近代化産業遺産

先人が果敢に挑んだ萩の産業近代化への軌跡。

「史跡の宝庫」と呼ばれて久しい城下町、萩。往時のままの道筋や町の佇まいに、藩政時代の面影が宿る。市域には、幕末の動乱期、軍事技術を足がかりに産業の近代化に取り組んだ証としての遺構が点在する。歴史ある遺産群に萩の先人たちの足跡をたどれば、日本の近代化における草創期の姿が現れ出す。

萩反射炉へは、山陰本線「東萩」駅から北東方面へ徒歩20分。萩反射炉から700m先の海側に恵美須ヶ鼻造船所跡がある。郡司鋳造所遺構広場へは萩循環まぁーるバス東回りコースで「郡司鋳造所遺構広場前」下車。

指月山(しづきやま:後方中央)と萩市街地。萩藩祖 毛利輝元が松本川、橋本川に挟まれた三角州上に築いた「萩城下町」。産業化初期の舞台として「萩反射炉」や「恵美須ヶ鼻造船所跡」、「萩城下町」などが、世界遺産「明治日本の産業革命遺産」として2015(平成27)年に登録された。(写真:萩博物館提供)

海防強化をきっかけとした近代化の原点

郡司鋳造所遺構広場。山口県埋蔵文化財センターの発掘調査によって、巨大な石組みの大砲鋳造遺構をはじめ、実際に使われた鋳型が多数発見された。広場には鋳造設備が再現され、長州砲のレプリカが展示されている。

※「こしき炉」とは、古来からの鋳物用の溶解炉のことで、鉄や銅合金の溶解に甑(こしき)が使用されてきた。

 19世紀半ば、幕末の日本においては、イギリス、アメリカといった欧米列強の東アジア進出に伴う軍事的脅威が高まっていた。諸藩の中でも、萩(長州)藩は中国大陸に近く、藩領に長い海岸線を持つ。そのため、とりわけ海の守りを固めるための洋式大砲の鋳造や軍艦の建造が喫緊の課題とされた。萩市街地の東方、松本川を渡った椿東[ちんとう]地区には、海防への危機感を背景に、近代化を急いだ時代の産業遺産が数多く残る。

 幕末期、大砲の製造は萩藩お抱えの鋳物師[いもじ]であった郡司家[ぐんじけ]が担っていた。郡司鋳造所[ぐんじちゅうぞうしょ]では、もともと鍋や農器具、寺の梵鐘などを造っていたが、1853(嘉永6)年のペリー来航をきっかけに幕府が諸藩に洋式砲術の採用を奨励すると、藩営の大砲鋳造所となった。大砲鋳造用掛に命じられた郡司右平次[うへいじ](喜平治[きへいじ])は、130門もの大砲を鋳造したという記録が残る。その工房を北東50mの場所へと移築し、「こしき炉」※による大がかりな鋳造設備を復元したのが現在の「郡司鋳造所遺構広場」(郡司鋳造所跡)だ。伝統的な在来技術を駆使して西洋式大砲を造る和洋折衷の方法が、近代技術へと移行する過渡期を物語っている。

自力で挑んだ日本ならではの産業革命

木戸孝允旧宅。洋式造船技術を意欲的に学んだ藩士桂小五郎は、軍艦建造を助言するなど、萩藩における造船技術の近代化に尽力した。

萩反射炉絵葉書。正面の様子を伝える大正期の写真。煙突前方の炉部分がなくなっているのが確認できる。(萩博物館蔵)

恵美須ヶ鼻造船所跡。市街地から少し離れた入り江には、当時の規模のままの石造防波堤が残る。古絵図に基づく近年の発掘調査では、敷地内から木材で船体を組み立てる「スクーネル打建木屋」(ドック)や「カジ場」の炉跡などの遺構を検出。幕末の洋式木造帆船の造船所としては、国内屈指の遺構である。

見取図(山口県文書館蔵)

 当時の郡司鋳造所では、旧来の青銅製大砲を中心に、一部鋳鉄製の大砲が造られていた。しかし、欧米列強に対抗するには、飛距離も長く強力な西洋式の鉄製大砲を自力生産する必要があった。そこで、萩藩は反射炉の導入に挑む。反射炉とは、金属の溶解炉のことで、衝撃に脆[もろ]い鉄を粘り気のある強靭な鉄へと変えるための装置だ。1855(安政2)年、すでに鉄製大砲の鋳造に成功していた佐賀藩へ藩士ならびに大工棟梁を派遣。鋳造法の伝授は断られたが、反射炉の見学は許され、その時の見取り図をもとに設計したのが萩反射炉とされる。1856(安政3)年建造のこの反射炉はテストプラント(試作設備)と考えられ、一時期操業が試みられたが実用反射炉の建造には至らなかったという。試作炉ではあるものの、江戸時代に築かれたものとしては萩と伊豆韮山[いずにらやま]の2カ所にのみ現存する。

 同じ頃、萩藩は幕府の要請や藩士桂小五郎(のちの木戸孝允[きどたかよし])の進言によって、洋式軍艦の建造を試みている。萩反射炉からほど近い小畑浦にある恵美須ヶ鼻[えびすがはな]造船所跡は、「丙辰丸[へいしんまる]」「庚申丸[こうしんまる]」という2隻の西洋式木造帆船が建造された場所だ。藩は、幕府が西洋式帆船を製造した伊豆の戸田[へだ]村に船大工棟梁の尾崎小右衛門[こえもん]を派遣。さらに、戸田村の船大工らを萩に招聘し、萩藩初となる洋式軍艦「丙辰丸」の進水に成功した。今は、石組みの防波堤が、造船の近代化に果敢に挑戦した証としてその姿を留めている。

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