Blue Signal
July 2008 vol.119 
特集
駅の風景
出会いの旅
うたびとの歳時記
鉄道に生きる
探訪 鉄道遺産
Essay 出会いの旅
畠中光享
日本画家。京都造形芸術大学教授。1947年生まれ。描線と平面性、形の追求を核に顔料の持つ美しさを引き出し、写生を基礎にした象徴性のある造形で、現代日本画にひとつの方向性を打ち出す。第21回シェル美術賞、第1回東京セントラル美術館日本画大賞、京都府文化賞功労賞など受賞。「横の会」「NEXT−日本画・京都からの表現」結成に参画。1998年より目展に出品。またインド美術の研究者で、特にインドミニアチュール絵画の系統的な研究、収集に関しては広く知られる。『インド染織美術』『インドの宮廷絵画』などの著書がある。
備中吹屋の旅
 朝起きてから眠るまで毎日が単調な生活であります。そんな生活の中にも新しい発見があるものです。毎年同じ季節に咲く花さえも同じ花は一つもなく、絵を描くものにとってはそれを慈しみ、凝視することで新しい感動が起こってくるものです。とは申しましても、旅ほど単調な日常生活に刺激を与えてくれるものはないでしょう。

 私は20代半ばから欠かさずインドを旅してきました。見聞することによって自らの美の表現を問う作業でしたが、人間の精神や肉体を日常の呪縛から解き放ち、新たな自己を発見させてくれます。写真家の藤原新也は「旅は無言のバイブルであった」、松尾芭蕉は「月日は百代の過客にして、行きかう年も又旅人也」と言い切り、生そのものが旅を棲家としていたことを物語っています。

 たとえ小さな旅であろうとも、日常と違う風景やモノ、そして人との出会いが人生を豊かにしてくれます。人間が長年手を加え自然と格闘し、つくられてきた美しい日本の山林や田畑にも感動します。人と人、人とモノとの関わりの鉄道や道路も、一朝一夕でなくつくられたことに感動します。

 私はどうもどこに行くのも画家という自分の仕事から離れられなくて、のんびりとあてもない旅というのは出来ません。首都という性格上、新幹線で東京へ行く機会は多くても、隣の席の人と会話することさえも憚られ、乗り合わせた人達とのおしゃべりを大いに楽しむインドと違い、旅という感じはしません。また、京都に暮らしておりますが、奈良は私の故郷であり行く機会も多くあります。美意識に刺激を与えてくれる歴史の郷です。美術品や古建築など古いものを見ることは実に楽しいものです。古いものが現在まで残っているということは、まずそれが良いものであり、大切にされてきたからです。古いものから教えられることは数々ありますが、ものづくりはものにとらわれてはならないし、また新しい流行に惑わされてもならないと思っています。

 各地に出かけることもありますが、その中でも岡山県高梁市にある集落、吹屋への旅は印象深いものでした。城下町備中高梁までは伯備線で岡山、倉敷そして雪舟ゆかりの総社を通り、「備中高梁駅」で降ります。そこから美しい吉備高原の標高550mの深い山間地にある吹屋に行きます。ここは江戸時代中期以降、銅山とベンガラで繁栄した鉱山町で、街道に沿って古い立派な町屋や土蔵が、赤い石州瓦とベンガラ格子やベンガラ壁と相まって整然と並び、吹屋が繁栄した豊かな時代を偲ばせてくれます。
日本画で使う黄土や岱緒[たいしゃ]、ベンガラといった絵具は全て酸化第二鉄からできています。特に吹屋のベンガラは日本でも最良の品質を誇っていました。江戸時代中期に発展した遠く九州の柿右衛門焼の赤い色も、吹屋のベンガラを使ったと伝えられています。ベンガラは銅鉱の副産物として採れた磁硫鉄鉱を精製した緑礬[ローハ]に熱を加えて人工的に造られたもので、現在もその工場の姿が見学できます。ベンガラは釉薬や絵具の他にも防腐剤として建物に塗られたり、現代ではベンガラ染めの染料としても幅広く使われています。吹屋の山肌が見えているところの土は黄土で、それを水で精製すれば簡単に美しい絵具としての黄土がつくれます。もともと世界中の絵具は天然のこのような土や、色のついた石を砕いて粉末にして、膠や油など何らかの接着剤を用いてつくられ、それで絵を描いてきました。鉄系統の絵具となる土や石が散見し、それだけでも私にとって価値があります。近くには銅鉱山の坑穴があり、中は真夏でもひんやりと涼しいのですが、坑穴の奥にある銅石を採掘している人形を見ると、暗い穴で半裸で必死に働いている当時の姿が痛ましく感じられます。幕府の天領となった銅鉱山の副産物のベンガラは、下賜された村の庄屋達によって製品化して販路を広げ、地域産業になっていきました。ベンガラで財を成した当時の屋敷は、城を思わすような石垣と母屋や門がそのままの姿で残っており、生きた資料として貴重なものとなっています。
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