Essay 出会いの旅

Oike Kazuo 尾池 和夫
国際高等研究所所長。東京で生まれ高知で育った。1963年京都大学理学部地球物理学科卒業後、京都大学防災研究所助手、助教授を経て88年理学部教授。理学研究科長、副学長を歴任し、2003年12月から2008年9月まで第24代京都大学総長を務めた。2008年から日本ジオパーク委員会委員長。

著書に、『新版活動期に入った地震列島』(岩波科学ライブラリー)、『日本列島の巨大地震』(岩波科学ライブラリー)、『変動帯の文化』(京都大学学術出版会)、『日本のジオパーク』(ナカニシヤ出版)、『四季の地球科学』(岩波新書)などがある。

西日本の終着駅

 線路はどこまでも続いて行くように見えるが、たまにその先端に到達して降り立つことがある。終着駅と呼ばれているが、それはまた始発駅でもある。線路の端のその先にはどのような風景があるのかと、わくわくしながら降り立つ。
 ブルーのコーポレートカラーで象徴されるJR西日本の海辺に近い終着駅を、富山県から順に見ていくと、まず、富山湾に面した氷見駅がある。未明に氷見港を出港する定置網漁船に乗せてもらう機会があった。ドラム缶の焚き火を囲みながらまっすぐに定置網へ向かう。到着してすぐ網を引く仕事が始まる。船が大きく傾き、次つぎと魚があがる。夜明けの港に大漁で帰る船にはカモメの群がついてくる。
 能登半島を走る七尾線の先端は和倉温泉駅であるが、線路はさらに、のと鉄道へと続いて穴水駅に着く。和倉温泉の朝市も楽しいが、美味しいもののことを能登では「まいもん」と言い、「穴水まいもんまつり」は四季折々の能登の旬が味わえる。
 北陸から山陰の海岸は、しばらく終着駅をもつことなく、丹後半島から鳥取砂丘あたりまでの山陰海岸世界ジオパークに沿って西へ続き、鳥取県の西の端にある終着駅、境港駅に至る。隣接するみなとさかい交流館から船が隠岐へと旅をつなぐ。駅舎は灯台を思わせるデザインである。境港と隠岐の間の海は浅い。最新氷期には島根半島と隠岐は陸続きであった。いずれやって来る次の氷期には、また陸続きになって境港から隠岐へ列車が走るかもしれない。隠岐ジオパークは今、世界ジオパークのメンバーになるための申請を出して実現を待っている。
 境港駅の愛称は、鬼太郎駅。駅から東へ伸びる道路は、水木しげるロードで、たくさんの妖怪がいる。となりの馬場崎町[ばばさきちょう]駅の愛称はキジムナー駅、そのとなりの上道[あがりみち]駅は一反木綿駅であり、鬼太郎列車、ねずみ男列車、ねこ娘列車、目玉おやじ列車などが走る。
 山陰本線の支線に仙崎駅がある。単式ホームで、来た列車が折り返して行くだけの無人駅である。個性を重視する多様性の時代になって、仙崎出身の詩人、金子みすゞの「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい」の詩がきわだつ。
 瀬戸内海側に来て、周防灘に面する小野田支線の先端、長門本山駅も、朝と夕方だけ列車が来て、そのまま折り返すだけという駅である。きららビーチ焼野の自然海岸があり、ここの夕日が日本の夕陽百選に選ばれている。
 直島に面した岡山県の宇野線の先端である宇野駅は、高知に育った私にとって忘れられない駅であり、50年以上前に、京都大学の入学試験会場の下見のために利用して以来、乗客となったのである。宇野駅はかつて四国と本州を結ぶ宇高連絡船との接続駅であった。優等列車や貨物列車がひっきりなしに出入りする駅で、構内には留置線などたくさんの路線が並ぶ大きな駅であった。その駅が使命を終えたのは、昭和の終わりに瀬戸大橋が開通したときであった。
 大阪にも先端の駅がある。桜島駅と東羽衣駅、関西空港駅で、毎日数千人が利用する。内陸にも先端の駅があり、そこでわたしが詠んだ次の句は、大岡信『折々のうた』に紹介された。
   躑躅[つつじ]から線路始まる始発駅  尾池和夫
 それぞれの駅には、それぞれの物語がある。海辺の終着駅だけ見ても、海に暮らす日本人の生活があり、地域の歴史があり、日本列島の風景の典型がある。終着駅はまた、そこから広い世界へとつながる先端であり、未来への入口でもあるかのように見える。

ページトップに戻る
ローカルナビゲーションをとばしてフッターへ