Blue Signal
May 2004 vol.95 
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特集[三年坂] 仏教の大海をゆうゆうと泳ぐ清水寺
祇園さんから清水さんへ八坂の道
忠義と志が斬り結んだ維新の道
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三年坂
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清水寺への道は4つある。鴨川にかかる松原橋が、かつて五条大橋と呼ばれていた頃は、そこから東へ真っ直ぐ進み、東大路[ひがしおおじ]を抜ける坂道が「清水寺参詣曼荼羅」にもある参詣本道・清水道[きよみずみち]であった。現在の本道は、広い五条通の正面にある大谷本廟[おおたにほんびょう]の左手を斜めに上る五条坂に変わっている。この五条坂を上って少し行くと、右手にもう一本道がある。清水新道で、この地に清水焼の陶工が軒を連ねていたことから、別名、茶わん坂と名づけられた道である。そして、京情緒にひたり散策を楽しむのなら、八坂神社を抜けて下河原通[しもかわらどおり]から高台寺[こうだいじ]へ、そして石畳と石段の一念坂、二年坂、三年坂をめぐる道である。1606(慶長11)年創建の高台寺と比較的新しい一念坂をのぞけば、清水道とともに平安時代からの古道でもある。

八坂神社は、四条通の突きあたりに位置し、界隈では“祇園さん”の名で親しまれる。京都に流行した疫病を払うために656年に創建されたとされ、現在も厄除け、商売繁盛の神様として信仰を集める。同社の祭礼である祇園祭は、京都の夏の風物詩となっている。「八坂」の名の由来は、東山から八本の坂道が下っていたために名づけられたという。
清水へ 祇園をよぎる桜月夜
今宵逢うひと みな美しき(『みだれ髪』)
と与謝野晶子が詠んだのはどのルートだったのだろう。

祇園から清水寺へ行く人が、必ずしも円山公園を通り抜けねばならないわけではないが、このころの京都では、できあがって間もない公園をよこぎって清水寺へ参るのが流行のルートになっていたのかもしれない。

下河原通からねねの道(高台寺道)へ。高台寺は、豊臣秀吉の妻ねねが父母の菩提[ぼだい]を弔[とむら]うために建てた寺である。その西側を通るねねの道は、幅広い道に御影石が敷かれ、レトロ調の街灯が並び、電線も地中に埋設された、すっきりとした景観。漆喰塀の中にギャラリーや京土産の店が控えめに設えられている。

ねねの道を南へ。交差点を真っすぐわたり、左へと続く細い石畳の道が、一念坂。整備されたのは1992(平成4)年のことである。二年坂の手前であることから命名された。一年ではなく一念としたのは、清水さんの御利益を念ずるところからという。

一念坂を通り抜け、右に折れると、二年坂になる。この坂道は古くからあったが、三年坂の手前の坂という意味で、この名が通り名となった。この付近は家々に数寄屋風の意匠が凝らされ、町中の町家とは違って窓の形や2階の手摺に各戸の個性を表わしている。現在の家並みとなったのは大正初期である。坂の途中に竹久夢二[たけひさゆめじ]と恋人の彦乃[ひこの]が短くも至福の日々を送った寓居跡[ぐうきょあと]がある。

そして三年坂(産寧坂[さんねいざか])。三年坂の家並みは江戸時代から明治時代にかけて建てられた虫籠窓[むしこまど]のある中2階建の「虫籠造町家」、明治以降からは2階の背が高い「本2階建町家」になる。「変形町家」「数寄屋店舗」「和風邸宅」など、さまざまな伝統的建造物の景観が保存されている。

三年坂の由来は、諸説ある。清水寺境内の安産に御利益がある「子安の塔」に続く坂であるから「産(生む)寧(やすき)坂」というのが一般的で、この坂を通って清水寺へ参詣すると安産するからといわれている。また、808(大同3)年にできたので「三年坂」ともいい、清水寺への参詣人が、この坂で再び念願を深くするので「再念坂」という説もある。
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(左)明治から大正にかけて建てられた二年坂付近の枡屋町。当時の施主である藤井の銘のはいった瓦が今も屋根にのっている。
(右)一念坂から二年坂に至るまでの道。両わきには土産物店が軒を連ねる。石畳は京都市電の敷石を再利用したもの。
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二年坂から三年坂にかけての町家。虫籠窓のある中2階の家屋が江戸期のもの。瓦も一番手前の断面が一直線に揃う京瓦だ。隣の家屋が明治期以降に建てられた本2階建町屋。
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三年坂の上り口にある1837(天保8)年創業の「瓢箪屋」。三年坂で転ぶと3年以内に死ぬといわれ、瓢箪は一旦抜けた魂を中に閉じこめるということから、その厄除けとして身に付けていれば転んでも大丈夫ということらしい。
祇園さんから清水さんへ八坂の道
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1.八坂神社・南楼門をくぐり下河原通へ。
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2.広い石畳のねねの道。この道の左側が高台寺。
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3.ねねの道から高台寺の境内へと続く参道・台所坂。
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4.ねねの道を南へ下り、日本画の大家・竹内栖鳳[せいほう]邸跡の横が一念坂のはじまり。
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5.二年坂は勾配のゆるい15段ほどの坂。竹久夢二とその恋人彦乃が毎日のように通ったという、甘味処老舗・かさぎ屋があり、大正ロマンを漂わせる。
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6.三年坂のライトアップ。毎年、3月に「花灯路」と銘打って円山公園から清水寺に至る散策路に露地行灯がともされる。
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7.手前右側が五条坂、正面に見える清水寺の三重塔に伸びるのが清水坂、左側石塀のある所が三年坂。
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8.産寧坂の名の由来となった子安の塔。
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