大垪和西の鎮守社「一宮八幡神社」で奉納される獅子舞。三頭の獅子が勇ましく舞う。

特集 吉備高原・美咲町 大垪和西

2ページ中2ページ目

自然への畏敬、受け継がれる400年の獅子舞

 棚田を周回する道端に、ぽつんと小さな祠があった。朽ちかけた木造りの神像と石仏が仲良く並んで大切に祀ってある。いつの時代のものかは不明だが、ずっと集落と棚田を見下ろし、見守ってきたのだろう。素朴さがかえってこの集落の人々の穏やかさと、自然への誠実で篤い信仰心を思わせる。

 普段は大垪和西の集落を訪れる人は少ない。耳にするのは谷を伝う風の音、小鳥のさえずり、そして農機の乾いた音。そんな平穏そのものの集落が年に一度、大いに賑わう日がある。村の鎮守社「一宮八幡神社[いちのみやはちまんじんじゃ]」の秋の例大祭だ。「村中が総出で、都会に出た衆も戻ってくる。盆や正月よりも皆が心待ちにしている日です」と話すのは、獅子舞保存会会長の宮尾忠一(81歳)さんだ。

棚田を見渡す道の傍らに祠がぽつんとある。大垪和西地区にはこのような祠が88カ所以上もあるという。

 例年10月の第2日曜日の祭りは五穀豊穣と安寧を祈り、全国的にも珍しい「雄舞[おすまい]」と呼ばれる県指定無形民俗文化財の獅子舞が奉納される。約400年前に始まったとされる大垪和西の郷土の伝統芸能だ。宮司の宗藤定(64歳)さんによると、「とにかく勇ましい舞です。力強い太鼓と笛のリズムで三頭の獅子がたてがみを荒々しく振り回して、激しく足を踏む」のが特徴だ。勇壮な舞に由来して「雄舞」。この秋も、静かな集落を取りまく山や谷に太鼓やお囃子の音が響きわたり、帰省した若者たちも混じって境内は大勢の人で賑わった。

一宮八幡神社の境内で。宮司の宗藤定さん(右)と獅子舞保存会の皆さん。右2人目から順に保存会会長の宮尾忠一さん、副会長の森田さんと篠原さん。

 同様の獅子舞は隣地区の境集落の鎮守社「境神社」の秋祭りでも奉納される。しかし、こちらは「雌舞[めすまい]」と呼ばれる獅子舞だ。

 祭りは例年10月の第2月曜日。やはり県指定の無形民俗文化財で、歴史もおよそ400年だ。境神社の獅子舞保存会の小林寮全(75歳)さんは「獅子は雌の二頭で、柔らかな太鼓と古式ゆかしい横笛、鉦[かね]の囃子に合わせて優美に舞います。見た目にも女性的です」と言う。その昔は、一宮八幡神社の「雄舞」と境神社の「雌舞」は一対だったという説もある。境地区でもこの祭りの日には、やはり皆が帰省し親族が揃う。獅子舞を舞う者、見物をする者たちで集落は賑やかさを取り戻す。小林さんは「それでも昔の賑わいに比べると寂しくなりました」と漏らす。舞い手の高齢化の事情はどこも同じだ。

境神社の秋の例大祭で奉納される獅子舞。こちらは二頭の雌の獅子が優雅に舞うことから「雌舞」と呼ばれる。

大垪和西地区の車道や細い農道の脇に祀られている神像と仏様。こうした神仏習合の信仰は古くより見られるもので、姿が朽ちた像でも今も大切にされ、集落の歴史を感じさせる。

 そんな中で祭りを仕切るのは、18年前に「集落の人の穏やかさと、景観と環境に魅せられて」大阪から家族で移住し、農業に従事する鑓屋[やりや]武士(51歳)さんだ。農業のイロハを小林さんから教わり、今ではすっかり集落に溶け込んでいる。今や伝統の祭りの担い手にもなっていて、境神社獅子舞保存会の会長も務めている。やはり高齢化が進むこの集落では貴重な農業の後継者でもある。

 どちらの集落でも、子どもの頃から獅子舞や太鼓、笛、鉦を口から口へ、耳から耳へ、村の先輩を見て習い、身体に覚えさせた。それが約400年脈々と受け継がれているということ自体がそれぞれの集落の記憶をつないでいるのだ。共通するのは作物の豊作と村人の健康を願う真摯で敬虔な祈りの心。そして獅子舞は村の人を一つに結ぶ絆でもある。

 山間の地の厳しさは絆をより一層強くする。神と人とが一緒に豊作と安寧を喜び、祝う。まさに「神人和楽」の境地だ。秋祭りが終わると、足早に秋が去り、棚田には冬が到来する。冠雪の棚田は神秘的な景観を見せてくれる。それは見学者ノートに記された「感動」という言葉が、まさにふさわしい風景だ。

ページトップへ戻る
前のページを読む
  • 特集1ページ目
  • 特集2ページ目
ローカルナビゲーションをとばしてフッターへ