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July 2009 vol.125
近年、大阪の伝統ある野菜を見直そうという機運が高まり、生産が復活してきている。「玉造黒門越瓜」もそのひとつだ。大坂城の玉造門が黒塗りの門であり、この黒門の近辺で栽培されていたことからこの名が付いた。また、白瓜は古代中国の越地方から伝わったことから「越瓜」という字があてられている。
江戸時代中期、この地にいた有力町人・高津屋吉右衛門が所有していた畑で越瓜の生産に力を入れ、白瓜市場も開いていた。また、当時の玉造は酒造業が栄えていたため、奈良漬が作られ、お伊勢参りの玄関口でもあった玉造の名産として人気を博した。
しかし、明治時代になり近代化が進むと、畑や酒造業者は玉造から姿を消した。再び玉造の地に越瓜が戻ってきたのは2002(平成14)年。かつての生産地に近い玉造稲荷神社で復活栽培したことをきっかけに、自治体や市民による復活・保存・普及の運動が始まった。
大阪市内の10数軒の農家で栽培が復活しており、旬は7〜8月頃。越瓜は漬物や煮物をはじめ、シャキシャキとした食感を楽しむため、和え物やフルーツポンチにし、夏の食卓に涼を添えている。