Essay 出会いの旅

Tanigawa Koji 谷川 浩司
将棋棋士。1962年、神戸市生まれ。5歳で将棋を覚える。1973年、5級で若松政和七段に入門。1976年、四段。1982年、八段。1983年、加藤一二三名人を4勝2敗で破り、史上最年少の21歳で名人位を獲得。1984年、九段。1997年、羽生善治名人を4勝2敗で破り、2度目の復位、通算5期で十七世名人の資格を得る。2002年、公式戦通算1000勝。2011年、公式戦通算1200勝を達成。竜王4、名人5など、タイトル獲得数は計27。棋戦優勝は22。2011年より、日本将棋連盟専務理事。著書は「谷川浩司全集」「谷川流寄せの法則」「光速の詰将棋」「詰将棋作品集・月下推敲」「集中力」「構想力」など多数。

それぞれの旅の思い出

 8年前に引っ越した現在の家は、JR神戸線が近くを走っている。
 当初は、電車の音が気になるかと少し心配していたのだが、 走行音というのも慣れれば心地良いもので、夜は子守唄代わりになるし朝は朝で、1日の始まりという気持ちにさせられる。
 息子達2人も、電車にはまった時期があった。近くを散歩している時に、「スーパーはくと」や「はまかぜ」を見かけると、得をした気分になったものだ。
 ただ、今でも妻に呆れられるのは、いつか姫路方面に家族で遊びに行った時、三ノ宮から姫路への僅か40分を、新快速ではなく、わざわざ特急料金を払って「スーパーはくと」を選んだ事。
 電車に乗る事自体も旅の楽しみと思い、息子たちも満足していたのだが、これはやはり男の感覚なのだろうか。
 さて、結婚して20年になる。対局などで先の予定が立てられず、海外旅行ができなかった代わりに、たまたま空いた2から3日の休みを利用して、一泊や二泊の旅行へはよく出掛けた。
 初めての旅行は山口県だった。秋芳洞と秋吉台を観光、長門湯本温泉に泊まった。
 非日常的な感覚を味わうのが旅の楽しみの一つなのだろうが、どうも慎重な性格なもので、同じ場所へ何度も行こうとする傾向がある。
 秋芳洞へはその3年後、両親も連れて行った。阪神・淡路大震災で自宅が全壊、苦労した両親に、何か楽しい思い出をと考えて企画した旅だった。
 ただ、中には苦い旅の思い出もある。
 平成8年1月。私は保持していた唯一のタイトル、王将の防衛戦を戦っていた。
 相手は全冠制覇を目指す羽生善治六冠。前年はフルセットの末、辛くも防衛を果たすのだが、この年は調子も上がらず2連敗。
 第三局まで1週間ほどしか間隔がなく、本当は自宅で作戦を練るべきなのだが、タイトルを失う事への重圧に耐え切れず、「どこかへ行こう」と妻を誘った。
 行き先は金沢と和倉温泉。料理も温泉も良かったのだが、車で走った千里浜がとにかく寒かった事が、一番記憶に残っている。
 何より、この時私はどんな表情をしていたのだろう。妻も息の詰まる旅だったに違いない。
 結局、この年の王将戦はストレート負けでタイトルを失った。第四局の対局場は奇しくも山口県。
 夜遅く、神戸に帰る新幹線の中で、現地へ観戦に行っていた将棋ファンの方から「頑張って下さい」と声をかけられた事も忘れられない。
 さて、対局やイベント、それにプライベートも含めると、日本全国ほとんどの県を訪れた事になる。
 ただ、対局の時は観光をする暇はない。それに、勝負の結果によって、その土地の印象が大きく変わってしまうとも言える。
 また、家族旅行は、同じ景色を見て同じ時間を過ごす事が、家族の歴史となる。
 この2つに加えて、昨年5月に将棋連盟の理事になってからは、各地でのタイトル戦やイベントに、将棋連盟の代表として出向く事が増えた。
 ここでの楽しみは、地元の方や将棋ファンの方との交流である。
 対局者でないだけに、その独特の緊張感がないのが、気楽でもあり、また寂しいところでもある。
 平成18年の名人戦以来、タイトル戦の舞台から離れて久しいが、もう一度緊張した旅をしたいものだ、と改めて思う。

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