Blue Signal
July 2009 vol.125 
特集
原風景を行く
出会いの旅
うたびとの歳時記
鉄道に生きる
美味礼讃
うたびとの歳時記 photo
風鈴は夏の風物詩のひとつ。 自然の風を利用した心地よい音色は、 涼感とともにゆったりとした時間を演出する。 夏の心象風景を描き出す題材として 多くの俳句にも詠まれてきた。 数々の新興俳句雑誌を世に送り出し、 近代俳句史に足跡を残した水谷砕壺[さいこ]の句とともに 風鈴の歴史と暮らしとの関わりを探ってみた。
新興俳句の発展に尽力
 水谷砕壺は、1903(明治36)年、徳島市大工町に阿部家の五男として誕生した。本名は勢二[せいじ]。1911(明治44)年に水谷磯右衛門の養子となり、大阪市此花区に住んだ。俳句には中学の頃から親しみ、関西学院高商部(現関西学院大学)在学中に同校の俳句誌「新月」の指導をしていた日野草城[そうじょう]と出会う。以後、草城を師と仰ぎ、旧態打破・無季容認を提唱し近代的革新をめざした新興俳句運動に賛同。定型を基本に無季語による句作を主張するなど、幅広い表現様式の拡充をめざした。また砕壺は、俳人としての活動の他に俳誌の編集発行人としての経営手腕にも優れ、1934(昭和9)年に草城を主宰とする『青嶺[あおね]』を大阪にて創刊。翌年には『青嶺』、神戸の『ひよどり』、東京の『走馬燈』との合併による『旗艦[きかん]』を創刊するなど、新興俳句の普及を使命とした。やがて、戦時体制が強化されるようになると、新興俳句は弾圧を受け、『旗艦』も終刊を迎える。しかし、砕壺は言論の拘束には屈せず、新たな俳句雑誌の発行を継続。常に同志の結束と俳句の研鑽を願ったと伝えられる。


 一方で、企業の社長や取締役などの要職を歴任した砕壺は、実業面での地位とともに繁忙を極め、45歳で俳句からの引退を余儀なくされた。冒頭の句は、1927(昭和2)年に詠まれた作品で、1954(昭和29)年に出版された『水谷砕壺句集』に収められている。
photo
風鐸は、寺社などの建造物の軒の四隅に、厄除けとしてつり下げられているのを現在でも見ることができる。
photo
江戸時代の風物などをまとめた『嬉遊笑覧』(1830年)には、法然の弟子が風鈴を好んで持ち歩き、その音を愛でていたことが書かれ、鎌倉時代には風鐸が小振りの風鈴として普及していることがうかがえる。(大阪市立図書館蔵)
風鈴や水面に残る風のあと 砕 壺
魔除けから涼風を感じる装置へ
 風鈴の歴史は古く、約2000年前の中国において、竹の枝につるして音の鳴り方で吉兆を占う「占風鐸[せんぷうたく]」と呼ばれる道具がその起源とされている。日本には、遣唐使によって仏教とともに伝来。寺の仏堂や塔の四隅にかける風鐸となり、境内で風向きを知るための音具として用いられた。また、風鐸が風に吹かれて鳴るガランガランという音が魔除けになるとされ、その音が聞こえる範囲に住む人には災いが起こらないと信じられたという。平安・鎌倉時代には、貴族の屋敷の軒先にもつるされるようになり、音で疫病神の侵入を防ぐための呪術的な道具として扱われた。

 この風鐸を風鈴と名付けたのは、浄土宗の開祖、法然上人だとされる。初め法然が「ふうれい」と呼んでいたものが、後に「ふうりん」と呼ばれるようになったという。また、風鈴を極楽に吹く風を知り、池の水音を連想させる道具として捉えていたとも伝えられる。素材としては、もとは鉄や銅といった金属製のものが多かったが、江戸中期の享保年間(1716〜36年)になると、高価なガラス製の風鈴が登場。江戸後期には吹きガラスに色絵を施したものが生産されるようになり、この頃から風鈴は夏のひとときを涼しく過ごすための調度へと姿を変えていく。そして、明治時代には市中を売り歩く風鈴売りもあらわれ、一般庶民の暮らしにも涼風を届けるようになった。
このページのトップへ
古都に響く文化の音色
 盆地特有の暑さに見舞われる奈良県橿原市。この地にある高野山真言宗の別格本山観音寺では、7月から8月の間、境内が涼しげな音色で包まれる「風鈴まつり」が行われる。おふさ観音の名称で親しまれるこの寺は、暑さの盛りを息災に過ごせるようにと参拝する人が多く、古くから厄払いのご祈祷が続けられてきたという。音によって災厄を払うという仏教思想をもとに、参拝者に少しでも涼を感じてもらえるよう、境内に風鈴をつるし始めたのが祭りの由来。10年近く経った今では、大和の夏の風物詩として広く知られ、地域住民はもとより遠方からも多くの参拝者が訪れる。副住職の密門裕範[みつもんゆうはん]さんが全国の産地を巡り、収集した風鈴は現在76種。本堂の裏手まで一面に竿を張り巡らせ、つるした風鈴2500個が風を受けて鳴り響くさまは、幻想的な雰囲気を醸し出すという。


 その中でも、とりわけ目をひくのが地元の奈良風鈴である。シルクロードを経て、最初にガラス文化が運ばれてきた奈良にふさわしい風鈴をと、奈良在住のガラス作家新倉晴比古さんによって手がけられたもの。宙吹きという技法で作られる風鈴は、形状とガラスの微妙な肉厚が音を左右することから、ひとつとして同じ音色がないという。涼しげな音感にこだわった工芸品としての風鈴は、古都奈良に文化の音を奏でている。
photo
宙吹きガラスは型を使わずに成形するため、一つひとつがまさに手作り。吹き竿の扱い方には、熟練の技を必要とする。
photo
風鈴まつりでは、ガラス製の江戸風鈴を中心に、南部鉄器や陶器の風鈴などさまざまな素材のものが飾られ、形状とともに音色の違いも楽しむことができる。
このページのトップへ