エッセイ 出会いの旅

六角 精児
劇団善人会議(現・扉座)の旗揚げメンバー。個性的なキャラクターで舞台、映画、テレビなどで幅広く活躍。映画「鑑識・米沢守の事件簿」「超高速!参勤交代」、テレビ朝日「相棒」シリーズ、金曜ナイトドラマ「民王」、NHK「まれ」など出演作多数。9月19日公開の映画「ヒロイン失格」には本人役で出演、10月にはテレビ朝日系にて「相棒season14」がスタート。2014年に自らボーカル・ギターを担当する六角精児バンドの1stアルバム「石ころ人生」をリリース、「週刊現代」でエッセイを連載中。

在来線と「明石焼き」

 四国地方での仕事が終り、岡山駅に到着したのは夕方六時、幸い次の日は夜まで時間が空いているので急ぐ必要はない。そこで僕はこの地で一泊し、ちょっぴり在来線の旅情を楽しんでから帰京することにした。

 さて、どの路線に乗車するのか?

 夜、宿で一人、時刻表を眺めながらあれこれと乗りたい路線に想いを巡らすのは楽しい。酒をチビチビ呑みながらその行為に没頭していると時間など瞬く間に過ぎてしまう。結局、山陽本線、赤穂[あこう]線、山陽本線と乗り継いで姫路駅まで向かい、僕の出生地である姫路の街をブラブラしてから新幹線で帰ることにしようと決めたのは、いい感じに酔っ払った午前一時頃のことであった。

 翌朝、岡山駅の四番線、播州赤穂方面ホームに立ったのは九時ちょっと前、少々二日酔いの状態で大学生らしき集団と待っている所に入線して来たのは、なんと「117系電車」。おぉ、これは朝から運がいい。この「117系」は国鉄民営化直前まで製造されていた流線型の先頭車輌が印象的な電車で、関東地方では運用されていない。しかも近年、新型車輌との入れ替えが進み、その数がどんどん減少している為、東京在住の僕にとっては、乗車機会の極めて少ない、いわばお宝的電車なのだ。その乗り心地を味わいつつ、田畑が長閑[のどか]に続く車窓を楽しみつつ約30分、「117系」は終点の長船[おさふね]駅に到着した。長船?あの名刀で知られる「備前長船」が作られた地域らしいが、駅周辺はタクシーがいるだけで特に何がある訳でもない。小雨がパラついていたので僕はホームに設置してある屋根付きベンチに座り、次の電車を待つことにした。

 微[かす]かに雨の音だけが聞こえる静かな時間…。何も考えないでボーッとしていると、仕事や人間関係から生じる様々なストレスが少しずつ癒されていくのが分かる。僕はローカル線に乗っている時のこういった、「何でもない非日常」が大好きだ。見知らぬ駅に偶然降りる。もし時間に余裕があれば、あてもなく駅周辺をウロウロ歩く。一見、無意味に思えるそんな行動が、僕の心の洗濯をし、次の生活への糧となる。別に観光列車もイベント事も必要ない。そりゃ、温泉や旨い物も好物ではあるが、基本、旅先でたまたま目にした、名前もよく知らない山とか川とか…自分だけの記憶が残れば充分なのだ。赤穂線長船駅のベンチでの待ち時間、またひとつ僕の旅の記憶が加わった。

 さて、長船駅からは播州赤穂駅で電車を乗り継ぎ、目的地の姫路へと向かったのだが、途中の網干駅辺りで、僕の頭の中に予期せぬ言葉が突然ポッカリと浮かんで来た。

 「明石焼き」。

 前述したように僕は兵庫県姫路市で生まれ、幼少期を高砂市で育っている。当時は母親の作ってくれるあの玉子と蛸のたっぷり入った「明石焼き」を好んでよく食べたものだが、関東に移り住んで以来、ここ40年以上は食べた覚えがない。何故か猛烈に「明石焼き」が食べたくなった僕は、あっさり計画を変更して姫路から新快速電車で明石駅を目指した。

 さすがは本場、明石の商店街の一角には実に沢山の「明石焼き屋」が並んでいた。何処にしようか迷ったが、若干外れに位置する落ち着いた感じの店に入る。出て来たお目当ての食べ物は、フワフワの熱々、薄口のダシ汁とマッチしてとても美味しく、そして何とも懐かしい。そういえば子どもの頃、小麦粉と生卵を水に溶いた「明石焼き」の材料が入った器を誤って足で引っ繰り返してしまったことがある。畳の目に詰まった材料は掃除に手間が掛かり、母親に凄く怒られて僕は泣いてしまった。そんな少々ショッパイ思い出も久しぶりの「明石焼き」の味を尚一層引き立たせる。

 旅先での何気ない安らぎと生まれ故郷の忘れ難い味。岡山駅から明石駅までの在来線乗車で二つの旅情を噛み締めた僕は、西明石駅からの新幹線で元の日常へと走る。

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