Blue Signal
March 2006 vol.105 
特集
駅の風景
うたびとの歳時記
大阪駅進化論
天守閣探訪
呉駅 駅の風景【呉駅】
巨大船を次々に生み出した造船の町
広島と三原を結ぶ呉線。
車窓には穏やかな芸予の海が広がる。
沿線の中核都市、呉の歴史は
日本の造船技術の歩みとも重なる。
海と山の自然美にくわえて、
日本の造船力を支える呉を訪ねた。
日本の技術を支えた呉
呉はもとは、呉浦[くれうら]と呼ばれる半農半漁の海辺の小さな集落だった。それが1889(明治22)年に鎮守府が置かれて様子は一変する。鎮守府とは軍役所、つまり“拠点”という意味で、この後の呉は技術とともに歩み、日本の近代化と科学技術の発展を後押しした。

1903(明治36)年に海軍の工廠(工場)が設けられ、呉は造船と鉄鋼を中心とする最先端の技術を集積し、日本の技術力、工業力の中核を担うことになる。第2次世界大戦中には日本一の工廠の町と形容され、40万人(現在25万人)の人口を抱える大都市に変貌した。

そんな呉の技術力を世界中に示したのが「戦艦大和」。世界最大の巨大艦は、テクノロジーも最新で最高のものだった。しかし、戦艦大和は東シナ海で悲劇的な最期をとげ、その悲劇は、戦争の悲惨やむなしさを説き、なによりも「平和」のシンボルとして語り継がれている。

呉駅の南、海に臨む場所にある「大和ミュージアム」には、10分の1スケールの巨大な大和の模型が展示してある。精巧な造りとその巨大さは見る者を圧倒するが、その姿は平和の尊さを訴えているようだ。
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市街地の北に聳える灰ケ峰からは市街を一望できる。夜は街と港の灯りが海に映えて美しい。
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イメージ 駅から徒歩5分ほどにある「大和ミュージアム」。町の歴史、造船・製鉄の発展史などが展示されている。中でも10分の1スケールの戦艦大和の巨大さは圧巻だ。
イメージ 日本の近代化の一翼を担ってきた呉。現在では観光地としても栄え、多くの人々が呉駅を行き交う。
地図
九つの嶺に囲まれた町
ミュージアムから湾に沿って南へ行くと、「歴史の見える丘」がある。ここに立つと、海に抱かれた港町の様子がよく分かる。海岸沿いには明治以降の呉の歴史を伝える工場群があり、造船場の巨大なクレーンが無数に並ぶ。その中に「大和のふるさと」と書かれた巨大なドックがあった。

ドックはトタンで覆われている。建造当時、徹底した秘密保持のため外部から見えないように目隠しが施され、撮影などはご法度で、この場所に立つことも許されない時代があった。しかし秘密裏に建造された大和の造船技術は、その後の日本の産業復興に貢献する。世界初の10万トン級タンカーなどを生み、世界最大の造船記録を次々と塗り替えていったのは、眼下に見下ろすドック群であったのだ。

景観から、天然の良港であることはすぐ分かる。市街は一方だけ海に臨むほかは、三方に山々を背負う、機密保持には恰好の地形である。山頂から見る街の夜景が素晴らしい。灰ケ峰を中心に九の峰(嶺)に囲まれ、それが呉の名の由来の一説とされ、市章もこの説をイメージしたものだそうだ。軍港という呉が辿った歴史とはこの地形と密接に関係していたのだろうが、現在は風光明媚な景観として観光客の目を楽しませてくれる。
「歴史の見える丘」からは大和が建造されたドック跡をはじめ、旧海軍の工場跡が一望できる。 イメージ
「アレイからすこじま」は海上自衛隊の潜水艦が見られる公園。付近にはレンガ造りのレトロな建物が並び、呉海軍があった当時を偲ばせる。 イメージ
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海、山、町が織りなす景観
三方を山々に囲まれた呉は、坂の町でもある。この山がちな自然の地形を巧みに利用して町づくりが行われ、海と山と町とが調和した景観をつくりだしている。

海軍工廠が設立されると、呉の人口は爆発的に急増する。全国から数多くの技術者や作業に従事する人々が呉に集まり、大正末から昭和初期にかけて町は周辺の山の麓へと拡大し、それとともに多くの坂や階段ができた。なかでもよく知られるのが両城地区にある階段。つづら折の石段は 驚くほど急勾配で、下から仰ぎ見ると身体が自然とのけぞってしまう。斜度は40度ほどもあり、階段の数は200段。登る途中で息切れするが、そこから眼下に広がる呉の風景はじつに爽快で気持ちがよい。

両城地区はもともと海軍士官の宿舎があった地域で、レンガ塀や瀟洒な洋館風の家が戦禍を免れ、ノスタルジックな情緒を醸し出している。対照的に、現在の町の中心部は戦後に整備されて街路も広く、整然とビルが建ち並ぶ。しかし、町を散策するとハイカラでモダンな往時の呉の姿が随所に偲ばれる。

大正時代からつづく洋食屋の名物メニューはいまでも「海軍さんの肉じゃが」。昔のままつくられる肉じゃがにも、呉の歴史の味がしっかりと染み込んでいた。
両城の200階段から呉の町を望む。 イメージ
「入船山記念館」にある旧鎮守府司令長官官舎。当時の建築資料をもとに復元された。 イメージ
呉の少し南にある音戸の瀬戸。平清盛が沈みかけた夕日を招き返し、90mの水路を1日で切り開いた伝説が残る。水路に架かる音戸大橋は大型船舶の航行のため、全国でも珍しいループ状の高架橋だ。 イメージ
父親の代から音戸の瀬戸で渡船を営む蒲原[かんばら]さん。「台風の時を除いて年中無休、正月も盆もなし。皆さんの足じゃけえ、休んじゃおれん」。早朝5時30分から夜9時まで、潮の速い音戸の瀬戸を行き来する。 イメージ
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