鉄道に生きる

馬場 重平 彦根管理駅(近江八幡駅在勤) 係長

実直さと熱意でお客様にとっても仲間にとっても利用しやすい駅をつくる

現場に出て直接接客をすることもしばしばある。

 「基本を積むことで自信が生まれ、心に余裕が生まれます。心に余裕ができれば、それまでは見えてこなかったものが見えてきます。よりお客様に喜んでいただけるような駅に、より仲間が仕事をしやすい駅にしていきたいです」。こう話すのは彦根管理駅の馬場 重平係長。駅営業に30年以上携わる大ベテランだ。自分なりに苦しんで得た仕事の心得には、重みが感じられる。

誰も来ないかと不安だった勉強会

難しい課題に直面した時、馬場の知識が頼りにされる。

 彦根管理駅の係長として9年目を迎える馬場。駅の1日における責任者である当直駅長として、近江八幡駅や管理駅である彦根駅で日々の駅業務にあたっているほか、新入社員、契約社員の教育と指導を担当している。その豊富な経験と知識を買われ、2015(平成27)年から2018(平成30)年までは営業教育に特化した係長として、社員の知識、技術レベルの向上に尽力していた。

 彦根管理駅に着任した当時、課題の一つに社員の知識レベルの向上が挙げられていた。そこで馬場は自身が講師を務め、「八幡[はちまん]塾」と名付けた勉強会を開催することにした。「正直、誰も来ないかもしれないと思っていました。しかしフタを開けてみると想像以上の社員が集まってくれて、ホッとしました」。受講後には社員の意識にも変化が起き、社員同士で教え合う場面も見られるようになり、社内で行われる各種試験でも好成績が出るようになった。

初めての接客 食事ものどを通らない

 こう見えて、馬場は接客が苦手だったという。入社直後は貨物列車の仕事に携わっており、接客とは無縁の会社人生を送っていた。1987(昭和62)年、国鉄民営化と同時に駅営業の道に進むこととなり、環境は一変する。「敬語も使えない、大型時刻表の見方も分からない私に接客業が務まるはずもなく、不安と緊張で食事ものどを通らないほど悩んだ時期もありました」。

 駅営業の担当になって10年が経つ頃、馬場は高槻駅で出札を担当していた。この頃には心にゆとりが生まれており、お客様に喜んでいただくために工夫しようと、当時売り出した「かにカニ日帰りエクスプレス」の訴求のために特大のカニの宣伝物を作り、コンコースの正面に掲出した。それを見たお客様や同僚が「すごいな」とつぶやいているのを見て、自分の取り組みが何らかの形で心に届いていると感じ、うれしかった。「実際にどれだけ売上に繋がったか正確には分かりませんが、周囲に認められたことがうれしく、さらに前向きな気持ちになれました」。

※きっぷを発売すること。

自分が責任者であるという気概

的確な指導で、社員のレベルは着実に上がっている。

 2003(平成15)年からは係長という駅の1日を預かる責任者の立場になり、いろいろな場面で矢面に立つことが多くなった。「ダイヤが乱れている時やお酒を召されたお客様の対応には係長になっても苦労しました。部下から頼られる係長だったかは分かりませんが、『責任者は自分だ』という気概だけは忘れずに、逃げずに取り組んできたつもりです」。JR西日本が2005(平成17)年に福知山線列車事故を惹き起こしてからは、お客様からご意見をいただく場面が増えたが、自身の応対が会社の信頼回復に繋がると信じて自分を奮い立たせ職務にあたった。事故後はリスクへの感度が上がり、ホーム上の安全確保のためお体が不自由な方やお酒を召されたお客様へのお声かけ、見守りを行うなど、安全の確保を重視するようになった。「事故発生時に感じた気持ちを忘れず、これからも安全な駅をめざします」。

「真面目にコツコツと」

 馬場のモットーは「真面目にコツコツと」。「日常業務の中で自分のできることを真面目にコツコツと頑張っていれば上司や先輩など、誰かが見ていてくれて必ず守ってくれます。若い頃、私が困っていた時、上司が守ってくださってうれしかった記憶があり、そのご恩を今度は私が係長として部下に返す番だという気持ちです」。その姿勢は愛情として部下に伝わっている。乗務員として駅を巣立っていった社員が、駅で馬場を見かけて声をかけてくれる時、何とも言えないうれしさに包まれるという。そんな社員が集まる彦根管理駅を「相手を思いやる雰囲気があり、本当にチームワークがいいと思います」と評し、胸を張る。その風土を築いているのは、馬場を含めた先人たちの思いだ。これから先も、脈々と受け継がれていくのだろう。

お客様のお問い合わせにすぐお答えできるよう、手持ちの資料を常に携帯している。

ページトップに戻る
ローカルナビゲーションをとばしてフッターへ