Blue Signal
March 2006 vol.105 
特集
駅の風景
うたびとの歳時記
大阪駅進化論
天守閣探訪
特集[酒香かぐわしき酒の郷] 美酒を育む、酒都西条
天恵の水で醸す「おんな酒」
芳醇と端麗、酒の命を育む蔵のちから
中国山地に連なる賀茂台地に
山々に囲まれた銘醸の郷がある。
広島県西条町の朝は
350年今も変わらず酒の仕込みで活気づき、
杜氏たちの仕事唄が聞こえる。
ほのかに甘い酒香が漂う酒蔵の町、
西条を訪ねた。
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石見瓦の大屋根を持つ大規模な西条の酒蔵群。赤レンガの煙突の下には、一度に3tもの酒米を蒸し上げる大きな釜があり、煙突が高いほど火力が強くなるという。今ではボイラーに切り替わり、多くの煙突は役目を終えている。
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西条酒として全国に名高い東広島市西条町。大気が冷え込み凛とした朝には、蔵の屋根から蒸気がもうもうと立ちのぼり、いかにも酒どころといった風情が漂う。

この町のシンボルは、赤レンガの角張った高い煙突だ。高さを競うように、家並みの中からいくつもの煙突が突き出ている。町を貫く旧山陽道沿いには、石見瓦の大屋根を戴いた豪壮な白壁の酒蔵が軒を寄せ合い建ち並び、町全体が甘さを含んだかぐわしい酒の香りに包まれている。

京の伏見、兵庫の灘と並び三大銘醸地のひとつに数えられる西条。10銘柄ある西条酒のうち8銘柄の醸造所が、西条駅にほど近い酒蔵地区に集まっている。「白牡丹」「賀茂鶴」「福美人」「亀齢」「賀茂泉」「西条鶴」「賀茂輝」「山陽鶴」、それぞれの蔵が杜氏や蔵人の細やかな愛情に育まれた銘柄ごとの持ち味を醸し出す。

西条酒を愛する文化人も数多い。歌人若山牧水は、「われにもし この酒絶たば 身はただに 生けるむくろと なりてゆくらむ」と詠んだ。牧水も惚れこんだ西条酒の起源は1675(延宝3)年のこと。文献には、関ヶ原の戦いに敗れた戦国武将島左近の次男彦太郎忠正が、敗戦の悲報を聞き西走して安芸国西条にとどまり、その孫である六郎兵衛晴正が「延宝3年酒造業を創む」と記されている。全国各地に酒造家が誕生したのもちょうどこの頃だ。

関ヶ原の戦いの後、世の中に平穏が戻ると、各地の大名は領地の産業育成を目的に酒造りを奨励し、それまでの少量の酒造りから大桶を用いた酒造りが諸国で盛んに行われるようになる。そもそも日本の酒は農耕文化の産物として、農耕神への供物であったり儀式や祭礼に用いられるもので、時や場所を構わずに飲むものではなかった。それが17世紀以降、酒造りが産業として成り立つようになり、酒は嗜好品として普及していく。この頃の文献には、酒造技術に関する記述が多くみられ、商品として質の高い酒造りへの試行錯誤が繰り返されていたことがわかる。

日本酒は寒い季節に造られたものほどおいしいとも言われるが、冬に酒を仕込む「寒造り」は、1667(寛文7)年に摂津伊丹の酒造家によって確立された。西条の酒造りの歴史が始まるのはその8年後のことだ。寒の時期に造られた酒は、醪[もろみ]の温度が低く保たれるため、醗酵が緩やかで喉ごしまろやかな風味となる。その寒造りに西条の風土は最適だった。酒造りで大切なのは気温、米、水。ここ西条には美酒を育む全ての条件が揃っていた。一つは、賀茂台地という海抜200mの高原の盆地にあり、周囲を300〜500mの山々に囲まれているという立地の良さである。酒を仕込む冬の平均気温は4〜5℃。極端に寒すぎず、しかも昼夜の気温差が大きいことは酒造りに最適である。そして水。町の背後に聳える龍王山に降った雨は地下の砂礫層[されきそう]をくぐって伏流水となり、15年もの時間をかけて湧き出る。西条酒の特別の旨みとまろやかさはこの地下水によってもたらされる。酒米には、地元産の八反[はったん]に雄町[おまち]、千本錦がある。

杜氏の一人はこう話す。「澄んだ空気、山に囲まれ良い水に恵まれ、西条の風土はお酒を育てるのに理想的なのです。発酵、醸成、貯蔵に最適な場所です」。西条酒は風土を醸成した、まさに郷土の文化である。

しかし西条が三大銘醸地と呼ばれるようになるのは明治の中期になってから。江戸時代には西条四日市として、市が立ち、旅籠は70軒、本陣も置かれて山陽道随一の賑わいだったが、西条酒の評判は近在に限られていた。街道を往来する旅人や商人が旅籠で疲れを癒し、西条酒に酔いしれた光景は容易に想像できるが、全国に名声が広がることはなかった。伏見や灘と並び称されるには、一人の杜氏の登場を待たねばならない。今日の西条酒の醸造法確立に貢献した安芸津[あきつ]の杜氏である。
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龍王山から眺める西条の町。海抜200mの高原台地にあって四方は山々に囲まれている。高原の盆地という地形と気候、そして龍王山の伏流水が美酒を育む。
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標高575mの龍王山に貯えられた雨水は伏流水となり15年の歳月を要して砂礫層を通り、鉄分や不要な有機物を自然に除去し、旨みのある水となる。
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旧山陽道(西国街道)から道一つ入ったところに復元された本陣の御成御門と賀茂鶴本社の洋館。山陽道随一の宿場、西条四日市として栄え、広島藩主や公家勅使、幕府役人が本陣に投宿した。
美酒を育む、酒都西条
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16本ある酒蔵通りの煙突の中で一番高い福美人酒造・恵比寿蔵の煙突。高さは27mもある。
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松尾神社は酒の神様。11月には酒造組合による酒造祈願祭が行われる。この祭が大きくなり毎年恒例となったのが「西条酒祭り」。
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白牡丹の「冥加の水」は地下7mから汲みだしている。
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西条鶴酒造の玄関脇からこんこんと湧き出る「天保井水」。天保時代に掘られた井戸で、地下20mから汲み上げる。
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