|
|
|
伊根の海岸から望む2つの小島、冠島と沓島は神聖な島。天然記念物オオミズナギドリの繁殖地としても知られる冠島は、伊勢の大神が最初に天降りした場所とされ、伊勢の大神が天に昇っていく時、被っていた冠を残したのが冠島で、靴を残したのが沓島だと言い伝えられている。
二つの島を眺め、海岸沿いに北へしばらく行くと本庄浜という浜に出る。雲龍山[うんりゅうざん]が背後に聳え、筒川という小さな川が流れ込んでいる。それを遡るとのどかな田園風景のなかに宇良[うら]神社(浦嶋神社)の社がやがて見えてくる。昔話の浦島太郎はこの本庄の浜から龍宮城へと旅立ったといわれ、玉手箱や『浦嶋明神縁起』も神社に伝え残されている。
“むかしむかし 浦島は 助けた亀に連れられて りゅうぐう城へ来てみれば 絵にもかけない美しさ”と、童謡や昔話でお馴染みの浦島太郎。神社に古くから伝わるのは、そのルーツとなる浦嶋子[うらしまこ]伝説である。浦島太郎の話は室町時代に成立した御伽草子で、また明治になって巌谷小波[いわやさざなみ]が『日本昔噺』にまとめた。さらに小学校の教科書に掲載され、文部省唱歌や童話となって日本中で親しまれるようになる。物語も時代を経て変化し、教科書や童話のそれは教育的な配慮で、いじめられていた亀を助けたり、礼に報いる感謝の気持ちなどの徳育を折り込んだ内容になっている。
また浦島伝説も日本各地に数多く残る。そのなかでも伊根の地の伝承が発祥とされるのは、『古事記』や『日本書紀』『万葉集』にも登場し、とくに和銅年間に書かれた『丹後國風土記』(713〜715年成立)の記述が浦島伝承の最古とされるからだ。『丹後國風土記』は現存しないが、鎌倉時代中期に書き写された逸文には、「与謝の郡、日置の里、此の里に筒川の村あり。この人夫[たみ]、日下部首等が先祖、名を筒川嶼子と云ひき。為人、姿容秀美しく、風流なること類いなかりき。斯は謂はゆる水の江の浦嶼子という者なり…」と記されている。
逸文を現代訳で要約すると、時代は雄略天皇22年(神代478年)の時、雲龍山の麓、筒川庄水の江の里に住む青年、浦嶋子は一人舟で釣りに出て、3日3晩の後に五色の亀を釣りあげる。青年がうたた寝をしている間に亀は絶世の美女に変身し、嶋子は誘われるままに常世へと連れられる。美女の名は亀姫。嶋子は常世で姫と結婚し夢のような3年間を過ごすが、やがて望郷の念にかられて一人帰郷する。亀姫はその別れ際に、決して開けてはならないと注意して玉櫛笥[たまくしげ]を渡す。嶋子が戻ったのはなんと300年後。すでに知る人もなく呆然としてつい玉手箱を開けると、若々しい肉体は瞬く間に天空に飛び散った…。この話を耳にした淳和天皇(在位823〜833年)が勅使に命じて嶋子を祀ったのが宇良神社という。
室町時代の『浦嶋明神縁起』の掛幅と南北朝時代から伝わる絵巻で、宇良神社の宮嶋宮司が絵解きをした浦嶋子伝承は、やはり今日的な昔話と多くの点で異なり現実的だ。それは、浦嶋子の祖先と記された日下部首[くさかべのおびと]とは、古代、丹後半島の海岸部を治め、大きな勢力を持っていたとされる海人[かいじん]で、日下部[くさかべ]一族を指す。海人とは漁労だけでなく、海を介して農業や養蚕、鉄などを扱うのに欠かせないさまざまな技術や文化を大陸と交流していた民と考えられている。
そして、宮嶋宮司は伝承の根底に流れるのは「中国の神仙思想です」と指摘する。神仙思想は日本固有のものでなく、不老不死を求める中国の道教の思想である。その理想郷とされるのが遥か東方海上に存在するといわれる常世の国、つまり蓬莱山(龍宮城)である。亀は中国では四霊の一つとして国と国とをつなぐ海神の使いであり、亀姫を仙界に住む神…と置き換えてみると、単なる昔話ではなく、古代の丹後半島と大陸との関係を少なからず読み取ることができるのではないだろうか。 |
|
|
|
|
|
浦嶋子が釣り上げたのは5色の亀。舟に引き上げ、複雑な面持ちの浦嶋子。すぐ上空を舞う鵜は、蓬莱の使者で吉兆を表す。 |
|
|
|
蓬莱山へとやってきた浦嶋子は蓬莱宮の中へと案内される。上空には天女が舞い、美しい装束をまとった女官が描かれている。この後、浦嶋子は美女の父母に認められ結婚する。 |
|
|
|
望郷の念にかられ、浦嶋子は故郷へ帰ってくる。あまりの変わりように驚き、洗濯をしている老婆に尋ねる。ついに玉櫛笥を開け、白い煙が出るとともに老人となってしまった。 |
|
|
|
浦嶋子は筒川大明神として祀られ、遷宮の賑やかなようすが描かれている。参道では田楽が舞われ、広場では相撲が行われている。 |
|
|
|
|
|
|
|
筒川の河口にある本庄浜。穏やかな波が寄せるこの浜から浦嶋子は舟で釣りに出たと伝わる。 |
|
宇良神社(浦嶋神社)の宮嶋宮司。「この地に伝わる浦嶋伝説は非常に古い歴史があります。伝説を後世に伝えていくのが私の役目です」と話す。 |
|
室町時代から宇良神社に伝わる浦嶋子伝説の玉手箱(玉櫛笥)は、亀甲紋の蒔絵をほどこした化粧・宝石箱。玉(宝石)や装身具などの品々を大切に保管した。 |
|
|
|
|