当社ホームページは、ブラウザのJavaScript設定を有効にしてご覧ください。
July 2005 vol.101
古代出雲の中心地として、奈良時代には国庁や国分寺が置かれていた松江。1611(慶長16)年、松江開府の祖・堀尾吉晴が亀田山に城を築くと、堀尾氏三代、京極氏一代、松平氏十代の城下町として栄えるようになった。
宍道湖畔に建つ松江城は、千鳥が羽を広げたような屋根の形から、別名「千鳥城」とも呼ばれる。山陰に唯一残る天守閣は5層6階、最上階に遠見櫓を持つ望楼式。1層2層は黒塗りの下見板で覆われた質素なものだが、各所に袋狭間(銃眼)が設けられた実戦的な城で、桃山時代初期の質実剛健な姿をみせる。
明治になって城内の建物は天守を除きすべて取り壊されたが、天守は地元有志の保存運動で救われ、往時の姿を今も留めている。