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比叡山の東の裾野に位置する大津市坂本は、延暦寺の「坂下」を意味する。現在の坂本は、延暦寺の東の玄関口として、また全国3,800社の「山王さん」の総本山、日吉大社の門前町として知られている。

日吉大社は山に向かってゆるやかな上り勾配になっている。伝教大師最澄は、この神社の大鳥居近く(現:里坊・生源寺)で生まれたと伝えられている。城跡のように堅固な石垣沿いに、日吉大社へ向かう。振り返れば宝湖(琵琶湖)の水面が光り、対岸には近江富士(三上山)が湖東の象徴としての存在感を示している。

日吉大社には東西二つの本宮がある。東本宮には、もともとこの地の地主神である小比叡(八王子山)を神体山とする「大山咋神」を祀り、西本宮には天智天皇が近江大津宮(667年)を開いたときに、その鎮守として大和の三輪山から勧請した神「大己貴神」が祀られている。以来、日吉大社は、東本宮(小比叡)に地主神、西本宮(大比叡)に国家神的な神を祀ることとなった。

延暦寺と日吉大社の関係は、平安時代の初め、比叡山に延暦寺を開いた最澄が、比叡山の麓に鎮座する大山咋神と大己貴神を延暦寺の鎮守神としたことに始まる。以後、多くの神々が日吉大社に勧請され、いわゆる「山王七社」「山王二十一社」が形成されていった。

「山王さん」とは山王権現のこと。日吉大社に祀られている神々の総称である。平安時代には仏・菩薩(本地)が、権の姿で現れたもの(垂迹)が神であるとする本地垂迹説が興り、神に権現という称号が与えられるようになった。天台宗の寺院には、鎮守として必ず山王社が建てられたため、山王信仰は天台宗の興隆とともに全国に広まっていった。このような神仏習合思想により、延暦寺と日吉大社はますます結びつきを強めていったのである。

一方、延暦寺の歴史は、785(延暦4)年、滋賀郡古市郷(現在の坂本)出身の最澄が、南都東大寺戒壇院で具足戒(僧侶の守るべき戒律)を受けて僧となってわずか3カ月後、坂本側からの登り口、本坂を登り比叡山に入山したことに始まる。突然南都での修学を止め、故郷へ帰り、独学で仏教研究を始めたのである。その当時、最澄が書いた「願文」が残っている。そこには「悟りを開くまでは決して山を下りない」という不退転の決意が述べられている。

最澄は山上に小堂を営み、自ら刻んだ薬師如来像を安置。この堂の左右に経蔵と文殊堂を建立し、三堂合わせて一乗止観院とした。これが延暦寺の総本堂、根本中堂のはじまりである。

比叡山が桓武天皇の庇護を受けると、最澄は遣唐使を志願。804(延暦23)年、38歳の最澄は唐へと出帆。その心底には、延暦寺を日本国総安鎮にしようという計画が秘められていた。

818(弘仁9)年、最澄は東大寺で受けた具足戒を自ら破棄し、南都の仏教と正面から教義の是非を問う論争に挑戦する。そのさなか、最澄は病に倒れ、56年の生涯を比叡山で閉じた。悲願の戒壇院建立の勅許が下りたのは、死から7日後のことであった。

最澄の死後、その志をもとに弟子たちの手によって伽藍が整備されていくことになる。根本中堂には、最澄が点じた「不滅の法灯」が1200年の時を超え、いまも灯り続けている。

坂本は日吉大社と比叡山延暦寺の門前町として、北国や東国からの物資を比叡山や京都へ運ぶ水路と陸路の要衝となり、なかでも坂本港は琵琶湖舟運の拠点となった。また全国からの参詣者は坂本に宿をとり、日吉大社に詣でたあと、延暦寺に上ったのである。

こうして、延暦寺と日吉大社の習合のもと、坂本の町は宗教都市として発展することとなる。

比叡山の東の裾野に位置する大津市坂本は、延暦寺の「坂下」を意味する。現在の坂本は、延暦寺の東の玄関口として、また全国3,800社の「山王さん」の総本山、日吉大社の門前町として知られている。 |
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【日吉大社・山王鳥居】
一般の鳥居の上に合掌組(がっしょうぐみ)と束(つか)がついた独特の鳥居。神道と仏教が結びついて生まれた、山王神道の教義を形にしたものといわれる。 |
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【延暦寺・根本中堂】
延暦寺の総本堂で、内陣には最澄自作といわれる本尊の薬師如来像(秘仏)や「不滅の法灯」などが安置されている。 |
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延暦寺・根本中堂付近より望む日の出。 |
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〔写真左〕【伝教大師最澄座像】大講堂に安置されている最澄像。気品ある顔立ちが、慈悲にあふれた精神を今に伝えている。
〔写真右〕延暦寺・根本中堂内陣において、1200年間絶えることなく灯り続ける「不滅の法灯」。最澄が一乗止観院を創建した折、自ら彫った薬師如来に灯火を捧げたのが由来とされる。
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里坊は庭園と主屋からなる。その造りには品があり、老僧の隠居所としての格式の高さが感じられる。 |
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日吉大社の表参道にあたる日吉の馬場(ばんば)。この参道の両わきに里坊が並ぶ。後ろに見える小高い山が神体山の八王子山。 |
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坂本から延暦寺へは、古来、日吉大社の鳥居横から続く「本坂」が表参道として利用された。最澄もこの古道を登って、坂本側から比叡山に入ったといわれる。 |
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日吉大社の「山王祭」。比叡山延暦寺・天台座主(てんだいざす)の正式な参拝。西本宮で宮司の祝詞奉納に続き、座主の幣(へい)の奉納と、『般若心経』が読経される。 |
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【日吉大社・西本宮本殿】(桃山時代・国宝)西本宮には国家を守る神、大己貴神(おおなむちのかみ)を祀る。 |
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