん。「栄町に来るたびに新しい出会いがあり、来て良かったと思ってもらえるようなお店にしたい」と話す。

 旅の終わりに、神戸駅からすぐ南のハーバーランドで港の気分を堪能し、締めくくりには『再度[ふたたび]山』から神戸の夜景を一望した。その素晴らしさは「絶景かな」の一語に極まる。大阪から神戸までは、訪ねる人に応じて実に多彩に楽しませてくれる沿線だった。

再度山から望む神戸の夜景。“1000万ドルの夜景”とも呼ばれる。

日本一の酒処、灘の酒蔵を巡る

沢の鶴資料館の館内。「灘酒」造りの貴重な
遺構や道具などが展示されている。

 西宮から神戸の灘までの約12キロメートルに及ぶ大阪湾の海岸線一帯は「灘五郷」と呼ばれる日本一の酒郷だ。東から今津郷、西宮郷、魚崎郷、御影郷、西郷の五郷で、合わせて40以上もの酒造会社がある。

 六甲山系から湧き出る宮水、酒米の最高峰とされる山田錦、そして丹波杜氏の匠によって仕込まれる「灘の生一本」。その歴史は江戸時代に始まり、樽廻船で江戸に運ばれた「下り酒」は年間100万樽にも及んだといい、灘五郷はたいそう繁栄した。「灘の酒は後味がきっちりと残り、呑み飽きない仕上がりから “男酒”とも呼ばれます」。そう話すのは、沢の鶴資料館事務局主任の伊勢貴一さん。

 古い酒蔵を資料館とした建物は、県の重要有形民俗文化財に指定されたものの震災で全壊。再建された館内では古い醸造の設備や道具が展示され、酒造りの様子が再現されている。西郷から魚崎郷周辺には酒郷を巡る散策コースがある。震災で景観や趣きは変わったとはいえ、各酒造の看板や貯蔵タンク、軒先の杉玉や酒樽の風景を見て回るだけでも楽しい。もちろん、しぼりたての生一本を試飲させてくれる酒蔵もある。

沢の鶴資料館の事務局主任の伊勢貴一さんは、「“灘の生一本”とは、灘の蔵で造った辛口の純米酒のことを言います。すっきりと、そしてお酒の味わいが残る呑み応えのあるものになっていますよ」と話す。

古い酒蔵を資料館として公開し、昭和55年に県の「重要有形民俗文化財」に指定された沢の鶴資料館。

灘の伝統の味わいを誇る沢の鶴・純米大吟醸「瑞兆」。

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