Blue Signal
May 2006 vol.106 
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特集[季節を織り込む松江の茶と菓子] 暮らしに息づく「不昧公[ふまいこう]好み」
伝統を受け継ぐもてなしの心
茶の湯の精神を吹き込む松江ブランド
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光田隆一さん(38歳)は菓子づくり20年。巧みで繊細な手の動きで次々に菓子をつくりあげるが、それでもまだ「一に勉強、二に勉強です。ずっと勉強でしょう。それほど奥が深いものです。たんに菓子をつくるのでなく、和菓子に大切なのは茶の精神と心を吹き込むことです」と話す。
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不昧公好みを代表する松江銘菓は「姫小袖」のほか、「若草」、「山川[やまかわ]」、「腰高朧饅頭[こしだかおぼろまんじゅう]」、「菜種の里」などがある。どれもみな史料を読み取り、研究を重ね、熟練の職人の技によって甦った伝統の銘菓。

1874(明治7)年創業の「彩雲堂」が再現したのは、春の菓子「若草」だ。春の野山に萌える若草を表現している。「曇るぞよ 雨降らぬうちに摘みてむ 栂尾山の春の若草」と詠んだ不昧公の歌に由来して命名された菓子で、不昧公が著した「茶道十二ケ月」のなかで、この若草は春の茶席の主菓子とされている。しかし、その後途絶えてしまった製法を彩雲堂の初代、山口善右衛門が茶人や古老の伝えをもとに研究し、明治中期に再び世に出した。由来の歌を重ねて若草を目にすると、春の光景が浮かんでくる。

秋の茶席の主菓子は「山川」。「散るは浮き ちらぬは沈む 紅葉葉の 影は高尾の 山川の水」と、これもまた不昧公の歌にちなんで命名された。1890(明治23)年創業の「風流堂」がやはり口承をもとに材料や製法を研究した末に甦らせた。この山川に関して不昧公は細かな指示をしている。それは、菓子を小割りにし、白色の上下に薄紅を重ねるようにと、川の水に浮かぶ紅葉と底に沈んだ紅葉の様子を表している。もし、その心が分からない者は、この菓子を鑑賞する資格がないとまで公は言っている。もちろん、現在ではそこまでする必要はないだろう。ただし「菓子の心を感じることはとても大切です。季節の色や情景を表し、食しては抹茶と調和し一体となって初めて美味しさが完結するような菓子、それが日本の菓子の心です」と、風流堂の内藤進さんは話す。

1929(昭和4)年創業の「三英堂」が再現した「菜種の里」は、うららかな初夏の菜の花畑に蝶々が舞っている様子が表現されている。

そして、不昧公が茶席で9回も出したという「腰高朧饅頭」は、試行錯誤を重ねて、1809(文化6)年創業の「桂月堂」が復元した。小西伸明さんは「その心は、夜の茶会で蝋燭の明かりが仄かに浮かび上がる様子」と解いた。

松江の和菓子店の多くは伝統の「不昧公好み」をつくっている。いうまでもなく、その担い手は菓子職人。その一人、彩雲堂の光田隆一さんが5月のテーマでその技を披露してくれた。20年の経験は「まだ若手」というが、その手さばきは素早く、かつ繊細だ。餡をとり、布巾で包み、丸くなった餡を掌の上でくるくる回し、ヘラで筋目を入れていく。指で摘んで形を整えると、たちどころに菖蒲ができあがった。紫陽花、ビワ、青梅、ツツジ、菖蒲、牡丹の5月の6品、どれも芸術品に見紛うばかりの出来栄えだ。和菓子には視覚、味覚、触覚、嗅覚、聴覚の五感が集約されているといわれるが、実際に目の前の菓子を眺めていると、そのことを実感する。

創意と工夫を凝らし、菓子を芸術品にまで高める美的感覚というのは、菓子に託す並々ならぬ情熱にほかならない。郷土の伝統を継ごうと、菓子職人をめざす若者も少なくなく、松江には全国唯一の公立の島根県菓子技術専門学校もある。一方で、ただ伝統に依りかかるだけでなく、和菓子店の仲間が協力してニューヨークで試食会を催すという試みも行われた。松江の和菓子店は、互いにライバルではあるが「みな仲良しです」といい、菓子文化の発展には一致団結する。松江の美しい和菓子を世界に紹介し、世界中の人たちに味わってもらいたいと考えている。ワインがそうであるように、地域に根ざした松江和菓子ブランドの国際化だ。

そういう国際化を視野に入れつつ、松江は和菓子の文化に新たな歴史を重ねようとしている。趣味、感性、洗練、先進…。いうまでもなく松江の和菓子は、名君で大名茶人の誉れ高い不昧公ゆずりの風流で風雅な文化だといってよいだろう。
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松江を代表する不昧公好みの銘菓。途絶えていた製法や材料を史料や古老の茶人の話をもとに研究と試行を重ねて復活させた。どれも店の看板商品として人気が高い。左上から時計回りに、桂月堂の「腰高朧饅頭」、三英堂の「菜種の里」、彩雲堂の「若草」、風流堂の「山川」。
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彩雲堂の5月の和菓子。紫陽花、ビワ、青梅、ツツジ、菖蒲、牡丹。季節の風物詩を盛り込み表現する職人の工夫と技巧が光る。
茶の湯の精神を吹き込む松江ブランド
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松江の和菓子を世界の人に味わってもらおうと、2005年にニューヨークで試食会を開催。伝統を踏まえつつ新しい感性の創作和菓子にニューヨーカーたちは驚き、称賛したという。
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