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1955年10月12日、母親に手を引かれた幼い男の子が、新橋駅から大阪行きの夜行列車に乗り込みました。
母親も男の子も精一杯お洒落していましたが、東京の街にもまだ敗戦の気配が色濃く漂っていた時代のことですから、その身なりはごく粗末なものでした。男の子の胸には名札が縫いつけてあり、小柄な彼が小学一年生であることが分かりました。男の子は、これから始まろうとしている長旅に不安を隠せない様子の母親をよそに、初めて見る大きな蒸気機関車とホームにひしめき合う人々の様子に目を輝かせ、ものめずらしげにあたりを見まわしました。やがて列車の扉が開き、二人は我先に車内になだれ込む乗客たちにもみくちゃにされながら二等車に乗り込みました。長い間、ホームに並んで待っていたにもかかわらずたちまち席はふさがってしまい、結局、二人は座席に座れませんでした。母親はあらかじめ用意していた新聞紙を通路に敷き、その上に風呂敷を拡げて男の子を座らせ、自分もその傍らに腰を下ろしました。
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当時の夜行列車では座席に座れない人が通路に新聞紙を敷いて座るのはあたりまえのことで、通路は発車前にこうした新聞席グループで足の踏み場もなくなっていました。
汽笛と共に、汽車はガタン、ゴトン、と動き始め、その音が規則的なリズムを刻みはじめた頃、窓側の座席に座っていた中年の男性が男の子にこう話しかけました。
「坊や、そこじゃ、しんどいだろう、おじさんの隣りに来て座んなさい」
中年の男性は身体をずらして窓際に男の子の座れるだけの空隙を作ってくれました。この動作に隣に座っていた老人も気づき、一緒になってずれてくれたので、窓際には小さな男の子には広すぎるほどのスペースが出来ました。
男の子が席に着くなり、男性はすかさず男の子にこう言いました。
「坊や、汽車の音をよおく聞いてごらん。なんて言ってる?」
もちろん、男の子はその質問にどうこたえていいか分からずキョトンとして、男性の顔を見上げました。「じゃあ、教えてあげよう」という感じで、男性はその呪文のような文句を男の子にこう教えました。
「汽車はね、ナンダ、サカ、コンナ、サカ、ナンダ、サカ、コンナ、サカ、ナンダ、サカ、コンナ、サカ‥‥こう言いながら走ってるんだよ。こう言えば、くたびれずにどこまでだって行けるんだ」
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男の子は必死で耳を澄まし、たしかに汽車がそのとおりの呪文をつぶやきながら走っていることを確認し、新しいオモチャを買ってもらったときのように嬉しくなりました。そして、自分でもその呪文を小さな声で呟いてみました。
「ナンダ、サカ、コンナ、サカ、ナンダ、サカ、コンナ、サカ‥‥」呪文は、唱え始めてみると、汽車の振動と重なり合って耳の奥で鳴り続け、もう自分では止めることができなくなりました。
ナンダ、サカ、コンナ、サカ、ナンダ、サカ、コンナ、サカ、ナンダ、サカ、コンナ、サカ、ナンダ、サカ、コンナ、サカ‥‥こうして、母子を乗せた汽車は漆黒の闇を切り裂いて母親の実家のある大阪を目指してひた走りに走ったのでした。
と、ここまで書けば、もうお気づきでしょうね。この男の子は私です。
建築家という職業がら、私はひんぱんに新幹線や在来線に乗って日本各地で進行中の建築現場を巡り歩いていますが、思えばこのときから私の「鉄道の旅」が始まったのです。
「ナンダ、サカ、コンナ、サカ、ナンダ、サカ、コンナ、サカ‥‥」は、今でも列車で移動するあいだ中、私の耳の奥で鳴り続けています。
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