Blue Signal
January 2008 vol.116 
特集
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うたびとの歳時記
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うたびとの歳時記 photo
日本には、役目を終えた生活道具に感謝し、
供養するという風習が数多く残る。
中でも、針納めはその元祖とされるほど
歴史が古い。
かつて針は貴重な道具のひとつであり、
針仕事は家庭における女性の重要な
役割とされた。
俳句を人生の支えとし、戦前戦後の俳壇で
その存在を輝かせた高橋淡路女[あわじじょ]の句とともに 針供養の伝統と、
歴史的背景をひもといてみた。
女流俳人の草分けとして
 高橋淡路女は、女流俳句の草創期に活躍した俳人のひとり。1890(明治23)年神戸市に生まれ、本名はすみ。後に両親とともに東京へ転居し、上野高等女学校を卒業した。勉学を好み、芭蕉や蕪村の俳句に傾倒し、句作を始めたのは10代の頃と伝えられる。1913(大正2)年、23歳で結婚したが、翌年突然の発病で夫を亡くす。この時すでに子供を授かっていた淡路女は、その後長男を出産。子どもの養育に力をそそぎながら、寡婦としての暮らしを貫いた。

 1914(大正3)年、高浜虚子に師事したのをきっかけに、本格的な句作に踏み出す。女流俳句の火種は、俳誌「ホトトギス」の女性会員による婦人句会とされるが、この句会に参加した淡路女は、長谷川かな女や阿部みどり女という終生の友を得、彼女らとともに婦人句会の有力な一員となっていった。はじめ、本名から澄女[すみじょ]の号を用いていたが、1924(大正13)年の句友らとの関西旅行をきっかけに淡路女と改号。その理由を「明石の浦より眺めたる初夏の雨後の淡路島の遠望あまりに麗しく」と、処女句集『梶[かじ]の葉』(1937(昭和12)年刊)の中で語っている。そして、1925(大正14)年以降は飯田蛇笏[だこつ]に学び、俳誌「雲母[うんも]」の同人として活躍。確かな観照と女性らしい視点で日常を詠んだ身辺吟に、優れた作品を残した。抑制の効いた静かな作風は、『梶の葉』に収められた冒頭の句にも表れている。
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昔ながらに執り行われる淡島神社の「針祭り」。報告祭の後、巫女や稚児の手によって針は赤い三方に移し替えられ、針塚へと運ばれる。
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近世・近代を通じて、女性の守護神的な性格を強め、篤く信仰された淡島神。境内には、子授けや安産を祈願する絵馬が数多く奉納されている。
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古針は塩をかけて本殿脇の針塚に納め、土に返される。江戸から伝わる供養法であるが、塩が貴重な時代には塩水をかけていたという。
針納めちらつく雪に詣でけり  淡路女
信仰に根ざした事の日の習わし
 句の季語である「針納め」は、裁縫に使用した古い針を供養する行事のことで、針供養の名で知られる。衣服の裁ち縫いが女性の重要な仕事であった時代には、千羽鶴を折って針とともに納め、裁縫の上達を祈願したという。用の済んだ針を豆腐やこんにゃく、餡入りの餅などに刺し、社寺に持ち寄ったり川に流したりするのが一般的で、多くは2月8日もしくは12月8日に行われる。この両日は「事八日[ことようか]」といわれ、古くは物忌みして邪気・悪鬼を追い払う日と考えられていた。事とは祭りや祭事を意味するが、陰暦2月8日は1年中の祭事・農事をはじめる「事始め」とされている。対して、12月8日は「事納め」となるが、地方によっては逆に呼ぶこともあるという。こうした事の日は厄払いであると同時に、山の神、田の神の信仰と結びついた神迎えの日でもあった。

 針の供養との関連について定説はないが、農業神を迎えるにあたっての物忌みの日に針仕事が慎まれ、身近な生活道具に感謝を込める風習へと派生していったようだ。そして、その後行事として浸透していく背景には、淡島信仰との結びつきがあったと考えられる。
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針に託されるさまざまな思い
 和歌山市の郊外、景勝地加太の浦にある淡島神社は、女性に縁が深い神社として知られ、淡島信仰の本社とされている。ご祭神は医薬の祖であり、酒造や農事の神としても崇拝される少彦名命[すくなひこなのみこと]。諸病を癒し、殊に女性の病気平癒にご利益があると伝わる。この神社には、江戸時代から受け継がれる「針祭り」の神事がある。少彦名命は人々に針の使い方を広め、裁縫の技術を伝授したという。針は神様から授かった大切な物。古い針といって粗末に扱ってはならず、神様の手許に返して供養したのが神事の由緒とされている。一方、針供養の由来には異なった伝承も存在する。ご祭神を婆利才女[はりさいにょ]といわれる女性神とし、それを針に付会させたという説である。この由来は、淡島願人と呼ばれた半僧半俗の人々によって唱導され、女性救済の性格を色濃くしながら広まっていった。今も各地の淡島堂などで針供養が営まれるのは、こうした勧請の歴史による。

 毎年2月8日の祭典には、関西周辺から持ち込まれた20万本もの針が本殿に並べられ、神様への報告祭が行われた後、境内の針塚に納められる。針に塩をかけ、土に返すという針納式[はりおさめしき]は、この神社に伝わる伝統的な供養法。宮司の前田光穂さんによると、当日は和服姿の女性も訪れ、境内は静謐で凛とした空気に包まれるそうだ。昔は和裁の縫い針が数多く納められていたが、今ではパッチワークなどの手芸針が増え、学生たちが使った針を納める専門学校もあるという。針の役割が時代とともに変化する中、淡島の神様は針に託されたさまざまな思いを今も受け入れ続けている。
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高橋淡路女は、師である飯田蛇笏が「今日において女流界第一に位する」と評したとされる、女流俳人の先駆けのひとり。「雲母」婦人句会の中心的存在として、多くの後輩を育てた。 (写真:『増補現代俳句大系第二巻』/角川書店より)
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