鞆の浦には江戸時代の港湾施設が揃って残っている。雁木は船荷の積み降ろしに使用された石造りの階段状の桟橋。潮の干満に関係なく船を着けられ、荷揚げができるようになっている。全長約150m、最大24段もの石階段は石造りとしては国内最大級。

特集 瀬戸の夕凪が包む 国内随一の近世港町 〈広島県福山市鞆町〉 「日東第一形勝」 鞆の浦

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全国で唯一、江戸時代の風情を残す港町

 鞆の浦を一望するには後山[うしろやま]の医王寺の太子殿からが一番だ。約六百段の階段はきついが、空と海とが一つに溶け合った大パノラマは値千金、疲れも忘れる。大小の島々が浮かぶコバルトブルーの瀬戸内海。半円状の波静かな入り江の桟橋には小舟が舫[もや]われ、家々が港を囲むように密集している。箱庭のように美しい風景である。

 快晴なら四国の山々も一望できる。日本で最初に国立公園に指定された瀬戸内海国立公園の中でも第一に指定されたのが、鞆の浦と周辺の島々だというのも実に納得だ。江戸時代の儒学者、頼山陽[らいさんよう]はこの風光明媚な景観を「山紫水明處[さんしすいめいしょ]」と讃えた。宮城道雄の有名な箏曲[そうきょく]『春の海』は鞆の浦のうららかな海がモチーフだといわれている。

江戸時代に高波被害から港湾を守るために港を囲むように造られた石積みの波止。石造りとしてはやはり国内最大級で、現在も江戸時代の波止3基が現役で残る。

 福山市鞆町鞆。鞆の浦は鞆の入り江という意味で、鞆の津とも呼ばれるが、地元ではただ鞆とだけ言う。地形的に文字どおりの天然の良港で、古代から瀬戸内海航路の最重要港であった。その理由は瀬戸内海のほぼ中央部に位置し、豊後水道と紀伊水道の東西の潮の流れがちょうど鞆の浦の沖でぶつかり合うためだ。

 「地乗り」という沿岸航海が主だった時代、航海は潮流を利用した。その潮が変わるのを待つのが潮待ちの港で、航行する船は鞆の浦で潮を待ち、潮の変わりを利用して東へ西へと船出した。港の歴史は『万葉集』に詠まれるほど古い。「吾妹子[わぎもこ]が 見し鞆の浦の むろの木は 常世[とこよ]にあれど 見し人ぞなき」は、亡き妻を慕う大伴旅人[おおとものたびと]の有名な歌である。

福禅寺は朝鮮通信使の高官の迎賓館として常宿であった。客殿の対潮楼からの眺望を朝鮮通信使は「日東第一形勝」、朝鮮半島より東で最も美しい場所と絶賛したという。

 遣唐使船や遣新羅使船[けんしらぎしせん]も立ち寄った鞆には古刹も少なくない。最澄ゆかりの静観寺や、空海の開基と伝わる医王寺も平安時代の創建と伝わる。南北朝時代には、足利尊氏は鞆で挙兵して京で室町幕府を興し、幕府は後に鞆で終焉する。「室町幕府は鞆に興り鞆に亡ぶ」といわれるほか、東西航路の要港だった鞆には数えきれない歴史の記憶がある。

 参勤交代で寄港した西国大名らを魅了し、朝鮮通信使の一行は「日東第一形勝[にっとうだいいちけいしょう]」と最上級の賛辞を残した。オランダ使節など海外の多くの客人も江戸参府の途中に鞆に寄港し、景観に魅了されたことが記録にも残っている。医王寺の太子殿に登ったというシーボルトもその一人。そんな歴史的な港町、鞆がそれまで以上に繁栄を極めるのは江戸時代だ。

太田家住宅(旧保命酒屋/中村家)。常夜燈に近い太田家住宅は鞆の浦を代表する江戸時代の豪商屋敷の一つ。福山の名産、保命酒の酒造家だった中村家の邸宅を明治になって廻船業を営む太田家が買い取った。現在は国の重要文化財として保存され、一般にも公開されている。

太田家住宅は広大な敷地に主屋や酒造蔵などの建物からなり、江戸時代の大店の建築様式や豪商の暮らしぶりを今に伝えている。

岡本さんは保命酒屋・鞆酒造の主人。町並み保存にも努め、「景観を守るだけでなくもっと活かしていきたいものです」と語る。

 博多などからの九州船や西回りの北前船が頻繁に往来するに及んで、商業港として港は繁栄を極めていく。そんな往時の近世の港湾施設と佇まいがほぼそのままに残っている港町は全国でも唯一鞆の浦だけである。「常夜燈」「雁木」、石造りの「波止」、船を修繕する「焚場[たてば]」に「船番所」、これらの一連の施設は鞆の浦だけに見られる貴重な遺産である。

 数多くの豪商も誕生した。太田家の住宅は鞆を代表する商家建築で、江戸時代に保命酒[ほうめいしゅ]屋中村家によって拡張、増築され、明治期に回船業を営んでいた太田家が受け継いだ。主屋を含めて9棟が残り、主屋だけで建坪は416坪、部屋数は約30室。西国大名の海本陣でもあった。保命酒[ほうめいしゅ]は福山藩の財政を潤した鞆名産の薬用酒だ。明治創業の保命酒屋の主人、岡本純夫さんは鞆の魅力をこう話す。

 「自然と歴史が融合し、江戸時代の港と町並みとが一体化した鞆の伝統的な景観は他に例がありません。日本の宝です」。狭い通りを行くと常夜燈のある荷揚げ場に出る。白壁の大きな浜蔵がある。全盛期には20〜30もの浜蔵が港の周りに並んでいたそうで、かつての港の賑わいぶりが目に浮かんでくる。

 常夜燈界隈の港の風景は江戸時代そのままだ。

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