Blue Signal
March 2005 vol.100 
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特集[吹屋] 西国一の銅山、吹屋よいとこ金掘るところ
ローハで巨富を得たベンガラ長者の町
鉱山[やま]の歴史遺産を守る「吹屋ふるさと村」
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(イラスト:『岡山県 吹屋ふるさと村』より)
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下町から中町のほうを眺めると、通りは緩い登り坂になっている。石州瓦の赤い屋根に、弁柄格子、赤い土壁(ベンガラでなく赤土だといわれる)の家もある。まさに全体が赤い町並みだが、要所に白い漆喰壁の家や土蔵が色彩に変化を与えている。家の構えも、平入りの家と妻入りの家が交互にバランスよく配置されていて、家並みの景観をいっそう美しく見せている。

整然としたこの町並みは、株仲間を結成したベンガラ商人たちが合議し、美観を考えて計画的につくったという。財力に任せて華美や豪勢さを競うことを慎み、町全体の統一性が重んじられた。だが家の中に足を踏み入れると、そこはやはりベンガラ豪商の屋敷。現在は郷土館になっている角[かど]片山家は、石見の大工棟梁が5年を要して建てたという豪奢な普請である。外見の間口に比べて奥行きが非常に長い。土間の奥には大きく立派なオクドさんがあり、家族のほか使用人の部屋が多数、それに庭には蔵。

ベンガラ商人の家はどこもそうだ。そして家や蔵には、大工や左官、指物師や飾り職人らが腕を競った細工が施してある。さまざまな意匠の格子や入り口扉、ムシコ窓やナマコ壁に見られる意匠は洒落ていて、モダンである。過去の栄華を伝えるこうした家々は現在77棟あり、所帯数でいえば56所帯で町の住人は約120人。しかし空き家も目立つ。町並み保存会会長の小川さんはこう話す。「20歳代は5人ほどで、多くは高齢者の独居暮らしです。町並みをどう維持し保存していくかが私どもの大きな課題です」。

そんな吹屋は今は「吹屋ふるさと村」とも呼ばれる。1974(昭和49)年に、岡山県の整備事業に指定され、伝統的な町並みを中心とした町の振興がはかられている。郷土館やベンガラ館、ふれあいの森、国際交流ヴィラ、古い坑道の整備などを通じて、多くの人に吹屋の町並みを知ってもらい、町並みを保存する事業である。この町並みの重要さをいち早く訴え、保存に情熱を注いだ人が、ベンガラ商人であった本長尾家の先代当主の故・長尾隆氏であり、『ふきやの話』の著書もある。

「吹屋ふるさと村」の初代村長でもあった長尾さんは吹屋の歴史や文化を丹念に調べ、その文化的価値を詳細に記録し、保存のために県や国への陳情に力を注いだ。偶然にも、町を散策していて立ち寄った小さな喫茶店「楓」、店の奥から現れたおばあちゃん長尾有子さんは長尾隆氏のお嬢さんで、ふるさと村の2代目村長でもある。ご子息は東京住まいで、有子さんは一人で本長尾家の屋敷を守っている。「父の遺志を継いでこの町並みを守っていきたい。ずっとここで頑張る。なによりもここが好きですし」と穏やかな笑顔で話す。

春夏のシーズンを外れると、人の気配も少なく町はひっそりする。通りを歩く人の姿もほとんどない。古い建物は補修や改修をすれば保存できる。けれど、それ以上に大切なことは町の家々に住まい手がいるかどうか…人の暮らしや生活があってこその町並みである。最近では、故郷の美しい町並みを守ろうと、小川さんのように都会での長年の会社勤めを終えて、吹屋に移り住む人もいる。

故郷を離れて暮らす人の心の中にも、先人が残した町並みをどう引き継いでいけばいいのかという思いがずっとある。「吹屋ふるさと村」が整備され各地から人が訪れるようにもなった。町を想う大勢の人びとに支えられて、吹屋の町は未来へとつながる時を、中国山地の山懐で静かに刻みつづける。
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手前から中片山家、現在は郷土館となっている角片山家とつづく。入母屋[いりもや]型妻入りを代表する2軒で、中片山家は幕末頃、角片山家は1879(明治12)年に同じ石州大工によって建てられた。
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写真上は1897(明治30)年頃の町の様子で中町の本長尾家があるあたり。家々の玄関先にはベンガラなどの荷を運ぶ牛馬が並んでいた。
写真下は現在の町並み。100年以上の時が過ぎたことを感じさせない。
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本[もと]長尾家の母屋の正面入口。吹屋でもっとも古い建物の一つで、18世紀末のものとされる。先代当主、故・長尾隆氏は吹屋の町並み保存を強く訴えた。玄関脇に「さびれゆく街も 翁の願いに槌音高く 生きてかえりおり」の石碑がある。
鉱山[やま]の歴史遺産を守る「吹屋ふるさと村」
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下谷地区は銅山発祥の地。手前の家はベンガラ豪商の田村家で、ベンガラを入れた赤い壁が一際目を引く。
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坂本方面から来ると千枚地区が吹屋の町の玄関になる。明治末の銅山とベンガラ最盛期にはこの地区だけで約70軒の家が建っていた。
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「吹屋ふるさと村」2代目村長・長尾有子さん。有子さんの父は初代村長で、吹屋の町並み保存に奔走した。父の遺志を継ぎ、一人で屋敷を守っている。
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ベンガラ豪商の一つ、本片山家の蔵。菱形文様を施したナマコ壁は富の象徴でもあった。
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ベンガラ豪商の縁框には、さまざまな趣の精緻な飾り金物が施されている。写真は郷土館になっている角片山家。
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通りに面した東長尾家の縁框下には、今も牛馬をつなぐための鉄輪が残っている。
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本長尾家の卯立[うだつ]屋根。他の家屋に比べ、屋根の棟が漆喰塗りの分だけ高くなっている。吹屋ではこれを卯立と呼んでいる。
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石州瓦は順光では赤く見えるが、光の向きや加減によって紫がかって見えるなど、四季折々の光によって色調が微妙に変化する。
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