沿線点描【山陽本線】広島駅〜岩国駅(広島県・山口県)

瀬戸内海の風光を賞美しながら、世界遺産を巡る。

山陽本線は神戸駅から
北九州の門司駅を結ぶ534.4kmの長大路線。
今回は広島駅から山口県岩国駅までの
約41kmを、瀬戸内海を車窓に眺めつつ
海岸線を走る。

山陽本線の列車は、広島駅の1番線から発着する。「Red Wing(レッドウィング)」の愛称を持つ新型車両227系の投入が進む。

美しいウォーターフロントの城下町、広島

遊覧船で水上散策を楽しむ「ひろしまリバークルーズ」。原爆ドームの前を流れる元安川から出発し「水の都」広島を満喫できる。

京橋川河畔のオープンカフェやレストラン。市街地の水辺には、おしゃれなスポットが点在している。河川空間での民間常設型店舗は広島が全国に先駆けた。

 広島は、瀬戸内海に注ぐ太田川の大三角州地帯につくられた都市で、地名は「島のように広い(州)」に由来するともされる。市街地を6本の河川が流れる「水の都」であり、戦国大名、毛利輝元が築城して以降、干拓と築堤により形成された城下町だ。

 近年はウォーターフロントの整備が進み、河畔の水辺にはカフェやレストランなどが設けられ、若者や観光客にも人気のスポットになっている。リバークルージングもあり、川から町を眺めるとこれまで以上に広島の魅力が見えてきそうだ。

新設された新白島駅。山陽本線と広島高速交通の「アストラムライン」が交わる場所に設置され、両路線の乗り換え駅として利用されている。

 中国地方の一大ターミナルである広島駅は、山陽新幹線のほか山陽本線や芸備線が発着し、呉線や可部[かべ]線も乗り入れる巨大ターミナルだ。駅の一日の利用者は約14万人。賑わう広島駅を離れた列車は西に進み、京橋川を渡ると、すぐに新白島[しんはくしま]駅に到着する。昨年新設された駅で、平和記念公園など市内の中心地に向かう乗り換え駅として地域からの強い要望によって設置された。この新駅によって、世界遺産の原爆ドームへのアクセスは随分と良くなったと利用者に好評だ。

復元展示された日本初の国産乗合バス。エンジンはアメリカ製だが、他は全て国産で木製ボディは総ケヤキ造りだ。

 本川の鉄橋を渡った列車は、可部線が乗り入れる横川駅に着く。横川は、1905(明治38)年に日本最初の国産乗合バスの誕生の地で、かつて横川〜可部間の約15kmを走行していたそうだ。当時のでこぼこ道にタイヤが耐えきれず、わずか9ヵ月間で運行は中止された。横川駅の駅前には当時の乗合バスを復元した車両が保存展示されている。

 列車は太田川放水路を渡ると、進路を南に変えて徐々に川筋と離れていく。何度も川を渡るのは「水都」と呼ばれる由縁だろう。太田川はかつて度々氾濫を起こした暴れ川で、洪水対策のために築かれたのが太田川放水路だ。西広島駅からの車窓には住宅街が続く。五日市[いつかいち]駅、廿日市[はつかいち]駅と旧街道の町を過ぎると、やがて宮島口駅。日本三景の一つ、安芸の宮島への玄関口である。最近は特に海外からの観光客が大勢訪れる。宮島へはフェリーを利用する。「JR宮島フェリー」の宮島口桟橋から約10分の船旅だ。

宮島口からJR宮島フェリーが出航する。

大野瀬戸の牡蠣筏を眺めて、錦帯橋の岩国へ

大野瀬戸に浮かぶ牡蠣筏。ここは潮の干満差が大きく、潮の流れが速い「海道」で、良質な牡蠣づくりに適した自然環境が整っている。

広島名産の牡蠣は「海のミルク」と呼ばれ、全国生産量の約6割を占めている。

 山陽本線の列車は瀬戸内海に沿って海岸線を南下する。大野浦駅から次の玖波[くば]駅間は今回の旅のビューポイントだ。車窓には宮島を背景に、無数の牡蠣筏が海上に浮かぶ。大野瀬戸一帯は日本有数の牡蠣養殖地だ。

