原風景を往く[山口線 <山口県・島根県>]新山口駅から益田駅

SLが走る山口線、二つの小京都を経て日本海へ

山口県の新山口駅と島根県の益田駅を結ぶ全長約94kmの山口線。“貴婦人”の愛称で親しまれるSL「やまぐち」号が走る路線として人気が高く、全国から鉄道ファンが訪れる。温暖な瀬戸内をあとに、山口線で日本海をめざした。

湯田温泉

湯田温泉は山口県を代表する古湯。
白狐のモニュメントが迎えてくれる
5つの足湯は観光客に人気。

雅な大内文化に触れ、津和野の町並みを楽しむ

 人気のSL「やまぐち」号は、今年は3月19日から11月20日までの土・日・祝日を中心に計88日間運行される。山口線の起点は、「小郡[おごおり]」の駅名で親しまれた現在の新山口駅。新幹線、山陽本線、宇部線が集中する主要ターミナルで駅前には放浪の俳人、種田山頭火の立像がある。小郡は、山頭火が7年間創作に励んだ地だ。

 その山頭火が愛したのが湯田温泉。「白狐の湯」とも呼ばれる約800年の歴史をもつ古湯だ。傷ついた白狐が、湯田の権現山の麓の寺の池に毎夜足をつけていた。和尚が不思議に思って池を掘ると湯が湧き、薬師如来像が現れ、像を拝んで湯に入ると難病も治ったという伝承がある。詩人、中原中也の生誕の地でもある。

 湯田温泉駅の一つ隣が山口駅で、県庁所在地山口市の中心だ。大内文化の栄華を残す町は「西の京都」と形容される。室町時代、並ぶ者がないほどの大勢力を誇った大内氏は京の都を模して町をつくった。大路、小路の町割、寺社仏閣も都にならい、京言葉まで持ち込んだという。戦禍を免れたことが幸いし、大内時代の地図が現在でも使えるという。

 31代続いた大内文化の栄華の一端を物語るのが国宝、瑠璃光寺の五重塔。室町中期の最も優れた建造物と評される塔が、木々を従え池畔に凛とした姿でたたずむ。大内氏は対外交易に積極的で巨万の財を誇り、聖フランシスコ・サビエルにキリスト教の布教も許した。山口サビエル記念聖堂も大内文化の名残りともいえる。

大内人形

華やかで雅な大内文化を今に伝える大内塗(大内人形)。国の伝統工芸品に指定されている。

冨田潤二さん

大内人形の匠、冨田潤二さん(山口市)は「町を歩くと必ず大内文化に触れ、静かで雅な雰囲気が漂っています。町をゆっくり歩いて歴史を感じていただきたい」と話す。

 山口駅を後に列車は中国山地の懐へと分け入っていく。急勾配の上り坂、全長約2kmの長い田代トンネルの中も急坂が続く。SLには一番の踏ん張りどころだ。この難所を抜けて山間を進むと、津和野駅に着く。SL「やまぐち」号の終着駅。ここはもう島根県である。

 津和野は「山陰の小京都」と呼ばれる城下町で、特に町の中心部の歴史景観は味わい深い。朱色の石州瓦の家々と白壁が続く本町、殿町には藩政時代に優れた人材を輩出した藩校養老館がある。堀には丸々と太った大きな鯉が群れをなして泳いでいる。津和野では誰もが鯉を大切にし、それを小学校から厳しく教えるというが、そんな良識が町全体の秩序正しさに通じてもいるのだろう。

安野光雅美術館
安野光雅美術館

津和野駅近くにある安野光雅美術館。津和野出身の画家安野光雅氏の作品を常設展示している。

 文豪、森鷗外の故郷で津和野川沿いに今も生家がある。「我、石見[いわみ]の人なり」と鷗外は終世この津和野を愛した。近くには鷗外の親戚で、明治の思想家・西周[にしあまね]の生家もある。津和野川の堤を歩いていると、なぜか懐かしい気分にとらわれる。お椀をふせたような青野山、穏やかな田畑、家々の風景…それは「山陰の小京都」というより、日本の原風景であるかのようだ。初めてなのに、なぜか、どこか懐かしい。

 ふたたび列車に乗り、旅の終わりの益田駅へと向かう。津和野川の清流はしばらくすると高津川の流れと合流する。その高津川が日本海に流れ込む河口の町が益田である。島根県を代表する漁港の一つだが、郷土の誇りはなんといっても「ひとまろさん」だ。万葉集の大歌人、柿本人麻呂は謎めいた人物だが、出生・終焉の地が益田ともいわれている。『石見相聞歌』を残し、町には万葉の故地が多い。そして信仰の対象として、町の人に「ひとまろさん」の愛称で親しまれている。

 瀬戸内から日本海へ…SL「やまぐち」号でいく山口線の旅は、いっそう旅心を盛り上げてくれるにちがいない。

萬福寺

益田市内にある萬福寺の雪舟作の庭園。 画聖雪舟は晩年を益田で過ごしたといわれる。 写真提供:益田市産業経済部文化交流課

漁船が並ぶ高津川の河口

漁船が並ぶ高津川の河口。辺りは潮の香りが漂う。益田市は山口線の終点地で、島根県で最も西となる、日本海に面した街だ。

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