Blue Signal
May 2006 vol.106 
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うたびとの歳時記
鉄道に生きる
花に会う緑を巡る
鉄道に生きる【三河 俊英[みかわ としひで](55)山口鉄道部 機関士】
「SLやまぐち号」が煙を吐いて
今も勇壮な姿を見せる山口線。
その貴重な鉄道遺産を継承する機関士を訪ねた。
「SLやまぐち号」に命を吹き込む
山口鉄道部への転属でSLと再会
「SLやまぐち号」は、復活から27年目を迎えた今年も新山口〜津和野間で土・日・祝日と春休み・夏休み期間(一部期間を除く)に1日1往復運行している。三河俊英は、1998(平成10)年から「SLやまぐち号」の運転を担当。ふだんはディーゼルカーに乗務するベテラン運転士だ。

「1969(昭和44)年の入社で、最初に配属されたのが厚狭機関区。そこでSLの整備を担当しました」という三河。SLが活躍していた最後の時代にSLに携わっていた1人である。

その後、1981(昭和56)年からはディーゼル機関車の運転士として活躍した三河は、1984(昭和59)年に山口鉄道部に転属となって、SLとの再会を迎えることとなる。

「はじめは自分がSLを運転をすることになるとは思ってもいませんでした。でも先輩からの勧めもありましたし、山口線の運転士であるからにはSLの運転もしてみたくなりましてね」と三河。1996(平成8)年にSLの機関助士、1998(平成10)年に機関士の資格を取得し、晴れて「SLやまぐち号」の機関士となった。
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大正風、明治風、昭和風、欧風、そして展望車の5両のレトロな客車も「SLやまぐち号」の人気のひとつ。
過酷な天候条件を克服する誇り
寡黙でポーカーフェイスの三河だが「乗るたびにSLが好きになるんです」と、SLを語るときには笑みがこぼれる。

「SL機関士としての一番の喜びは、津和野駅に到着したときの達成感です。これは他では味わえないものです」と三河。ボイラーで石炭を燃やし水蒸気を発生させ、その圧力でシリンダーを動かしSLを走行させる…その一連の作業が機関助士との共同作業によって乗務中延々と続けられる過酷な仕事で、一瞬でも気を抜けばSLは動かなくなってしまう。だからこそ、無事運転を終えたときの達成感がより大きいのだという。

「季節や気象条件によっても運転の方法が変わります。乗務の1週間前から週間天気予報をチェックしているんですよ。雨の日や秋の落ち葉は動輪が空転しやすくなりますし、夏は暑さとの戦いです」と話すように、乗務のたびに条件が異なるため、惰性に流されることはまったくない。「夏の乗務が終わった後は、汗が乾いて制服が塩で真っ白になります。大変な仕事ですが、SLが好きだから続けていられるんでしょうね」と、SLに携わる男の誇りがうかがえた。
20世紀の鉄道遺産を未来へ継承
そんな三河に今後の抱負を尋ねると、「私のこれからの役割は若いSL機関士をつくり育てることです」と間髪入れずに答えが返ってきた。山口鉄道部は日本のSL関連の養成線区としての役割も担っているのだ。「20世紀から受け継いだ貴重な鉄道遺産であるSL。これを大切に次の時代に引き継いでいくには人材の育成が不可欠です。運転の技術はもちろん、機関助士と呼吸をあわせたチームワークの大切さを伝え、大切にまごころを込めて、SLをいたわるような気持ちで運転してほしいです」と穏和な表情で語る。

「お客様に“いっしょに写真を撮ってください”と声をかけられるのもSL機関士ならでは。お客様の笑顔や沿線で手を振る人たちの姿が、私の喜びでもあり誇りです」と三河。新山口駅を出発する際には、“安全快適に目的地に着けますように”との願いを込めて、少し長めに汽笛をゆっくり鳴らす。駅でボーッというやさしい汽笛が聞こえたら、それはSL機関士・三河からの熱いメッセージだ。
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乗務前の出区点検。整備経験のある三河ならではの厳しい目が光る。
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「今日もよろしくな」。1937(昭和12)年生まれのSLにやさしく語りかける。
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「前方よし!」SLはその構造上、窓から顔を出さないと前方確認ができない。時には激しい雨や冷たい雪が頬に叩きつける。
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