Blue Signal
July 2004 vol.96 
特集
駅の風景
食歳時記
鉄道に生きる
陶芸のふるさと
長門市駅 駅の風景【長門市駅】
仙崎小唄と巡る北長門海岸への旅
一度見しゃんせ長門の国の〜龍宮見たよな…と唄にうたわれる青海島。
日本海の荒波に洗われてそびえ立つ奇岩。
自然が造りだした造形美はまるで龍宮を見たような驚きと興奮をそそる。
そこは童話詩人・金子みすゞが生まれ、愛しんだ町でもある。
美しい海と寄り添う長門の町を歩いてみた。
長門に伝わる近松出生伝説
イメージ 長門市駅の開業は1924(大正13)年。風光明媚な日本海を望む北長門海岸への起点の駅。
イメージ 周囲40kmの青海島の別名は「海上アルプス」。南は穏やかな風景だが、日本海に面した北側は断崖、洞窟、奇岩に石柱と荒々しく雄大な景観。
山口県の西北部一帯を古くは「長門国」と呼んだ。由来は「長い谷のある地」という説、「ナゴ〈海のなごやかな地。またはナギが転じて崖地、それにツ(津=港)〉」とする説が『和名抄』に記されている。

その古名を冠した長門市駅は、山陰屈指の景勝地である北長門海岸国定公園への起点駅。駅を出てしばらく歩くと、地名の由来どおり波穏やかな深川湾に行きあたる。岬の先に横たわるのは青海島[おうみじま]。「海上アルプス」の別名をもつこの島は誰に訊ねても返ってくる町一番の見所、観光のシンボルだ。

「青海島の次はね、昔なら近松さん、今はみすゞさんだね」。海沿いの道で出会った魚の行商の婦人は迷わずに答えた。近松とは江戸時代の文豪、歌舞伎や浄瑠璃の戯作者である近松門左衛門である。墓所は兵庫県尼崎市にあるが、出生地は謎とされ、長門説は有力な候補地の一つであった。

町には古くから伝わる歌がある。「江良[えら](市内)はよいとこ 近松生んで…」。もっともその後の研究で越前説が現在の定説だが、「近松会」という親睦団体があったり、近松はいまも長門の「郷土の誇り」である。
イメージ 【近松門左衛門出生の碑】
長門市駅から南へ15分ほど歩くと近松門左衛門の立派な碑があり、町の人々に慕われている。
地図
金子みすゞの“あたたかさ”にふれる
幼い頃の金子みすゞも近松情話に親しんだ一人である。「お祖母さまと浄瑠璃」という詩に、縫いものをする祖母から浄瑠璃を聞かされていた情景を詠んでいる。本名、金子テル、詩人西条八十[さいじょうやそ]に称賛されながらも26歳の若さで夭折した童謡詩人である。

みすゞが生まれ育ったのは、長門市の隣の駅、仙崎。深川湾と仙崎湾に挟まれた小さな岬の突端の町は、江戸時代から明治末期まで捕鯨基地として栄え、現在も漁業中心の町である。この地独特の「抜き焼き製法」でつくる「仙崎かまぼこ」が特産だ。

高層の建物がない町の姿は、江戸期の古地図に描かれている頃から変わらない。家々の区割りも昔のままだ。みすゞの生家は「金子文美堂」という文具店で、現在、再現された生家を「金子みすゞ記念館」として公開している。そして駅前からつづく目抜き通りを「みすゞ通り」という。

町の風情を味わいつつ、みすゞ通りをそぞろ歩き、みすゞが遺した小さな、心あたたまる感動の数々にふれる。休日には観光バスが列をなす。「みすゞさんのおかげで大勢の人が町にやってくるようになった」と、近くの魚市場で働く婦人はそう笑顔で言った。
【みすゞ通り】
仙崎の駅前からつづく通りを挟んで江戸から明治の頃の家が今も残る。
イメージ
金子みすゞの生家を再現した「金子みすゞ記念館」。町の各所にみすゞの詩碑がある。 イメージ
このページのトップへ
息をのむ海上アルプスの自然美
仙崎の突端から青海島へは橋を渡る。渡ってすぐの王子山公園から、仙崎の町や長門市駅の方面を望む広々とした景観はじつに晴れやかだ。みすゞも「王子山から町見れば、わたしは町が好きになる」と詠んでいるが、その風景を目にすれば誰もが好きになるに違いない。

青海島は周囲40kmもあり、長門や仙崎の町を厳しい日本海の荒波から護[まも]るような格好で横たわり、仙崎小唄に「北は男波、南は女波」と唄われるように、異なる二つの表情をもっている。島の南は湖水のように波静かだが、外海に面する北部は日本海の荒波を受けた変化に富んだ景観だ。

東のはずれにある「通[かよい]」は、天然の良港を擁し鯨捕りに勇躍した漁港で、くじら資料館には貴重な資料とともに捕鯨文化を伝え遺している。

人家はその「通」で途絶える。道はなく、そこから先の島の北側へは船でいくしかない。景観は掌を返したように一転する。海岸線は屈曲に富み、削がれ落ちた海食崖、洞窟や奇岩・石柱が乱立し、その天然自然の造形美に圧倒される。まさしく「海上アルプス」だ。

青海島、近松伝説、みすゞ…、長門路の旅は、日本海の大自然と人の詩情であふれていた。
王子山公園から仙崎の町並みを望む。町のようすは江戸時代に描かれた地図と変わっていない。 イメージ
くじら資料館と鯨墓、青海島の「通」や仙崎は毛利藩の時代に捕鯨基地として大いに繁栄した。資料館では捕鯨文化を伝え、背後の階段をのぼると鯨の墓がある。 イメージ
このページのトップへ