Blue Signal
November 2008 vol.121 
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武生駅 駅の風景【武生駅】
日野山を仰ぎ見る越前の古都
越前は、古代より人や物が盛んに往来し、 畿内と北国とを結ぶ交通の要地であり、 越前の国府として開かれたのが現在の武生[たけふ]。 長い歴史を秘めた古都を訪ね、 古い社寺や商家や蔵のある街並みを歩いた。
国府が置かれた、継体天皇ゆかりの地
 武生は、継体天皇ゆかりの古都である。『日本書紀』に、大和朝廷は25代武烈天皇の跡継ぎに「越[こし]の国」から男大迹王[おおどのおおきみ]を畿内に迎え、26代継体天皇が成立したことを記している。この継体天皇の孫が推古天皇、聖徳太子はひ孫になる。即位前の男大迹王の在所が今日の武生といわれ、街の郊外の花筐[かきょう]公園周辺が皇子の頃に過ごした場所だとするなどいろいろな伝承がある。味真野[あじまの]には継体天皇を祀る味真野神社がある。

 律令時代に越の国は越前、越中、越後に分国され、越前の国府が置かれた武生は府中と呼ばれた。領国は広大で、国威を示す豪壮な伽藍の国分寺が建立されたが、創建時の場所は定かでなく、現在の国分寺の御堂から想像するほかない。鎌倉時代の一遍上人聖絵にも描かれ「おそんじゃさま」と慕われる総社大神宮ほか、街には古社寺や史跡が多く、国府以来のおよそ1300年の歴史を重ねた街の格式が偲ばれる。

 平安時代には藤原為時が国司として赴任した。為時は『源氏物語』の作者、紫式部の父であり、父に同道した式部は、都を離れてこの越前で一年余りを過ごしている。式部が都への恋しさを託して詠んだのが、「ここにかく 日野の杉むら 埋む雪 小塩の松に けふやまがえる」。日野の杉むらとは、武生の南に聳える日野山のことである。

 芭蕉も旅のすがら、越前富士と呼ばれる日野山を句にしている。「あすの月 雨占わん ひなが岳(日野山)」。古代には男大迹王も眺め、そして畿内と北国を往来した歴史上あまたの人物が日野山の秀麗な姿を仰いだ。北陸本線の車窓からも間近に眺められる美しい山は、武生の歴史の一部始終を知っている。
 
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紫式部公園から日野山を望む。平安時代、紫式部は越前国守に任じられた父・藤原為時とともに、1年余りを武生で過ごしたといわれる。
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越前の里・味真野苑にある継体天皇(右)と、妻である照日前(てるひのまえ)の像。
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イメージ 1896(明治29)年の開業以来、主要駅として武生駅は観光や商用の人で賑わう。
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武生駅から西へ10分ほど歩くと総社大神宮がある。越前国総社として崇敬されてきた古社である。
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花筐公園内にある紙の祖神を祀る岡太神社。創祀は継体天皇が皇子の頃とされ、女神が現れ、紙の漉き方を教えたという伝承が残る。
 
繁栄を担った「府中鎌」、伝統の越前打刃物
 戦国時代には佐々成政が居城を構え、後に前田利家が治めて加賀百万石の足がかりとしたのも府中である。しかし今日の武生の基礎を築いたのは、関ヶ原の戦い後に領主となった福井藩家老の本多富正である。戦渦で荒れ果てた街の復興に努めた。城郭はなく館を構えただけだが、城下町の整備を進め、日野川の治水事業や、街に用水を設け、道路を整備した。

 武生の街区が整然とし、秩序よく感じるのはそのせいである。一方で富正は殖産に励み、北国街道の拠点という地の利を得て、江戸時代を通じて府中の産業、商売は大いに隆盛した。和紙、焼物、漆器など越前には伝統の産業がいくつもある。打刃物も府中を代表する産業で、「府中鎌」の名は全国的に名を馳せた。南北朝時代に京都の刀匠が農家のために鎌を作り、鍛冶の技術を教え伝えたのが越前打刃物の始まりという。

 越前打刃物は鎌のほか包丁や鉈なども全国的に評判をとり、鍛冶職人はとりわけ大切に保護されたそうだ。街には、打刃物の匠や問屋が軒を並べた一角があり、通り沿いに風格のある店構えの商家が立派な看板を軒先に掲げている。その多くは郊外へと居を変えてしまっているが、700年の伝統は若い匠たちに引き継がれ、重要な地場産業として越前打刃物は現在もなお武生の経済を支え続けている。

 街を歩くと、いたるところで古い商家を目にする。「蔵の辻」と呼ばれる一角は、商家の古い蔵を補修して新たに誕生した蔵の街だ。蔵は全部で22棟、近辺の蔵も数えると100棟にもなるという。この蔵の風景がかつての武生の繁栄を物言わずに語っているようだ。
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継体天皇ゆかりの謡曲「花筐(はながたみ)」の舞台となった花筐公園。継体天皇はこの周辺で幼少期を過ごしたという。春は桜、晩秋には紅葉の名所として多くの人が訪れる。
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総社大神宮の北すぐにある国分寺。創建当時の場所は定かではないが、広大な寺域を持ち、いくつもの伽藍が建ち並んでいたという。
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武生の伝統産業である打刃物。鍛冶屋の多くは郊外へ移転したが、町中には打刃物の問屋が軒を連ねる一角がある。
イメージ 越前打刃物協同組合理事長の増谷浩司さん。「打刃物は武生の重要な産業であり守らなければならない文化です。後継者は少なくなっていますが、今は海外市場に越前打刃物ブランドを広げていこうと積極的に取り組んでいます」と語る。
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蔵の辻は、市街地の活性化のために歴史的な街並みが整備された。一帯には蔵や商家を改修した飲食店やブティックなどが並ぶ。
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