 次の大竹駅から先は山口県。大竹駅から岩国までの海岸線には化学コンビナート群が続き、夜には“不夜城”のような夜景が観光のナイトスポットになっている。ここから約25分で、今回の旅のゴールである岩国駅に到着する。駅周辺は商業施設などの大開発が進行中だ。ところで、岩国といえば錦帯橋だ。錦帯橋のある旧城下町へは、岩徳[がんとく]線の西岩国駅が最寄り駅だ。1929(昭和4)年に「岩国駅」として開業した岩国のかつての玄関口。昭和初期の佇まいを色濃く残す駅舎は、国の登録有形文化財として登録されている。

化学コンビナート群の夜景は壮観。夜の観光スポットにもなっている。(写真提供:大竹市)

錦帯橋を模した5連のアーチの玄関を備えた西岩国駅舎。登録鉄道文化財にも指定されている。

 古くは『万葉集』に歌われた岩国は、関ヶ原の合戦以後、吉川[きっかわ]家により横山山頂に城が築かれ、錦川を天然の外堀に形成された城下町だ。材木町、魚町、塩町など藩政時代の町名が現在も残っていて、武家屋敷のほかベンガラ格子の商家が軒を連ねる町並みは情趣ある往時の姿を残している。

 錦帯橋はそんな岩国のシンボルだ。錦川の氾濫で繰り返し橋が流失するのに頭を痛めた三代藩主吉川広嘉[ひろよし]の悲願は「流されない橋」だった。江戸時代にようやく完成した橋梁は276年間不落を誇ったそうだ。木造5連のアーチ橋は世界にも例がなく、日本の技術力の高さを示すものである。

錦川に架かる木造5連のアーチ橋梁の錦帯橋。岩国のシンボルとして市民に親しまれる。

2001年から2003年の架替工事に従事した岩国伝統建築協同組合代表理事の中村さん。「景色に溶け込んだ桜の錦帯橋をぜひ見てほしい。私が橋を渡る時は、ついどこか傷んでいないか見てしまう。職業病だね」と頬を緩める。

 2001(平成13)年の「平成の架替」に携わり、岩国伝統建築協同組合代表理事の中村雅一さんは「先人が守り抜いてきた遺産は残すべきであり、錦帯橋の架替は優れた技術を後世に伝えることでもあります」と話した。

 乗車時間は広島から約1時間だが、世界に誇る日本の風景の美しさや文化遺産を巡る贅沢な旅だった。

平家ゆかりの“神の島”宮島

宮島の弥山の眼下には瀬戸内海の多島美が広がる。

 宮島の玄関口、宮島口駅で途中下車し、JR宮島フェリーで宮島に立ち寄った。「神の島」として崇められる宮島には、593(推古天皇元)年に創建され、平安時代に平清盛によって現在のような社殿となった嚴島神社や海に浮かぶ朱色の大鳥居など、歴史的に貴重な文化財が数多く残る。嚴島神社と前面の海、太古からの姿そのままの弥山[みせん]の原始林などを含んだ景観は、1996(平成8)年にユネスコの世界文化遺産に登録されている。

嚴島神社に詣でる参道の表参道商店街。宮島が発祥の「宮島しゃもじ」や「もみじ饅頭」の土産物屋や名産の牡蠣料理などの店が並ぶ。

 500年前から宮島にいたとされる鹿が出迎えてくれ、商店街を通り抜けると海上の大鳥居や嚴島神社の本殿が現れる。干満の時間によって近づくこともできる大鳥居は平安時代から数えて8代目。すぐ近くには嚴島神社の修理造営を担った大願寺がある。真言宗の名刹で、本堂の軒下に明治期のパリ万博に出展、奉納された錦帯橋の模型が展示される。

大願寺の軒先を飾る錦帯橋の模型。昭和の橋の再建ではこの模型を参考にしたという。

 大願寺のお堂の正面には、宮島最高峰の標高535mの霊峰・弥山が聳[そび]える。弘法大師が開いたと伝わる霊山には奇岩巨岩が連なり、山頂からは瀬戸内の多島美が一望できる。その絶景に「日本三景の一の真価は頂上の眺めにあり」と、あの伊藤博文も絶賛したのだとか。島を巡り歩けば、心が洗われ、癒された気分になる。

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