Blue Signal
January 2004 vol.93 
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食歳時記 粥
粥イメージ写真
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占い竹は、内径13mm、長さ20cmの細いもの。神職によって釜に入れられた37本の竹筒は、倒れないよう見守られながら、米、小豆とともに炊かれる。炊き上がった小豆粥は、一年の無病息災を祈願し、参拝者にふるまわれている。
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釜から引き上げられた占い竹は、御神前に供えられた後、氏子の年番によって刀で割られ、一本一本の作物の吉凶が占われる。その判定は、神事をとり行った神職、氏子ら8人全員の合意が必要という。
春の七草
生活に根づく、柔らかな知恵もの
日本では、主食である米を焼く、蒸す、煮るの3つの方法で加熱調理してきた。焼いたものを「糒」、蒸したものを「強飯」、煮たものを「粥」と呼び、粥はその固さによって『固粥』と『汁粥』に分けられていた。固粥は、現在のご飯にあたるもので、一般に食べてられている粥は汁粥に入る。さらに米と水との割合によって、全粥や五分粥、重湯などに名を変え、病人食、老人食、離乳食と、目的に応じてつくり分けられてきた。最近では、健康志向にともない幅広い世代で人気が高い。素朴さの中に豊かな滋味を持つ粥。その歴史や日本人の生活文化との関わりについて探ってみた。
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古代から受け継がれる米の食し方
日本において、本格的な米食が始まったのは、弥生時代とされている。『魏志倭人伝』(280年代)によると、当時の食べ方は「食飲用偏豆手食」。すなわち、高杯を用いて手づかみで食べていたという記述がある。この記述から、弥生時代の米の食べ方は、甑という土器で蒸した食べ方ではなかったかと考えられてきた。しかし、当時の煮炊き用具である甕型土器が多く出土し、内側にコメ粒などがこげついて残っていること、匙も出土していることなどから、米を水とともに甕に入れて煮、粥状にして食べていたとする説もある。

このように、粥の起源ははるか昔へと遡るが、米の調理法として主流になるのは平安時代という。この頃には、蒸した強飯にかわって、釜で煮たものが主に朝食に用いられるようになる。ただし、米を常食していたのは貴族のみであり、庶民は米に、麦・粟・稗・トチの実・サトイモなどを混ぜて粥にしていた。似たものとして「雑炊」があるが、粥とはどう違うのだろう。原則として粥そのものには味つけをしないのに対し、「味噌水」という呼び方もあったように、本来の雑炊は味噌汁に具材と洗い米を入れて炊いたもの。調味するかしないかで区別するのが、一般的である。
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無病息災を願う新年の粥
伝統的な行事食の中にも、粥は登場する。1月7日に、春の七草を入れて食べる「七草粥」の風習は、古くは平安時代の宮中の儀式として行われていた。『師光年中行事』には、918(延喜18)年正月7日、宮中で七種の若菜を献じたと記載されている。それが江戸時代になり、五節句のひとつ「人日の節句」の祝いとして、一般に広まったとされている。人日とは、文字通り“人の日”。中国では、元旦から八日までの各日を、鶏・狗・羊・猪・牛・馬・人・穀を当て、その日に当たるものを大切にする風習があった。7日の人の日には七種の若菜を羹(汁)にして食べると、邪気を祓い万病を防ぐと伝えられていた。それが日本に伝わり、もともと日本にあった穀物を取り合わせた「七種粥」に影響を及ぼし、七草粥の行事が生まれたといわれている。粥に入れる七草には多くの説があるが、今日伝えられるのは、芹、薺(ペンペン草)、御形(母子草)、繁縷、仏の座、菘(かぶ)、蘿蔔(大根)である。
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粥占いに豊作を祈る
奈良市の西に位置する登弥神社では、毎年2月1日に「筒粥祭」という伝統の神事が行われている。早朝4時、氏子総代によって、枝豆の枯れ枝に浄火を移し釜を炊く「火入れの儀」がとり行われる。お祓いの後、米2升、小豆1升とともに「占い竹」と呼ばれる細い竹筒の束を釜に入れて小豆粥を炊き、竹筒の中に入った米と小豆の量によって、その年の農作物37種それぞれの作柄が占われる。この粥占いの判定は、「上々」から「下」まで7段階に分けられ、小豆の数が多い竹筒ほど豊作とされる。当日、神事を見守る農家の人たちは、その判定を控えて持ち帰るのが慣わしとなっている。

小豆粥は、小正月の朝に無病息災を願って食べる習慣が全国的にも見られる。その小豆粥の風習と農事とが結びついた粥占い。起源は明らかではないが、300年以上の昔から受け継がれているという。五穀豊穣への祈りが込められたこの行事は、古くからの形態を今に残すものとして、奈良市の指定文化財となっている。
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いつの時代も、ぬくもりを伝える
粥は日常の簡素な食べものでありながら、季節の行事や神事に登場するほか、子どもの誕生7日目に行う「お七夜」でも、子孫繁栄の願いを込めてつくられてきた。このように、粥は日本の生活文化と密接に結びつき、ハレの日の食としても存在してきたのである。しかし、生活様式の変化にともない、現代人にとって行事的な意味合いは徐々に薄れつつある。半面、飽食の時代といわれる今日では、カロリーを抑えて身体をやさしくいたわる健康食として、その価値が見直されている。シンプルな素材で様々な場面に食されてきた粥。その温かな味わいに触れるには、寒さが一段と増す、睦月、如月が最適だろう。
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