紀勢本線は、和歌山市駅から三重県の亀山駅に至る約384キロメートルの長い路線。今回は太平洋に大きく張り出した紀伊半島の西を、リアス式の美しい海岸線を車窓に眺めつつ、熊野詣の要所、紀伊田辺駅をめざした。
紀州徳川家の居城、和歌山城。城づくりの名人、藤堂高虎が本丸を築城したことでも知られる。
黒江の町並み。漆器店や問屋が建ち並ぶ。
紀勢本線の始点は、紀の川河口に近い和歌山市駅で、2つ先の和歌山駅で乗り換える。高架を走る列車から小高い虎伏山[とらふすやま]にそびえる和歌山城の天守閣が見える。紀州徳川家の居城で、5代目藩主吉宗は徳川幕府8代将軍として知られ、破綻寸前の幕府を亨保の改革で再興させた名君だ。
市街地を離れると列車はすぐ紀三井寺駅に停車。西国三十三所第二番札所の名刹、紀三井寺への最寄り駅で、231段の石段を息を切らしながら登りつめると眼下には、陽光を受けてキラキラと輝く和歌浦の風光が広がった。「若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴鳴き渡る」と詠んだのは山部赤人で、波間に片男波[かたおなみ]の砂州が今も横たわっている。
隣駅の黒江は、あまり知られていないが根来[ねごろ]塗と並ぶ紀州漆器発祥の地だ。黒江塗の起源は室町時代、輪島塗のルーツともいわれる。江戸時代は藩の保護を受け、明治時代を通じて町は漆器づくりで潤ったそうだが、今では「黒江塗の伝統を継ぐ人がいない」と嘆く声も聞かれる。それでも、古い店構えの漆器店、漆桶を玄関先に置いた家、昔の漆蔵や漆の精製工場など漆器の町の往時の様子が偲ばれる。
ところで紀勢本線は、地図上では紀伊半島の海岸線沿いを走っているように見えるが、リアス式の複雑な海岸線のため入り江が多く、内陸を走る区間も少なくない。箕島駅から有田川沿いの区間は、車窓には山々の斜面に広がるみかん畑が目を楽しませてくれる。収穫の12月から1月頃は全山がみかん色に染まる。
列車の隣の席にいた女性が話しかけてくれた。「今は収穫が終わって淋しい風景だけど、みかんが実った山々はだいだい色でぱあーと明るいんだよ。甘酸っぱいみかんの香りが一面に広がるのよ」。収穫後だったのが残念だが、それでも南国のあふれる光を浴びたみかん畑の風景は壮観で見事。そんなみかん畑の山々を過ぎると、湯浅駅だ。
400年の伝統を誇る紀州漆器(黒江塗)。輪島塗のルーツともいわれる黒江塗は、紀州の木地師によって作られた渋地椀がはじまりといわれている。
漆芸家の山田健二さんは、紀州漆器伝統産業会館「うるわし館」で蒔絵体験の指導もする。「伝統は途絶えさせてはならない。だから、技術を伝えたい」と話す。
みかんの産地、有田川沿いにみかん畑の山々の中を列車は走る。
(箕島駅から紀伊宮原駅間)
湯浅といえば金山寺味噌と醤油。刻んだ野菜を混ぜて熟成させた金山寺味噌は、おかずや酒の肴としてそのまま食する。鎌倉時代に中国の金山寺から紀州に伝わった。その製造過程で生まれ湯浅で始まったのが醤油醸造。「江戸時代には92軒の醤油醸造所があって、ここから日本各地に伝わったと一説では言われています」。この町で今も昔ながらの醸造を行う唯一の醤油メーカーの店員さんがそう教えてくれた。町全体に香ばしい醤油の匂いが漂っていた。
750年もの歴史がある金山寺味噌。瓜や茄子、生姜などを加えて熟成させた味噌で、そのまま食される。
海運の要衝であった湯浅の大仙堀。「醤油堀」とも呼ばれ、石積みの護岸に醤油蔵が建ち並んでいる。
湯浅で醤油醸造に励む「角長(かどちょう)」は、創業以来の蔵を170年以上経過した今も使い続けている。天井、梁、桶に付着した「蔵付き酵母」は、醤油醸造にとっての宝。写真は伝統的な醤油づくりの民具が展示してある職人蔵。
雄大な紀伊水道を眺めながら海岸線を走る特急「くろしお」。(切目駅から岩代駅間)
湯浅駅から列車はやがて御坊駅へ。西本願寺の日高別院を「御坊所」「御坊様」と呼んだのが地名の由来で、今も寺内町として栄えた往時の面影が残っている。その町並みは、江戸から昭和までの変遷する家や建物の様子が分かる貴重な景観という。御坊駅からすぐ隣の道成寺駅は、歌舞伎でも知られる「安珍清姫」で有名な道成寺の最寄り駅。道成寺は和歌山県下最古の寺だそうで、駅を降りて徒歩10分ほどのところにある。
能や歌舞伎でも有名な「安珍清姫」の物語の舞台として知られる道成寺。
印南駅を過ぎると列車は、今回の旅の一番のビューポイントにさしかかる。急に目の前が開け、光輝く太平洋が空と溶け合って、車窓いっぱいに爽快な風景が広がる。山側に目をやると、なだらかな丘陵はすべて梅林。日本一の生産量を誇る梅の産地、南部[みなべ]である。ここで栽培される紀州南高梅は梅干しの最高級ブランドだ。町の背後には、見渡す限り梅林の丘陵が続き、その景観は「一目百万、香り十里」といわれる。遠くに南部湾を望み、春先の開花期に全山が淡いピンク色の梅の花と甘い香りで包まれる。
南部の丘陵の斜面に見渡す限り広がる日本有数の南部梅林。
南部駅を過ぎるとまもなく今回の旅の終着駅、紀伊田辺駅だ。海岸線を走る列車の窓に白浜の温泉街が遠く小さく見える。
紀伊田辺は「口熊野」とも呼ばれる。熊野国への入り口という意味で、平安時代から熊野詣への拠点の町だった。熊野古道はここから山中に分け入る中辺路と、海岸線に沿って那智、新宮へと辿る大辺路とに分かれ、熊野三山をめざして熊野古道を歩く人が今も後を絶たない。そして、世界的な博物学者・南方熊楠[みなかたくまぐす]は、この地を研究の拠点として活躍した。ことに天神崎は、海・陸・磯の動植物の宝庫といわれ、日本のナショナルトラスト運動(自然環境保護)先駆けの地である。
和歌山市駅から紀伊田辺駅までおよそ100キロメートル。陽光きらめく紀伊路の旅は、一駅ごとに秘めたる歴史を発見し、目にも鮮やかな風景と出会える旅である。
天神崎は日本のナショナルトラスト運動の発祥地。
紀伊田辺にある南方熊楠顕彰館は、熊楠の生涯とその研究内容を展示公開している。