Blue Signal
May 2006 vol.106 
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特集[季節を織り込む松江の茶と菓子] 暮らしに息づく「不昧公[ふまいこう]好み」
伝統を受け継ぐもてなしの心
茶の湯の精神を吹き込む松江ブランド
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宍道湖と中海とを結ぶ二つの川、大橋川と天神川が松江の町を南北に分断するように東西に流れている。松江城は大橋川の北にあって周辺には武家が暮らし、町人は川の南側に居を構えた。つまり、川が文化の境界で、茶事や茶菓子は武士や一部の富裕層の者に限られた嗜みだった。茶事が一般化する明治中頃以前は、町衆のなかには家の押し入れの奥に「隠し茶室」を設け、密かに茶事を楽しんだ者もいたそうだ。

松江を代表する老舗の茶舗「中村茶舗」が天神町に創業したのも1884(明治17)年。もともとは初代藩主の長政公の頃から、京都・宇治の茶問屋が松江に茶の行商に出かけていたのだが、不昧公が藩主となり、茶事が盛んになるのを機に分家し、松江で開業した。この中村茶舗の家宝の一つが不昧公直筆の掛け軸だ。軸には、不昧公が命名した抹茶「中之白[なかのしろ]」の由来が記してある。「新たに製茶求名、昔と一との中とあるに依り、即中の白と云うべし。寛政八年辰春二月 一々斎」。一々斎は不昧公の号であり、昔とは濃茶[こいちゃ]を指し、一は初代直正公命名の「一之白[いちのしろ]」。よって中之白とは濃茶と一之白の中間くらいのお茶、という意味になる。

中村茶舗では120余年の伝統をしっかりと守り、茶の栽培農家から厳選された茶葉を直接仕入れ、不昧公好みの抹茶を石臼で丹念に製造している。店の奥には不昧流の三畳台目の茶室「松吟庵[しょうぎんあん]」がしつらえられ、香り高い茶を楽しむことができる。「お茶の心はおもてなしです。松江ではとくに気をはらず気構えず、もてなしの作法として気軽にお茶を振るまうのです。お茶と菓子がコミュニケーションの手段なのです」と中村茶舗の足立さんは語る。店頭には早朝にもかかわらずお客さんが次々に訪れる。男女老若の区別なく、めいめいお気に入りの銘柄を告げる様子が実にさりげない。

天神町の商店街を抜けて大橋川に架る松江大橋を渡ると、宝暦年間(1751〜1763)創業の老舗の御菓子司「一力堂」がある。店内には松江藩御用菓子商だった証に、菓子を城に納めるときに用いた三つ葉葵の紋入りの御用達箱が大切に保管されている。8代目当主の高見和男さんが頑なに守り続けるのは、「きちんと、真面目に、手間ひまかけて、素材にこだわる。そして松江の菓子文化を守らにゃあかんいうことですかね」。戦時中は店を留守にし、砂糖が手に入りにくい大変な時期を奥さんである「おかっつあんが、暖簾を守り抜いてくれました」と語る話の一つひとつに、伝統を絶やさず守り続ける大変さが伝わってくる。

250余年の長い歴史をもつ一力堂を代表する菓子は「姫小袖[ひめこそで]」。同家に伝わる史料によれば、初代が不昧公の好みとして指名を受けてつくったとされる。松江藩主の注文のみにつくることを許され、一般に売ることを固く禁じられたゆえ「お留め菓子」と呼ばれた。「沖の月」と命名されていたこの銘菓を、同家に残された幕末頃の古い木型や明治の頃の史料をもとに「姫小袖」という名で再現した。抹茶とともに出された姫小袖を小さく割って口に入れると、上品な甘さが口の中にふわりと広がった。傍らから「お茶を含んでみなさい」といわれるままに、色鮮やかな抹茶を口に含むと、互いが微妙に絡み融け合ってさらに繊細な味に変化し、やがてさらりと溶けていく。茶の味を損なわず、茶の味と香りをより引き出すという和菓子の本分とはこういうことなのだ。

松江の町と宍道湖を愛したラフカディオ・ハーン(小泉八雲)も一力堂の羊羹を好んで買い求めたという。5年前にはやはり家に残された古文書のレシピをもとに、ハーンが食した羊羹を復刻し、「ハーンの羊羹」として売り出した。店の歴史が製法の再現を可能にした例であるが、高見さんは一言、「優れた菓子職人に恵まれたからです。しかし、腕のいい職人は菓子文化のないところでは育ちません。松江にはその両方があります」と、静かにそう語った。
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中村茶舗の店の奥にしつらえられた不昧流の茶室「松吟庵」。予約しておけば茶室で抹茶がふるまわれる。
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一力堂に伝わる史料。「御菓子直伝帳」と「菓子方書」はどちらも江戸時代のもので、御菓子の製法などが記録されている。日本の菓子文化を知る上でも貴重な史料。
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創業250余年の一力堂に伝わる「沖の月」の木型は1855(安政2)年、出雲大社に祀られるスサノオとイナダヒメの像を彫った大工・重之助の作。左の写真は不昧公が指名してつくらせた「沖の月」の木型で甦った銘菓「姫小袖」。
伝統を受け継ぐもてなしの心
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お城に注文の御菓子を納めるために用いられた三つ葉葵の紋入りの漆塗りの箱が、藩御用達商だった一力堂の歴史を物語る。
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三河と宇治の最高級の茶葉を仕入れ、荒茶から不純物を取り除き碾[てん]茶となり、その後、石臼で丹念にひかれて抹茶となる。石によって微妙に目立てが違い、お茶の風味も異なるという非常に繊細なもの。
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中村茶舖の抹茶「中之白」命名の由来が書かれた、不昧公直筆の掛け軸。
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