蛸島港は大型の巻き網船も停泊でき、漁獲高も珠洲第一の漁港。写真は方角は違うが富山湾の向こうに、空気が澄んだ晴れた日には劔立山連山が見える。

特集 珠洲市 外浦・内浦 奥能登

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能登杜氏のふるさと、漁師が育てた郷土の酒

 能登半島は全体が標高200〜500mの丘陵から成り、外浦から富山湾に面した内浦へは半島を回るか、丘陵を越えるかのいずれかだ。峠越えの急な山道で内浦を目指すと、ブナやコナラなどの自然と共生する素朴な山村の暮らしがあり、里山にはホクリクサンショウウオなどの希少種も生息する。

 外浦とは対照的に、内浦の海はまったく穏やかだ。吹き荒れた凍えるような季節風も丘陵が遮ってくれているのだろう。海岸線も大小の湾が続き、平野部が広く優しげな風景だ。良港も多い。飯田町は珠洲市の中心で、海岸の東に続く蛸島は古くからの漁師町。街道に沿って、黒く艶のある能登瓦の家並みが続く佇まいは、漁村の原風景がそのまま残っているようだ。

 石川県漁協すず支所の組合員は約1,400人、漁船の数は720隻。中でも水深が深く、100t以上の大型巻き網船も停泊できる蛸島漁港は、珠洲市最大の漁港で漁獲高は珠洲市全体の9割。白田満広さん(41歳)は3代続く蛸島の漁師で小型底引き網船の船長だ。「運が良いと、正面に雪の劔立山連山が見えるんだけどね」と話す白田さんは日本海の50km沖合で漁をする。

 「冬はズワイガニ漁。エビ、タラ、ハタハタ、ブリ、イカとなんでも。でも海が荒れる冬は出漁回数が少なく、昨年の12月の出漁は4日だけ」。天然のイケスといわれる富山湾はむろん、能登半島の近海は寒流と暖流がぶつかって魚介類豊かな好漁場だ。「だからこそ、代々受け継いできた豊かな漁場を残さないと。若い人が漁師になりやすい環境をつくらないと」と、白田さんは資源保護や漁師の労働環境の改善にも取り組んでいる。

黒々した能登瓦が美しい蛸島の町並み。古い漁師町だが全体に整然としていて、江戸期には北前船で賑わった名残もある。

櫻田博克さんと漁師の白田満広さんは2歳違いの幼なじみ。後ろの漁船は、白田さんが船長を務める小型底引き網船の「白鳳丸」。

漁師町らしく家の軒先にはタラが干してある。火であぶると芳ばしく身離れがよく、絶品の酒のあてになる。蛸島の風物詩でもある。

 蛸島は漁師町だが、北前船の寄港地でもあり廻船業や日本海交易の町でもあったようで、町には大層賑わった名残がある。切妻に素板張りの民家に混じって漆喰塗籠[しっくいぬりごめ]造りの土蔵や洋館が散見される。そんな蛸島には地元だけの酒がある。櫻田酒造の「大慶[たいけい]」は漁師が育てた酒だ。漁師の白田さん曰く、「ちょっと甘口の味は、冬の厳しい漁の後は特に旨い。大慶は蛸島の漁師のための酒」。

 櫻田酒造は家族4人の小さな酒蔵だ。4代目の櫻田博克[ひろよし]さん(43歳)は「酒呑みの多い漁師町、漁師さんに贔屓[ひいき]にしてもらってやってこれた」。瓶のラベルには「能登半島蛸島港 大慶」と記されている。身を案じる家族のもとへ、無事に大漁で蛸島港に戻った漁師は「たいけいやったぞ」と叫び、家族みんなが無事を喜んだという、その情景に因んで命名されたという。

大きな酒樽が並ぶ櫻田酒造の酒蔵。年間2万本を家族だけで丹精込めて造る。

蛸島の漁師さんが愛飲する「大慶」。地元でしか手に入らない、ある意味“幻の酒”。

 「家族だけで造るので地元しか出回らない酒です。だからこそ、顔と顔を合わせて旨いと言ってもらいたい」と櫻田さん。能登は丹波杜氏などと並ぶ有名な能登杜氏のふるさとだ。能登衆といい、農閑期や漁期を終えた秋から冬にかけて、灘や伏見のほか全国の酒蔵に杜氏や蔵人として出向いた。「おとしべに行く」と地元では言う。一説には「御杜氏部[おとうじべ]」が語源だそうで、酒蔵で勤め上げてこそ一人前、父親が酒蔵へ行かない家はないのが土地の伝統でもあった。今も仕込みの季節になると能登衆は「おとしべに行く」。家族は主人や父親が帰る春を待ちわびる。

櫻田酒造は家族4人(左はご両親、右は博克さんご夫婦)の小さな酒蔵。酒を仕込むのは博克さんだが、奥能登には「ととらく」という言い伝えがある。つまり女性は働き者だから男は楽、という意味だ。

 外浦と内浦では拒むことのない人の温かさに触れた。奥能登の風景と人に、どこか懐かしい気分を覚えた。日本の原風景と、日本人の情がここにはまだ色濃く残っているからかも知れない。

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