Blue Signal
July 2005 vol.101 
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大阪駅進化論
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特集[桃太郎伝説を訪ねて、吉備路へ] 桃太郎の起源と昔話・桃太郎の誕生
古代史に実在した鬼神と桃太郎の戦い
鬼は大和朝廷を脅かす吉備国の大王か
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温羅[うら]が城を構えたと伝わる鬼ノ城から望む日の出。桃太郎のモデルとされる吉備津彦命は、吉備を舞台に温羅との壮絶な闘いを繰り広げた。
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桃太郎伝説の地、吉備路へ。岡山市とその西隣の総社市を結んで吉備線が走る。車窓から望む風景は、肥沃な平野が遠くの山裾まで広がり、のどかで清々しい。古代、この沿線周辺は、大和政権と並ぶ勢力を誇った吉備国の中心地であった。この地こそ、『日本書紀』や『古事記』に記される桃太郎伝説の舞台だ。

吉備国は奈良時代、律令制によって4カ国(備前、備中、備後、美作)に分割されるまで、現在の広島県東部から岡山県全域を含む広大な領土を有した大国だった。高梁川と足守川が形成する大穀倉地帯吉備平野と、豊かな海産物と塩をもたらす瀬戸内海に恵まれ、国は大いに栄えた。中国山地を擁した吉備国は、鉄の一大産出地でもあった。大和朝廷を凌ぐ製鉄技術を駆使して農具をつくり、驚くばかりの農業生産量をあげた。『古今和歌集』に詠まれている「まがねふく吉備の中山おびにせる細谷川のおとのさやけさ」の「まがね」とは鉄であり、高度な製鉄技術や土木技術は、朝鮮半島から渡来した人びとがもたらしたものとされる。そして歌に詠まれた「吉備の中山」には、吉備津彦命を祀る吉備国の総鎮守、吉備津神社がある。吉備津彦命は「桃太郎」のモデルといわれ、吉備津神社に伝わる『吉備津宮縁起』には「温羅[うら]退治伝説」が記されている。温羅とはもう一方の主役「鬼」のことだ。

温羅の姿は、「人皇第11代垂仁[すいにん]天皇(または第10代崇神[すじん]天皇)の御代に、異国の鬼神が飛行して吉備国にやってきた。その名を温羅と呼んだ。鬼神温羅の両眼はらんらんと輝いて虎や狼のようで、その顎髭や髪は燃えるように赤かった。身長は一丈四尺(約4.2m)もあり力は大変強く、性質は荒々しく凶暴であった。温羅はやがて新山(現在の総社市黒尾)に居城を築き、そばの岩屋に盾(城)を構えた…」と描かれている(『おかやまの桃太郎』より要約)。

温羅は大和朝廷への貢ぎ物や物資を載せて瀬戸内海を渡る船を襲い、婦女子をたびたび略奪した。人びとは恐れおののき、温羅の棲む居城を「鬼ノ城[きのじょう]」と呼び、温羅の悪行を朝廷に訴えた。それに応えた朝廷は武将を派遣するが、神出鬼没にして変幻自在の温羅に、武将たちはことごとく追い返される。そこで朝廷は、孝霊天皇の皇子で武勇に優れた五十狭芹彦命[いさせりひこのみこと](吉備津彦命)を温羅退治に遣わす。その際、温羅征伐の供をしたのが三随臣、犬飼健命[いぬかいたけるのみこと]、留霊臣命[とめたまおみのみこと](鳥飼部の家系)、そして道案内役を務めた吉備足守の豪族・楽々森彦命[さざもりひこのみこと](猿田彦命)だ。これで桃太郎にイヌ、キジ、サルの顔ぶれがそろった。

向かうは、いざ鬼ケ島。吉備津彦命が陣を構えた吉備中山から北西を望むと、小高い山々が連なっている。遠目に山肌が露出しているように見えるその山頂が、温羅の棲み家・鬼ノ城だ。標高約400m、急峻な斜面には花崗岩の巨石がいくつも転がっている。露出しているように見えた山肌は、じつは土や岩石を積み上げて築かれた強固な城壁だった。

この山城は日本では数例しかない古代朝鮮式山城の典型で、国内最大規模。今も山腹に数カ所残る城壁は壮観で、古代にこれだけ頑丈で大規模な城を築いた吉備国の技術に改めて驚かされる。山上からは、両腕を広げてあまりある風景が眼下に展開する。遠くは屋島や讃岐富士(飯野山)が望め、麓を見下ろせば、小高い山々が海原に浮かぶ大小の島々のように見えてくる。現在の肥沃な平野部の大部分は当時、「吉備の穴海」と呼ばれる海だったという。つまり、鬼ノ城山が「鬼ケ島」だったとしてもおかしくはない。
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鬼ノ城山の峰続きの山中には「岩屋寺」があり、温羅の棲み家だったと伝わる「鬼の岩屋」がある。巨岩には温羅が持ち上げた手跡のような溝があることから「鬼の差上岩」とも呼ばれている。
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標高約400mの鬼ノ城山の山頂付近に残る古代朝鮮式山城の土塁と城壁。城壁は山の周囲2.8kmにも及ぶ。発掘調査では城門が4カ所、排水用の水路が6カ所確認されている。急斜面に積み上げられた石組みに当時の最先端の技術がうかがえる。
古代史に実在した鬼神と桃太郎の戦い
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吉備津彦命が放った矢が温羅の左目を射止め、流水のごとく血がほとばしった。その血が血吸川[ちすいがわ]になったという。
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矢喰神社はのどかな風景が展開する吉備平野に佇む。鬼ノ城はここから真正面に見え、中山の吉備津彦命の陣と、鬼ノ城とは約10km。神社はそのほぼ中間に位置し、双方が放った矢が絡みあって落下した場所と伝わる。境内の巨岩は「矢喰いの岩」と呼ばれる。
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