鞆の浦で一番の人気の場所、常夜燈界隈。太田家所有の白壁の建物は江戸時代の浜蔵で、現在は「いろは丸展示館」として活用されている。江戸時代には荷上げ荷下ろしで広場はたいそうな活気だったのだろう。

特集 瀬戸の夕凪が包む 国内随一の近世港町 〈広島県福山市鞆町〉 「日東第一形勝」 鞆の浦

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鞆の繁栄を物語る伝統的町並み

 瀬戸内海の航海もやがて「地乗り」から動力船による「沖乗り」へと変わり、潮待ちの港の役割は急速に低下していく。鉄道や陸上交通が整備され、半島の先という孤立性と開発可能な平地もないことから、鞆の浦は近代化の波から取り残されていった。しかし、それゆえに全国でも稀でかけがえのない景観が残った。

 太平洋戦争の戦禍を免れた鞆の町は、江戸時代の港湾施設とともに、町割は現在でも江戸時代の地図とほぼ変わりがない。海岸線に道路が整備されているものの町の主な道は車一台が通れるだけで、あとは路地のように狭い道が迷路のように通じている。まるで映画のセットのような郷愁を誘う町並みだ。

 鞆の歴史を物語るような伝統的な家々がおよそ南北約900m、東西約500mの範囲で分布している。確認されているだけでも江戸期の住宅や蔵が80棟、明治期のものが約90棟、大正から昭和初期のものが約100棟。重要伝統的建造物群保存地区に指定されているが、町を一巡するのに一時間ほどの小さな町だけに、町全体がまるで生きた博物館のようだ。

 狭い町に比して寺社が多い。先の静観寺と医王寺の古刹を含めて19カ寺あり、神社は鞆の守護神で『延喜式』にも載る沼名前[ぬなくま]神社など大小十数社もある。これらも瀬戸内海の要所としての繁栄を今に伝えるものだ。寺町筋は海岸線とは反対の山側にあり、関ヶ原の戦いの後に鞆を領地とした福島正則が整備したという。

「いろは丸展示館」内部。鞆は坂本龍馬ゆかりの地で、龍馬率いる海援隊の「いろは丸」と紀州藩の「明光丸」との衝突事件に関連する遺物や写真などの当時の資料が展示してある。

保命酒は360年の歴史がある鞆の名産。漢方薬味酒で、朝鮮通信使やペリー来航の際にも供された。冷えや夏バテ、疲労回復などに効果がある。写真は鞆酒造の「保命酒屋」。

「澤村舩具店」は鞆の町家では歴史が古く、所有する最も古い建物は元禄年間の築という。船具のほか観光土産などを販売し、主人の澤村道子さんは、訪れる観光客に気さくに話しかける。

鞆に移住した江竜義政さん、陽子さんご夫婦。「町も人もいいですね。全てが身の丈に合っています。ここでずっと暮らしたい」と共に話す。

 福山市鞆の浦歴史民俗資料館のある鞆城跡からは、町の全景が手が届くほど近くに見える。家々の黒い甍[いらか]の波と青い瀬戸内海とのコントラストが美しい。町家の多くは隣家と接していて、間口は1間半(約2m70cm)から2間(約3m60cm)。が、町を散策していると、唖然とするほど巨大な屋敷に遭遇する。百聞より一見、鞆のかつての繁栄がいかほどだったかを教えてくれているようだ。太田家住宅もそうだが、林家住宅は鞆で最大級の大豪商屋敷である。住宅として日本でも有数だという。

 鞆の伝統産品である保命酒は、江戸時代の製法を継承して今も4軒の蔵で醸造されている。伝統的な豪商の屋敷、軒の低い庇[ひさし]を連ねた町家が並ぶ入り組んだ細い路地の間から、ふと海が見える景観は実に新鮮なものである。

 鞆は坂本龍馬と海援隊ゆかりの地でもある。龍馬率いる海援隊の「いろは丸」と紀州藩船の「明光丸」が衝突した「いろは丸事件」で、龍馬らは鞆の浦に逗留し、紀州藩と交渉した。その時に、龍馬が身を隠したのが廻船問屋の桝屋清右衛門宅。賠償交渉に用いたのが旧魚屋萬蔵宅、現在の「御舟宿いろは」だ。

 「澤村舩具店」は約300年の歴史を持つ老舗で、店の女性主人は観光客に人気がある。人と物が行き交った港町には人を拒まない文化がある。江竜義政さん、陽子さんご夫婦は大阪から鞆に移住して4年。デザイナーの陽子さんは鞆の人気スポットをイラスト化してさまざまなグッズを創作。ご主人の義政さんはプロデュースしてギャラリーで展示販売する。

 「きっかけは、子育てです。マイペースで過ごせるような場所で暮らしたかったんです」と陽子さん。義政さんは「イベントで鞆を知り、縁があって移住を決めました」と言い、今では祭りに欠かせないメンバーとして地域に根を張っている。「鞆の暮らしの快適さは住んでみるとよく分かります」とご夫婦は話した。ご夫婦は鞆の伝統を担う新しい担い手として地域に受け入れられている。

 すでに午後の7時。通りに人の気配は絶え、常夜燈が静かに港を照らしていた。

医王寺の境内から眺めた鞆の浦。左手の赤い屋根は「ポニョの家」として親しまれ、映画の聖地巡礼として訪れる人が少なくない。宮崎駿監督は鞆に数カ月滞在して『崖の上のポニョ』を構想したといわれている。

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