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July 2004 vol.96
鳥取市の南に位置する町、郡家町に因久山焼の窯元はある。古くから陶器が作られていたこの地で、江戸時代中期の明和年間(1764〜72年)、鳥取藩により招かれた京都の陶工・六兵衛が御室焼[おむろやき]の技法を伝えたのが因久山焼の始まり。因久山の名は窯の所在地である因幡[いなば]国久能寺[くのうじ]にちなみ、藩主から下賜[かし]されたもので、代々御用窯として保護された。その後、信楽焼の技法も伝えられ、京焼と信楽焼の技法が混じり合い、江戸時代後期には因久山焼独特の風雅さと土味のある作風が形成された。
最盛期には4つの窯があったが、現在は芦澤家の窯だけが唯一残る。ここでは江戸時代からの基礎が残る7室の登り窯が健在だ。鉄分を多く含む地元の土と藁灰釉[わらばいゆう]や緑釉[りょくゆう]、海鼠釉[なまこゆう]、辰砂[しんしゃ]などさまざまな釉薬を用いた素朴かつ格調高い焼き物は、多くの人の心を引き付けている。