漁から戻って舟を舟屋に収納する加藤久夫さん。代々伊根浦の漁師で83歳の今も現役の一本釣り漁師。

特集 京都府与謝郡伊根町 伊根の舟屋

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舟屋の風景と鰤漁の伝統を引き継ぐ

 翌朝、湾を回って赤灯台のある東側の岬まで約5kmを歩いた。そして気付いたのはコンビニも、派手な看板もないことだ。古い家々が続くだけの通りは落ち着きはらっている。すると不意に、頭の上でのどかなアナウンスの声が響いた。

伊根は名高い“鰤の里”。特に冬の味覚を代表するのが寒ブリ。伊根名物「ぶりしゃぶ」は郷土の人気料理だ。

 伊根漁港からその日の漁獲を知らせる案内だ。地元の人のために、毎朝「浜売り」という、バケツの量り売りの市が開かれる。これが早朝の伊根の日常風景だ。伊根の漁業はむろん鰤漁だけではなく、丹後の豊饒の海は一年を通じて多種多様の魚介をもたらしてくれる。

 近年では、湾の内外でクロマグロを畜養したり、アワビや岩ガキなども生け簀で養殖するなど、獲る漁業から「つくり育てる漁業」にも力を入れている。水揚げの多くは大型の定置網漁。個人の漁では、延縄[はえなわ]漁や一本釣り、刺し網、採貝藻漁だ。

“日本一の給食”を目指す伊根小学校の某日の給食メニュー。「ごはん、アゴ(トビウオ)の焼きびたし、夏野菜のごまみそ和え、そうめん汁、くだもの」。全て地産の食材を使い、栄養価も高い。

郷土の伝統である漁業を身近に理解してもらおうと小、中学生を対象に定置網漁業の体験教育を行っている。

 そんな漁業が、伊根では教育と連携してさまざまな取り組みを実践している。町立伊根小学校が標榜するのは「日本一の給食でたくましい伊根っ子」。魚はもちろん全て地産の新鮮で安全な食材が使われ、地域ぐるみで健康な子どもを育てようというのだ。朝の「浜売り」でその日の魚を調達し、調理する。魚の捌[さば]き方、郷土食のへしこ(糠漬[ぬかづ]け)、干物づくりなど郷土の魚、味覚、調理を学ぶ。定置網漁のほかいろいろな漁業体験教育も行っている。こうした取り組みは全国でも高く評価されている。

 小学校は伊根湾の最も奥にあたり、学校前の桟橋から左右に広がる舟屋群を一望できる。海は透明度が高く、覗くと小魚が群れ、時には大きな漁体が悠々と泳いでいる姿も目撃する。家と家のわずかな間から見える漁村の風情もまたいい。ゆっくり散策しながら訪ねた先は、83歳で現役の漁師である加藤久夫さんだ。

ほぼ毎日早朝から漁に出る加藤久夫さん。この日の釣果は立派なグジが3尾とメバル。奥様の君枝さんは町のボランティアガイドを務めた。

 ちょうど漁から戻った加藤さんは船外機の付いた小舟を操りながら、舟屋の中に収納するところだった。奥様の君枝さんが手伝い、あっという間に作業を終えた。釣果は見事なグジだ。「京都へもっていきゃあ、高うてなかなか食べられへんね」。代々伊根の漁師の加藤さんは今もほぼ毎日早朝から夕方近くまで漁に出る。

 一本釣りで釣るのは主にグジなどの高級魚。そしてあの、鰤景気も体験している。「笑いがとまらんほど漁師はもうかりましたな。その頃に比べると鰤も少のうなりました」と少し寂しげに語る。木造舟から今は船外機付きの強化プラスチック製だ。「道具も技術も進化して魚を獲り過ぎたんでしょうね」。船は大型化して舟屋に納まらない。

宿にリノベーションされた舟屋の2階。

釣り船と舟屋の宿を経営する永浜秀俊さん、加奈子さんご夫婦。

 舟屋は本来の役を終えてしまったのかも知れない。が、加藤さんは「舟屋があってこその伊根です」と話す。そんな伊根の素晴らしさを再発見し、大阪で会社員をしていた永浜秀俊さん(41歳)はUターンして、釣り船と実家の舟屋をリノベーションした宿「まるいち」を経営する。

 一日一組限定の宿はまるでリゾート地のホテルの客室。和洋折衷のモダンな居室から眺める伊根湾の美しさは格別で、ブログを通して海外にも知られ、平日でも予約が取れないほどだ。千葉県から嫁いだ奥様の加奈子さんは、初めて見る伊根の風景に感動したという。秀俊さんは「新しい世代が舟屋をどう活用していくかですね。それがこの素晴らしい風景を守っていくことになるのだと思います」と語る。

 表はすっかり黄昏時になっていた。岬の先端まではもうすぐだ。神が宿るとされる青島がすぐ目の前に迫り、展望台から見下ろす風景とはまた情趣が異なる。揺らめく海面を夕陽が次第に朱色に輝かせていく。ウミネコたちも船の舳先[へさき]で翼を休めていた。安らぎが心に染みる風景だった。

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