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朝夕の冷え込みに近づく冬を感じる頃、落葉樹の葉は、最後の輝きを放つように紅や黄に染まる。木々が繰り広げる色彩の饗宴は、情趣あふれる自然美として、古より観賞されてきた。漂泊の人生の中で、孤独の境地を詠った
尾崎放哉[ほうさい]の句とともに、紅葉と日本人の関わりをたどってみた。 |
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尾崎放哉は、近代俳句史上異彩を放つ存在として、山頭火と並び称される自由律の代表的俳人である。本名は秀雄。1885(明治18)年、旧鳥取藩の城下町(現鳥取市吉方町)に、旧士族の家に生まれた。幼年期を何不自由なく過ごした放哉は、1897(明治30)年に12歳で鳥取県下第一の名門中学校へと進む。俳句や短歌を作るようになったのは3学年になった頃とされる。1902(明治35)年、第一高等学校文科に入学。後に俳誌『層雲』での指導者となり、晩年の放哉を物心両面で支えた荻原井泉水[おぎわらせいせんすい]は、一高時代の先輩であった。1905(明治38)年に東京帝国大学法学部に入学。翌年『ホトトギス』に2句の入選を果たしている。
大学を卒業した放哉は、通信社や保険業界で栄進の道を歩む。こうした社会的躍進の一方で、酒におぼれて奇行を繰り返し、やがて妻とも別れ無一物の境遇に身を置くこととなる。放哉の酒癖については、青年時代にいとこの沢芳衛との結婚を断念させられた体験が大きく影響したという。38歳で京都の修養団体・一燈園[いっとうえん]で托鉢生活に入った放哉は、以後41歳で生涯を閉じるまで、京都や須磨、小浜などの寺を転々とした。しかし、放哉の句作は、孤独と貧困、放浪の中でこそ真価を発揮。遁世以降の孤高の詩は、膨大な句稿として井泉水に送られ、厳選を経て『層雲』に発表された。終焉の地小豆島の南郷庵では、「咳をしても一人」などの代表句が生まれている。冒頭の句は、放哉が須磨寺の大師堂の堂守として9カ月余りを過ごした時期に詠まれたものである。孤独の中に身を置いていた放哉にとって、色づく木々の明るさは単なる季節の情景としてだけでなく、心をも照らす光であったのだろう。「景を詠って景に終わらず」と評される放哉ならではの秀句は、師井泉水によって編まれた遺稿句集『大空[たいくう]』(1926年刊)に収められている。
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大師堂前に建つ句碑には、須磨寺時代の最高傑作とされる「こんなよい月をひとりで見て寝る」の句が刻まれている。筆は、師である荻原井泉水によるもの。
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木々がいっせいに色づき、野山を染め上げる景色は、錦にたとえられるほどの華やかさがある。紅葉とは、樹木の葉が落葉する前に赤色や黄色に変わる現象をいうが、植物の種類によっては褐色になるものもある。この色の変化は、気温の低下とともに葉緑素が壊れて緑色が消え、黄色い色素が浮き出して見えたり、葉の中の糖分が赤い色素になることによって生じるという。紅葉、黄葉ともに「もみじ」と呼ぶが、「もみ」とは揉んで染め出す紅の色をさし、紅葉するという意味の「もみいづる」「もみづる」が語源とされる。また、「もみじ」の名は、美しく色づく樹木の種類に対して使われ、とりわけ見事な紅に染まるカエデの別称にもなっている。
紅葉の美しさは、やがては散るというはかなさを前提とし、秋から冬への季節の哀愁を秘めている。それゆえ、木々の色づきを愛でながら山野をそぞろ歩く「紅葉狩り」は、万葉の昔から日本人の琴線に触れる季節行事として今日へと受け継がれてきた。『源氏物語』の「紅葉賀[もみじのが]」の中では紅葉の散りかう中での、平安貴族の華やかな祝宴のようすが描かれている。紅葉という自然の情趣は、その後も短歌や俳句に飽かずに詠まれ、着物や帯の伝統的な模様として親しまれるなど、文字通り日本人の暮らしを鮮やかに彩ってきた。
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全山が錦を織りなす紅葉で名高い談山[たんざん]神社は、奈良大和路、多武峰[とうのみね]の深い木立の中に鎮座し、大化の改新の中心人物である藤原鎌足を祭神とする。645年、鎌足は中大兄皇子とともにこの峰に登り、蘇我入鹿討伐について話し合ったという故事により、多武峰は後に大化の改新談合の地として「談[かたら]い山」と呼ばれ、神社の称号の由来となっている。悠久の歴史を誇るこの神社は、紅葉の名所としても知られ、秋の深まりとともに重要文化財の社殿が建ち並ぶ境内を包むように、山々が鮮やかな装いを見せる。紅葉するのは、約3000本ものカエデやイチョウ、サクラ、カツラなどの古木。最盛期は11月半ば頃とされるが、12月初旬までは豊かな色彩の変化を楽しめるという。また、御祭神の命日にあたる11月17日の例大祭には、本殿石の間で古式ゆかしい舞楽が奉納され、見頃を迎えた紅葉に一層のあでやかさを添える。
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「源氏物語図屏風 紅葉賀」。紅葉の頃、清涼殿の帝の前で「青海波(せいがいは)」を舞う光源氏と頭中将の姿を描いた江戸時代の屏風絵。(岡山城蔵) |
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