ふるさとの味

富山県富山市 昆布じめ

江戸から明治時代にかけ、海の大動脈として物流を支えた北前航路。 北海道から昆布やニシンなどの海産物を積み、 日本海沿岸に寄港しながら大阪まで運ぶ長大な海上ルートは、「昆布ロード」とも呼ばれる。 輸送の拠点であった富山には、今なお昆布文化が色濃く残る。 伝統料理「昆布じめ」に、郷土に根づく食文化を訪ねた。

北海の恵みと富山湾の幸との出会いから生まれた絶妙の味わい。

北前船がもたらした昆布の食文化

 日本海に突き出した能登半島に抱かれる富山湾。最深部は1,200m以上もあり、日本海最大を誇る湾の沿岸には、北前船の寄港地が点在する。神通川河口の港町、岩瀬の旧北国街道沿いには、かつての廻船問屋の屋敷や蔵が建ち並び、北前船交易の最盛期の面影を偲ぶことができる。北前船は、北海道からは主に昆布やニシン、サケ、タラなどの海産物を運び、本州からは米や酒、塩、綿、薬など、あらゆる生活物資が船積みされ、日本海を往来した。

  北前航路の発展は、こうした物資を流通させただけでなく、各地の生活文化にさまざまな影響を及ぼした。中でも、真昆布をはじめ、利尻や羅臼産などの良質の昆布は、だしをとるという調理法を全国に広め、日本人の食生活に大きく関わってきた。昆布ロードの中継拠点であった富山には、大量の昆布が運び込まれ、だしはもとより料理素材として幅広く使う独自の昆布文化が花開いた。

  昆布巻き、昆布かまぼこ、昆布のおむすびなど、さまざまな食べ物に工夫され、昆布は富山の人々の食生活に根づいている。天然のいけすと呼ばれる富山湾でとれる新鮮な魚介も、そのまま刺身で食べるのではなく、“昆布でしめる”というひと手間を加えるのが富山流だ。海が荒れて魚が水揚げされない時に備え、おろした魚を昆布にはさんで日持ちさせたのが、郷土料理「昆布じめ」の由来。保存手段がなかった当時の先人の知恵が生かされている。

旬の魚介と昆布が風味豊かに溶け合う

 魚の刺身を昆布の上に並べ、折りたたむように巻いていく。昆布じめの作り方は、いたってシンプルだ。昆布でしめることによって、 魚の身の余分な水分が吸い取られ、品質や食味の劣化を防ぐとともに、身は締まり、弾力が増す。さらに、昆布のうま味、甘みが魚にしみ、丸みのある味わいと独特の食感が生まれる。富山では、刺身よりも昆布じめを好む人が多いそうだ。

 磯料理の老舗として、創業以来100余年の歴史を誇る「松月[しょうげつ]」の3代目黒岩茂さんによると、食べ頃は1晩寝かせたくらいから2から3日。しめておく時間は、魚や昆布の種類、味の好みによっても違ってくるという。昆布がトロリと糸を引き、しっかりとした風味に仕上げる場合は長く寝かせる。しめて5から6時間ほどの香りほのかな昆布じめは、お茶事などにも使われるそうだ。

 材料となるのは、富山湾から揚がる旬の魚介。地元では、サスと呼ばれるカジキが定番の魚だが、春のサヨリ、夏の白エビ、冬場にはヒラメやタラなどが、それぞれ相性のいい昆布と合わされる。魚介本来のうま味に昆布の豊かな風味が加わり、醤油なしでも十分なほど味わい深い。家庭では、使った昆布も刻んで刺身に添えたり、佃煮などにして食べ尽くす。保存のための昆布じめは、地場の魚介をいっそうおいしく食するための料理法として、昆布好きの富山の人々に今も受け継がれている。

  • 3枚におろした鯛を、酢をしみ込ませた布で昆布をふき、その上に刺身を並べる。昆布は酢で洗うことによって柔らかくなり、保存性も高まる。

  • 端からたたむように巻く。サスなど、魚によっては生姜と一緒にしめる場合もあるという。

  • 「松月」の昆布じめには、香りがよく、濃厚でコクのある羅臼昆布(写真)の他、甘みや香りに富んだ利尻昆布を用いると語る主人の黒岩茂さん。

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