Blue Signal
March 2006 vol.105 
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大阪駅進化論
天守閣探訪
特集[酒香かぐわしき酒の郷] 美酒を育む、酒都西条
天恵の水で醸す「おんな酒」
芳醇と端麗、酒の命を育む蔵のちから
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大きな桶から立ち上る湯気とともに、酒の仕込みは薄暗い早朝から始まる。周囲には吟醸の甘い香りが漂い、蔵からは蔵人の掛け声が響く。
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土地土地に銘酒あり。銘酒の産地は全国各地に分布しているが、西条が三大銘醸地に数えられるのには、先人たちの酒造りへの弛まぬ探求と真摯な研究があった。

西条酒の杜氏は、明治当時の上方の酒の品質の良さに愕然とする。そして、三浦仙三郎という安芸津杜氏が開発した「軟水醸造法」と、西条の水質を活かした醸造法を組み合わせ、西条酒独自の「中硬水醸造法」を完成させた。明治の半ばのことである。そうして醸造した西条酒を、明治末頃から開催された「全国清酒品評会」や「全国新酒鑑評会」に出品したところ、西条酒が圧勝し、一躍名声を博した。その中硬水醸造法の特徴とは「低温で長期発酵させることです」と話すのは、賀茂鶴酒造の醸造部長で安芸津杜氏の幸田邦昭さんだ。幸田さんは全国新酒鑑評会で9年連続金賞、通算18回金賞を受賞し、現代の名工の称号を持つ。まろやかな旨みのある西条酒は、硬水で造る灘の「男酒」に対して「おんな酒」と呼ばれる。「なめらかでやさしい酒です」…その秘密が中硬水と醸造法にある。

西条の地下水は「水の郷百選」にも選ばれる良質の水で、飲めば「さわやか、甘い」と感じる中硬水だ。有機物が少なくカルシウムやマグネシウムの含有が低いが、酒を醸するには発酵が遅く、不適とされていた。しかし、中硬水醸造法の技術革新で軟水や中硬水を低温で長期間発酵させることが可能となり、仕上がった酒は特有の風味を持っていた。それが吟醸酒の特徴のひとつだ。だが、一口に西条酒といっても醸造所の銘柄、同じ醸造所でも蔵が違えばできる酒はみな異なる。井戸ごとに水も微妙に違う。杜氏の気性でも仕上がる酒の性格が変わるという。短気な酒、温和な酒、気の張った酒、のどかな酒…幸田さんが仕込む酒は? 「私の酒はやさしくおとなしい味わいです」。

酒造りの期間は11月から3月。瀬戸内海に面した安芸津から、農閑期の仕事として蔵人を連れて新酒の仕込みにやってくる。一つの蔵に9人。杜氏の下に頭、麹師、[もと]師の三役があり、指示に従って蔵人が作業をする。期間中、寝食をともにし全員が一つの家族になる。

酒造りでは杜氏は母親役となる。「赤ん坊を育てる母親と同じです。夜泣きしたり、怪我をしたり、病気になったり…昼夜なく片時も目が離せません。でも手塩にかけて育てていると心から愛おしくなります。成長が楽しみなんです」と、幸田さんの表情もほころぶ。

吟醸酒ができるまでの工程を順に追うと、精米、洗米、浸漬(米を水に浸す)、蒸米、冷却、麹つくり、麹の乾燥、づくり(清酒酵母を多量に含んだ酒母[しゅぼ]をつくる)、そうしてでき上がったに麹、蒸米、水をともに混ぜると醪[もろみ]ができ、大きな桶かタンクに仕込むとやがて蒸米の澱粉が麹の働きで糖化する。糖化した成分は酵母によってしだいにアルコールへと変質していく。仕込みの期間は段階を経て30日を超える。タンクの中を覗くと、鼻を突いた。炭酸ガスの刺激臭だ。とろりとした乳状の沈殿物の上に、大小無数の泡が絶え間なくぷつぷつと小さな音をたてている。酵母が懸命に働いている。酒は生きもので子どもを育てることと同じであることを実感する光景だ。

工程は仕上げへと至る。搾り、ろ過、火入れ(加熱)を行い、酵母の働きを止めて新酒は貯蔵タンクに移され、ゆったりとした眠りにつく。その間にも新酒は杜氏の愛情に見守られ、精米から数えて約2カ月以上で馥郁とした香りの酒ができ上がる。この一連の工程はすべて気を許せない。「一麹、二、三造り」という言葉が教える通り、その日の気温、水温、米質などによって微妙に作業のタイミングは変わり、中にはストップウオッチ片手の秒単位の作業さえある。

良い酒というのは、優雅な香り、風味濃く、それでいて軽快で滑らか。いわゆる「アマ」「カラ」「ピン」「ウマ」の四拍子が揃い、さらに見た目の色と艶加減。良い酒は、味良し、姿も良しなのだ。ただ「私としては、瀬戸内の小魚を肴に飲む、郷土の酒づくりを心がけています」と、現代の名杜氏はそうつぶやいた。
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(1)(2)洗米。この日の洗米は、精米歩合32%の繊細な米粒だけに慎重に洗われる。ストップウォッチ片手に秒単位で水上げの時間を計る杜氏幸田さん。
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(3)洗米後に水に浸された酒米の吸水加減を、手の感触と目で最終確認する。長年の経験と勘が活かされる。
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(4)程よく水分を含んだ酒米はこしきで蒸され、蒸し上がると丁寧にほぐし広げて、麹米と仕込み用に分けられ、適温まで冷やされる。
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(5)(6)麹造り。米粒の艶や手触りで種麹の植えつけに最適な状態まで待ち、蒸米全体に丁寧に振りまいていく。その後、約2日間、24時間体制で蔵人に見守られながら麹が成育していく。
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麹を植え付けられた酒米は、やがて米一粒一粒に白っぽい麹菌が成育した状態となる。酒造りに最も重要な工程。
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仕込み過程の醪。糖化された成分は酵母の働きよってアルコールへと変わっていく。
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発酵が終わると醪を搾り、酒と粕に分離する。その後、貯蔵タンクに移され熟成を待つ。
天恵の水で醸す「おんな酒」
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白牡丹酒造で使われている酒造りの道具。オートメーション時代になっても、蔵人が使う道具のかたち、素材は、今も変わらない。
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賀茂鶴酒造の大吟醸酒。広島産の八反、山田錦、千本錦を38%まで精米。優雅でフルーティな香りで、芳醇できめ細かな味わい。
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白牡丹酒造の蔵出し原酒。アルコール度は20%近くあり、甘口だが切れがある。
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山田錦の玄米と精米歩合35%の白米。
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八反の玄米と精米歩合50%の白米。
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