Blue Signal
March 2008 vol.117 
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うたびとの歳時記 photo
古都奈良に春を呼ぶお水取りの行事。
東大寺二月堂で行われる仏教法会は、
天平時代から連綿とつづく壮大な歴史を持つ。
明治から昭和の俳壇において独自の道を説き、
生涯俳句本位の姿勢を貫いた
松根東洋城[とうようじょう]の句とともに
日本が誇る無形文化の伝統をたどってみた。
人間修行としての俳境を説く
 松根東洋城は、1878(明治11)年東京築地に生まれた。本名は豊次郎[とよじろう]。東洋城という俳号は、本名をもじったものと伝えられる。1891(明治24)年、裁判官である父の任務に伴い、愛媛県立尋常中学校(松山中学)に入学。同校に英語教師として来任してきた夏目漱石に学んだことから終生師弟の縁を結び、漱石によって人間と文学の両面の修養を積んだ。句作においても、漱石に添削を請うなど熱心な指導を受けた。その後、上京して第一高等学校に入学した東洋城は、子規庵に通い始め、ホトトギス例会に出席するなど高浜虚子とも親交を深める。当時小説に専念した虚子から、「国民俳壇」の選句を引き継いだこともあったが、虚子が復帰してきたことをきっかけに「ホトトギス」を離脱。以降、客観写生を重んじた虚子とは一線を画し、1915(大正4)年に創刊主宰した俳誌『渋柿』を拠点に、芭蕉の俳諧精神を尊びながら、誠の心で自然と一体化するという独自の道を説いた。その厳格な姿勢は、「俳諧を行じた人」と評されるほどで新進気鋭の弟子たちを輩出させるとともに、自らは独身を貫き、80余年の生涯を俳諧に捧げた。冒頭の句は35歳の時に詠まれ、没後門人などによって刊行された『東洋城全句集』(1966(昭和41)年)の上巻に収められている。東洋城の特色である艶麗繊細、高雅な作風を感じさせる一句となっている。
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29歳で宮内省に入った東洋城は、式部官や宮内書記官などを歴任。主宰した俳誌『渋柿』の名は、大正天皇より俳句について問われた際に「渋柿のごときものにては候へど」と奉答したことに由来する。 (写真:『東洋城全句集 下巻』/海南書房より)
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旧平城京の東、三笠山の麓に位置する東大寺。二月堂は、境内の東奥のもっとも高い位置にあり、寄棟造の堂々とした姿が丘陵にそびえる。
水取りや奈良には古き夜の色  東洋城
歳時記として親しまれる法会
 句の季語である「お水取り」は、奈良東大寺二月堂の修二会[しゅにえ]の行のひとつをいう。修二会とは、仏前にて過ちを悔い、国家安泰や万民快楽[けらく]を祈る法要のこと。正月の法会を修正会[しゅしょうえ]と称したのに対し、旧暦二月に行われたことから修二会という。二月堂の修二会は正式には「十一面観音悔過[けか]」というが、これは二月堂の本尊である十一面観音に懺悔し、清浄な心身を得ることによって災難を取り除き、幸福を招くという意味を持つ。創始は752(天平勝宝4)年、大仏開眼供養の年であった。東大寺の初代別当良弁[ろうべん]僧正の高弟である実忠和尚[じっちゅうかしょう]が、山城の国(現・京都府東南部)の笠置の龍穴に入り、兜率天[とそつてん]の菩薩の行法を拝して感激し、それを地上界で移したと伝えられる。以来、1250余年、兵火や戦乱の中でも一度も途切れることはなく、不退の行法として毎年勤修されている。

 今日、お水取りということばは、修二会の別名として用いられることが多く、古都奈良を代表する年中行事として全国にその名を馳せている。とりわけ関西では、「お水取りがすむまでは、ほんとうに暖かくはならない」と言い伝えられるほど、敬虔[けいけん]さの中に春への期待感が込められた季節の節目を感じさせる法会となっている。事実、この法会が満行を迎える頃には、朝夕の冷え込みもようやく緩み、人々は本格的な春の訪れを実感するという。
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浄火と聖水による祈りの行
3月1日から始まる本行は、上七日[じょうしちにち]、下七日[げしちにち]の計14日間にわたり、二七日[にしちにち]の行法と称される。また、前月の20日からは、参籠する僧侶が世間と用いる火を別にして精進する「別火[べっか]」と呼ばれる前行が行われ、3月15日の満行に至るまでの長期間、11人の練行衆[れんぎょうしゅう]には厳しい潔斎と修行が課せられる。「六時の行法」ともいわれる本行では、1日を日中[にっちゅう]、日没[にちもつ]、初夜[しょや]、半夜[はんや]、後夜[ごや]、晨朝[じんぢょう]の六時に分け、それぞれに声明が唱えられ、散華行道[さんげぎょうどう]や五体投地[ごたいとうち]などの厳しい所作を伴う行法が日夜繰り返される。お水取りの儀式が行われるのは、12日の夜(正確には13日の午前2時頃)。お水取りとは練行衆が二月堂下にある閼伽井屋[あかいや]に向かい、若狭井と呼ばれる井戸から本尊にお供えするためのお香水[こうずい]を汲み上げる儀式のことをいう。練行衆が二月堂を出て水取りに下るため、参詣の人々の目に触れることで有名になり、修二会全体を指す名称として一般に使われるようになった。本行の間、毎夜二月堂の舞台で火の粉を散らす「お松明[たいまつ]」も、この日は重さ80キロともいわれる籠松明が燃やされ、夜空を焦がす美しい火の乱舞に、集まった参詣者からはどよめきが湧く。

 火が煩悩の穢れを焼き払い、水が煩悩の垢を洗い清めると考えられた仏教法会。懺悔の祈りがすべて終わると、いにしえの都にも待ちわびた春が訪れる。
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閼伽井屋の屋根に飾られている鵜。黒白の二羽の鵜が飛び出した後から香水が湧き出したという伝承にちなむ。
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上堂する練行衆の足明かりとして燃やされるお松明。材料となる藤蔓や松明木は毎年各地から寄進され、童子らが精魂込めて松明づくりにあたる。 (写真提供:奈良市観光協会)
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