Blue Signal
January 2004 vol.93 
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特集[坂本] 神と仏の習合の地
比叡山延暦寺・里坊の町、坂本
-石の声を聴け- 口伝、穴太衆積み
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主屋1階の広間。ここでは名庭園を愛でながら、お茶をいただくことができる。
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12年間は山を下りず、止観(顕教)と遮那(密教)の修学・修行をせよ、というのが最澄が取り決めた、比叡山における「山家学生式」の基本項目の一つである。

しかし、比叡山に「論湿寒貧」という言葉があるように、琵琶湖からの水蒸気のため湿気がひどく、冬の寒気も厳しいものだった。このため、60歳を過ぎた僧は天台座主の許しを得て、麓の坂本に下りて住むという習わしがいつしかできた。それが、山坊に対して里坊とよばれる、修行を経た老僧の住坊である。また、近世以降は座主も坂本に下りて住むようになり、坂本が延暦寺の行政の中心をなすようになった。

里坊は、石垣に囲まれている。大きな屋敷に木々が茂り、建物の所在も定かでないほど、たっぷりとした自然の中にある。現在、坂本には53坊が建ち並び、いずれもどっしりした石積みの塀を構えている。
滋賀院門跡[しがいんもんぜき]滋賀院は、天台宗に8カ寺ある門跡寺院の一つ。天台座主の里坊であり、総本坊である。門跡とは、皇族や公家などが出家して代々入る寺、もしくは住職を指す。

1615(元和1)年には、比叡山中興の祖・天海大僧正が後陽成上皇から御所の建物の一部を賜り、ここ坂本に移築。1655(明暦1)年には、後水尾上皇から「滋賀院」の号を賜った。歴代天台座主の御座所として地元では滋賀院御殿と呼ばれている。

城郭のような穴太衆積みの石垣は、坂本でも随一の規模。その上に5本線の白土塀と堂々たる勅使門(お成り門)を持つ。2万gの広大な境内には、内仏殿・宸殿・二階書院・庫裡、6棟の土蔵などが建ち、格式の高さを誇る。贅を尽くした座主接見の間は、狩野派・渡辺了慶の襖絵など見るべきものが多い。

従来の建物は1878(明治11)年11月、火災のためすべて灰となったが、山上からそれぞれ最高の建物を移築し、1900(明治33)年5月に復旧した。現在は、天台座主の対面所であるとともに、延暦寺の宝物などが陳列されて拝観できる。

庭もすばらしく、宸殿の西側にある徳川家光の命によってつくられた小堀遠州作の庭(国名勝指定)は、自然の地形を利用した築山を背景に、泉水が水をたたえ、夏には睡蓮が白い花を咲かせる。池には長い石橋、山側から池の中央に滝口、中島に松、岩嶋、浮石があり、池畔には覗き石などを配する江戸初期の名園である。
旧竹林院[きゅうちくりんいん]かつての里坊の一つで1700(元禄13)年の創建。現在大津市が所有し、大正時代につくられた約3,300gの林泉回遊式庭園(国名勝指定)を公開している。

日吉大社の神体山である八王子山を借景にし、地形を巧みに生かして滝組みと築山を配置し、大宮川の清流が園内をめぐり、手入れの行き届いた木々や苔の緑が美しい。

園内には、2棟の茶室と四阿がある。なかでも茅葺き、入母屋造の茶室(大津市指定文化財)は、「天の川席」と呼ばれる間取り。二つの出入口が設けられ、主人の両わきに客人が並ぶ珍しい形式で、武者小路千家東京道場以外、例がないという。

滋賀院、旧竹林院のあるこの辺り一帯は、延暦寺の里坊が集まっているところで、穴太衆積みの石垣道を愛でつつ、庭園を拝観することも楽しみである。里坊の中で名園として知られる寺院には、これらのほか、宝積院、双厳院、壽量院、律院、蓮華院、佛乗院などがある。
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滋賀院門跡の庭園。徳川幕府3代将軍・家光の命により作庭された池泉鑑賞式庭園。
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滋賀院門跡の5本筋の入った白壁と「お成り門」。里坊の中では最高の格式を誇る。
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滋賀院門跡・座主接見の間。往時の天台座主の公的儀式や接見はすべてここで行われた。格式を重んじ、一段高い上段の上に2畳台の畳が敷かれている。
比叡山延暦寺・里坊の町、坂本
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大小の自然石を積み上げた、城郭のような堂々たる穴太衆積みの石垣。坂本の中でも一番の規模と風格。
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手入れの行き届いた回遊式の庭園は、四季それぞれの趣がある。
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旧竹林院の広大な庭園は、深々とした木立の中に滝組みや築山を配し、静寂の中にも雅びやかな雰囲気に包まれている。
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日吉大社の神体山である八王子山を借景に作庭された旧竹林院の庭園。
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茶室「天の川席」。入り母屋造茅葺きで、入り口が2つある珍しい間取り。各流の家元や茶匠が訪れ、茶事が催される。
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