原風景を往く[呉線<広島県>]三原駅から海田市駅

きらめく瀬戸内の多島美を満喫する旅

呉線は、三原駅で山陽本線と分かれて瀬戸内海の海岸線に沿って、 海田市駅までの全87km、28駅を走る。所要時間は各駅停車で約2時間20分。瀬戸内海国立公園のなかでもとっておきの多島海の絶景を満喫できる路線である。

呉線

瀬戸内海の島々を眺め、浦々をめぐる

 三原駅を出発してまもなく、列車が筆影山[ふでかげやま]の山裾をまわり込むと、胸のすくような瀬戸内海の大パノラマが広がった。すぐ間近に小佐木島に佐木島、その向こうに見えるのは尾道と愛媛県今治とをつなぐ「しまなみ海道」の島々だ。

 天高く、海はおだやかで青々とまぶしく、大小無数の島々が遠く近くに重なりあって、ながながと連なっている。島の段々畠にはみかんが色づき、沖には釣り舟が浮かび、内航船が行き交う。この風景を眺めていると自然に気持ちがほのぼのとしてくる。

 呉線のとっておきは、この車窓から眺める風景だ。列車は海岸に沿って入り江を、浦々をめぐり、白砂の浜の波打ち際を走る。列車が進むにしたがい、沖には次から次へと島が現れ、その多島美はじつにさまざまな表情を見せて車窓を楽しませてくれる。

 途中、竹原に立ち寄った。「安芸の小京都」といわれる町だ。平安時代には京都下鴨神社の荘園だった歴史があり、町には賀茂川が流れ、清水寺の舞台に似せた御堂の寺もある。江戸時代には製塩、酒造、紺屋、海運などでたいそう繁栄した。

 そんな往時の賑わいを今も残る商家の家並みにうかがえる。江戸の雰囲気がそのまま残るのが「たけはら町並み保存地区」だ。石畳の細い通りを挟んで、低い軒の屋敷や商家や蔵が並ぶこの地区は、映画やドラマの撮影のロケ地にもなるほど。狭い路地の一つ一つでさえノスタルジックでどこもが絵になる。竹原の歴史文化を伝える町並み遺産は、町一番の観光スポットとして四季を問わず大勢の人が散策に訪れる。

穏やかな内海に牡蠣筏が浮かぶ安芸津の三津湾。

たけはら町並み保存地区には、製塩や酒造業で栄えた江戸時代の風情ある町並みが今も残っている。

竹原の名前の由来である竹を使った竹細工。町なかには竹細工小物が並ぶギャラリーなどもある。

 竹原を後に、列車はなおも海岸沿いに進む。やがて波静かな広い湾内を、幾何学模様に無数に浮かべられた牡蠣の養殖筏が目に入る。安芸津[あきつ]の内海である。安芸津は奈良時代、遣唐使船や遣新羅使[けんしらぎし]船の風待ち、潮待ちの港の一つで、万葉集にもその風光の良さに託した歌が詠まれている。温暖な気候と、牡蠣とみかんが特産だ。そして「杜氏[とうじ]の里」でもある。

アレイからすこじま公園から見る呉港。潜水艦を間近に見ることができる。

 安芸津の北の広島県西条は灘や伏見と並ぶ日本の三大銘醸地として知られるが、全国的に広島酒を有名にしたのが安芸津の杜氏である。「軟水醸造法」という独自の醸造法で仕込まれる酒は新酒鑑評会で次々に金賞をとり、一躍名声を博した。冬が近づくと今も安芸津杜氏が西条に赴き、数あるそれぞれの酒蔵で新酒を仕込んでいる。

呉港に面して建つ大和ミュージアム。街の歴史や造船技術の発展史などが見学できる。

大和ミュージアムに展示されている戦艦大和の巨大模型。

 列車は安芸灘の島々を後に、列車はやがて前方に立ちふさがる休山[やすみやま]の長いトンネルを抜け出すと、これまでののどかな車窓の風景は一転する。三方に山を背負う格好で、斜面には家々が密集している。造船所のドックと、無数の巨大なクレーンが印象的な呉の市街地である。

 第二次世界大戦中、呉は日本一の海軍工廠[こうしょう](工場)の町と形容され、戦艦大和の生まれ故郷だ。呉駅のすぐ南が港で、そこには大和の10分1のスケールの精巧で巨大な模型を展示する「大和ミュージアム」があり、見学者が絶えない。戦艦大和は呉の、そして今では平和のシンボルだ。呉は映画やドラマの『海猿』のロケ地にもなり、港に停泊するさまざまな艦船を眺めるだけでも興味深い。

 呉線は、呉から広島湾の東海岸に沿ってさらに北上し、終着駅の海田市駅で山陽本線と合流する。一部の区間をのぞくと、車窓にはずっと瀬戸内海の海辺の風景がお供をしてくれる。瀬戸内海の美しい海と島々をまさに堪能する旅である。

呉の街を歩くと突如として現れる巨大な潜水艦「てつのくじら館」。館内では潜水艦の構造を実際に「見て」「触って」「体感する」体験ができる。

呉の「海軍さんの肉じゃが」。1938(昭和13)年の海軍厨業管理教科書に「甘煮」として紹介された料理で、海軍の公式な栄養食だった。

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